家族と患者は  

 

誰よりも

不幸なのか

            

 

 

  家族は大きな使命を持つ尊い存在

家族は社会の一員であり、ともに人間としての尊い存在である。自己を没却するまでつっこんだ「鬱々」たる生活に終わってはいけない。不運な病人を救うために、神から選ばれた救世主的存在の優れた人であり、その所業はすべて神が見守り礼賛していてくれる。病児を持った不幸を嘆くよりも、神から選ばれた人であり、自らは尊い使命を持って生きていることを誇りに持っていってほしい。

 精神的にも身体的にも、病者を抱えての日常生活は、苦労に充ち、その生活も容易でなく、自分の心身の過労はいつか病気ということになって現れてくる危険性をはらんでいる。 自らよりもまず病者への配慮が先行するが、親の健康は、病者にも家族内にも、また、家族会にも大きく影響をもたらすものであり、自らをいとおしむことも必要である。

 

患者は病気を最大の不幸と思わないこと

  我が国では、精神障害者は140万人とか150万人とかいわれている。100人に一人が、精神病を患っていることになる。自分の身内が精神病にかかったことは、100人のうちの一人の「くじ」にあたってしまったことになる。99人は健康の人であるが、自分がこの病気にかかったことは、99人の身代わりになって99人の苦しみを背負ってやっているのだという視点から、病人の存在の尊さを知ってやることができないだろうか。

 昔から聖人や君子、神や仏、万民のために苦しみを一手に引き受けたという幾多の話を聞いている。そんなふうに考えれば、99人の人は「あの人が自分たちの病気を背負ってくれているので、自分たちは健康でいられる」と多くの人々から感謝され、尊敬される人になっているのだと思って、病気である不運さを反転して考えてはどうか。

  松下幸之助氏の「道を開く」のなかで「人間の命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命も又尊いことは忘れがちである。ともすれば私心に走り、私欲が先に立つ。つまり、自分にとらわれるということで、これも人情としてやむを得ないかもしれない。しかし、これではほんとうに、おたがい相互繁栄は生まれないであろう。人間本来の姿は生かされないであろう。やはり、ある場合には自己を没却してまず、相手を立てる。自己を去って相手を生かす。そうした考えに立ってみなければならない。そこに、相手も生き、自分も生きる 力強い繁栄の姿がある。尊い人間の姿がある。」と記されていたが、商売の神様といわれる松下氏のこの文章を読んでみて、病気に対しての引例ではないが、自分が病気であることは、相手を生かし、自分も病気と闘っている意義を、考えさせられた。     中村 友保