腎臓病とともに


 

私京人(きよと)の腎臓病の経過を綴っています。
なるべく客観的に綴ります。 尚、「私の思い」は別ページに綴ります。
しかし,腎臓病歴が長い上、少年期に腎臓病と判ったため、
その当時、勿論腎臓病の知識もなく、また私が検査数値等の客観的データや記録は殆ど把握していない状況でした。

だから、私の過去の記憶を辿りながらとともに、私が経験したことがお話の主になりますので、その点ご了承下さい。
よって、この文章を読んで頂いても、私が経験してきたこととはとはいえ、客観的なものの上に成立している文章ではないので、
また腎臓病と言っても、個人によって症状も違いますので、医学的なことは勿論お答え出来ません。

しかし、決して嘘・偽りをを申し上げているわけでもないので、その点誤解のないようにお願いします。

 


 

【腎臓病の経過】

【長い旅の始まり。蛋白尿がプラス!?】

話は中学生の時に遡ります。中学生の時、部活動でバレーボールをしていました。

1988年2月(中2の終わり)、両手の指の第二関節が痛くなって、初めはバレーボールでの突き指か、無理があったからかと思い、整形外科で診察に行きました。
しかしその痛みの原因が判らず、内科を紹介され、検尿の結果、初めて蛋白尿が下りていることが判り、腎臓病の疑いがあると言われました。
その年は高校受験があり、急を要する結果でもなかったので、腎生検という検査は来夏にしようという話になり、通院も毎月ではありませんでした。

1989年、高校に入学し、毎月通院するようになりました。
本格的に運動制限が始まり、体育の授業以外はスポーツはダメということになり、部活動したかった 私は抵抗しましたが、結局諦めました。



【腎臓病と診断されて】


そして、1989年夏休み、腎生検という検査をするため検査入院しました。

何故腎生検という検査と申し上げたかと言いますと、腎生検について、当時は母が通院に付き添っていたので、主治医は母には説明されたのですが、私はどういう検査か検査入院前に全く聞いておらず、ただ検査入院しなかればと思っていただけでした。 腎生検に対して何の知識もなく、とにかく入院後に担当医から話を聞いただけでした。
いわゆる抜き打ちテストに近い形での検査での心の痛みと、12時間じっと寝ている辛さ、そして腎生検後37.5℃前後の熱が退院するまでずっとあって、その熱の原因が判らず、とにかく腎生検は二度としまいと思いました。
一週間程度で退院出来るところが20日になりました。その後も熱がなかなか下がりなくて、2学期を迎えました。
 
腎生検の結果は、慢性糸球体腎炎(IgA腎症の一つ、メサンギウム増殖性腎症)と診断、糸球体は90%残存と仰ったそうですが、そのときは私は理解出来ず後で聞いた話でようやく判りました。
検査後、薬の飲み始めたのですが、名前は憶えていません。
そして、蓄尿の検査は毎月の仕事になっていきました。
その後は体育も見学になり、毎月の通院で蓄尿の検査の結果は常に蛋白尿が下りていました。
その当時の思いは、「私の思い」で更新します。

1992年あれほど拒んでいた腎生検、第二回目をしました。
 今度は検査後順調だったので、10日程で退院出来ました。
検査結果も前回と変わらず、糸球体90%あって、経過を見るための検査でありましたが、一安心しました。
ただ、遠い将来、透析導入がありうるとも言われていましたが、、初めて腎臓病と診断された時は、上手くいけばよくなると言われていたので、漠然と考えてはいましたが、2回目の腎生検の結果によって大丈夫と思いました。

 

【プレドニン服用の決断まで】
 

1994年現在の主治医が1992年の私の腎生検後、留学から帰ってこられ、また主治医になりました。
 その第一声が、「新しい薬を飲まないと、後10年で透析導入になる可能性あり」と言われ、大変ショックでした。
30歳で透析、冗談もいい加減にしてくれと思い、その後主治医との信頼関係が崩れていきました。

1995年大学4回生で、就職活動をし、健康診断書で腎臓病と判っていながら、運良く今の職場に採用されました。  詳しいお話は「私の思い」で。  
1996年1月25日。一生忘れない日だと思う。  いつも通り診察日。卒論も終わり、就職も正式に4月1日から来るようにとは言われていなかったものの、内定していたので、気分は凄くよかったです。
その日の診察で前置きなくいきなり、「「プレドンン」飲んでもらうから、腎生検する必要がある。春休みに検査入院するため、入院の予約しておくから」
寝耳に水でした。  私はとにかく前回の腎生検後、もう腎生検はしなくていいと聞いていたので、話が違うと怒りました。腎生検を何故しなければいかないか聞きました。
 そして、『プレドニン』という薬はどういった薬か、特に副作用の話を質問しました。
返ってきた答えは、
 「予想では糸球体残存3分の2しかなく、そのことを検査ではっきりしたい。
そしてそれなら『プレドニン』を飲まないと、早くに透析導入になる。家族を養わなければいけない働き盛りの時に透析導入になったらどうする。(『プレドニン』を飲んでもらう、一種の脅しです。)
 とにかく透析を延ばすためには、『プレドニン』の副作用のこともあるが、蛋白尿を抑えることがそれ以上に今後の腎臓にとって大事である。
 いくらいい薬でも今しか俺は処方しない。」
 
私は薬を飲むことを薦めるだけで、『プレドニン』の効果や一番大事なきつい副作用の話を殆ど聞くことが出来ず、
全く納得は出来なかったので、「考えさせてほしい」と申し上げました。主治医との関係は最悪でした。
最後に何故腎炎が進んだのかを聞いたら、「今まで飲んでいた薬が効かなかった」と言われ、「その一言で終わりか」と思い、今までのせっかく頑張りや辛抱が音をたてて崩れました。
会計で並んでいた時、泣いてました。

『プレドニン』を飲むことを保留し、そして就職一年目、両方の重圧でとても辛かったです。
信頼関係が崩れていた主治医に話すことがないので、他の病院を探しました。いわゆる「セカンド・オピニオン」です。
ある病院で診察を受けることが出来、カルテがないので、一般的なことしか言えないと前置きされながらも、
私の胸の内を話したら、ゆっくり聞いて下さり、「もしどうしても主治医との関係が上手くいかないなら、腎生検をしている他の同レベルの病院を紹介するから来なさい」と言われ、
『プレドニン』についても、「腎生検の結果飲むか判断すればいいのでは」と言われ、ようやく決心出来ました。そして3回目の腎生検に行きました。


【一番苦しかった時期と食事療法の開始】

1996年10月23日、3回目の腎生検のため検査入院しました。
 10月25日に腎生検を受けました。
 検査結果は予想通りで、糸球体3分の2残存で、「即『プレドニン』服用が必要」と言われ、
「薬の副作用を考えるか、命を考えるか」と言われたら、命とりますよ、誰でも。  『プレドニン』の説明も受け、「薬の効果があるかどうかは半々だ」と仰って、
 『プレドニン』の副作用に風邪を引きやすいことがあり、とても退院させられないということで、入院して『プレドニン』を飲んでもらうとの話で、
検査入院での一週間という診断書は関係なくなり、仕事復帰は延びました。

 1996年11月1日、この日も一生忘れないでしょう。『プレドニン』の服用開始日です。  以後1999年1月初旬まで飲みました。開始は30mgからでした。  大人しく寝ていたらいいやと思ってました。
しかし、腎生検後、日にちが経過しても、腎臓の回りの血が引かず、腎臓の回りに血の塊が残りました。
 すこし安静にしても引かず、もしかしたら、最悪腎臓を摘出しなければならないまでの状況になり、
『プレドニン』の効果観察と言っておられなくなり、安静を言い渡され、そして朝夕の点滴でとにかく血の塊が引いてくれるよう、
私も担当医もそして何より看護婦さんの献身的な看護のおかげで血の塊はなくなり、一番苦しい時期を乗り越えられました。

退院は11月25日、その日に初めて、腎臓病の低タンパク食の食事指導を栄養士さんより受け、
この入院のもう一つの目的が食事療法を判ってもらうことにあることを知りました。(所謂教育入院ってやつ。)
とにかく救って頂いて腎臓ですから、大事にしょうと食事療法を始めました。
 一ヵ月後、仕事復帰しました。



【腎臓病とともに】

プレドニンは結局思ったほど蛋白尿を減らすことが出来ませんでしたが、副作用も少なく、
プレドニンを飲んだことにより、まあ透析を延ばせているのでよかったです。

食事療法をするまで、市販の腎臓病の本を読むことすらなく、腎臓病の知識は全くなかったです。
腎臓病がよくなれば、そんな知識もいらないしと思っていたので、読む気もなく過ごしてました。
しかし、腎臓病を知らことから始めることが、自分が腎臓病と向き合い、受け入れることの始めだと思い、何冊か読みました。
 今でもまだまだ勉強不足でHPではお世話になってますが。

 そして、食事療法2年目からごはんとパンは低タンパクの食品を購入し、今で5年ですね。
 毎日の食事のことで上手く食事療法が出来ているかと言われたら、指示量を守れていない時もあります。
これは腎臓病の症状によって個人それぞれ違いますが、私はこの食事療法を続けてたら透析は当初のころの予想より延びるでしょう。
ただ、それじゃ一生透析導入せずに済むかと言えば難しい。

でももし将来透析導入になっても、96年時点で食事指導を受け、今で5年、そしてこれからの食事療法をしていけば、
 そのとききっと後悔しないと思う。
勿論後悔しないためだけの食事療法じゃないけど、食事療法を何年したか、それで何年透析を延ばせたかという数字の競争はするつもりはない。
そんな挑戦をするぐらいなら、一人でも多くの人に食事療法があることを知ってもらう方が私はいい。
プレドニン後は、薬は従来のペルサンチン、そしてニューロタン(現在はプドブレス)、そして2001年6月よりコバシル。
そして、2001年9月の採血で尿酸値が高いため、ザイロリックを飲んでいます。
 腎機能を示すCcrは45で、半分ありません、その影響でどうしても尿酸値が上がってきます。
勿論食事も一因ですが。お肉の内臓、またお酒には気をつけて下さい。
 Crは現在2.1で、2001年1月で2.0、その後1.8、1.9で来ましたが、コバシルの加減でCrが上がるということで、量を調節しながら、経過を見て飲んでます。
 とともに食事療法5年で緩んだ食事の見直しをして今実践中です。


尚、1996年退院後から今現在は主治医との信頼関係はありますので、ご安心を。
(お互いの性格まで判ってしまっているぐらい濃い関係です。13年ですからね。
 医師と患者だけでなく、個人として人間と人間の付き合いをさせてもらってます。
主治医との間では過去にはいろんなことがあり、いろんないきさつがあったことはまた他で述べるかも)



 

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