奥歯にホウレン草
※奥歯に挟まったホウレン草…どうでもいい事のようだけど、やっぱり気になるモノ。
そんな心の奥歯に挟まったホウレン草。書いてます。
日々感謝。
インターネットラジオ?
 「まごころラジオ」?
 なんじゃそりゃ?
 と、思われるのが、多くの人の反応ではないか、と思います。
 それだけ、まだまだ一般の認知度なんて低い、マイナーなものです。
 にもかかわらず、「まごころラジオ」の主旨を理解して下さり、インタビューに応じてくださる方々。
 そして、自分の大切な話をしてくださる方々。
 その方々に少しでも恩返しが出来るように、イイものを作っていきたいと思います。
 心だけは、込めて、作っていきたいと思います。
 話して下さった方が、「話して良かった」と、そんなふうに少しでも思えるような、そんなインタビューを心掛けていきたいと思います。
 
 早いもので、今日から二月。
 そして節分。
 「自分の中の鬼は外お〜。
 福は内ぃ〜。
 あなたの中の鬼は外ぉ〜。
 福は内ぃ〜。
 取材の心についての反省
先日、十代の少年少女達が書き込みをしている掲示板サイトをみていました。
 そこには、心に傷を受けた若い人々の心模様が沢山、書き込まれていました。
 (中にはちょっと、フィクションぽいのもあって、その内容が悲劇をあおるような内容だったので、デマに影響されなければイイが…と不安になりました)
 で、見ると、そこに新聞記者の方が「不登校の方の心を聞かせて下さい」というような投稿をされていました。
 で、それに対する返事の投稿の多くは、凄く批難に満ちたものでした。
 曰く「新聞なんかに取材されるくらいなら、こんな所に書き込まない。ここだけが自分達の唯一の居場所なんだ」と。
 確か、そんな事が書いてあったような気がします。
 それを見た時、僕は正直、言って、反省させられました。
 なぜなら、僕にも、その書き込みをした記者と同じようなメンタリティーが、自分の中にわずかでも、あると思ったからです。
 「もしも、自分の中にたまった感情があるなら、吐き出してほしいな」という気持ちがあったからです。
 そして、僕は、自分がもっと若かった頃の事を思い出しました。
 こう見えても、以前はひどく、対人関係に傷付き、悩み苦しんだ思春期があったからです。
 慎重に回想しました。
 すると、やはり、当時の僕も、そんな取材なんて嫌だったと思うのです。
 「誰かに話したい。でも、誰にも絶対に知られたくない」
 そんなジレンマの中で苦しんでいたと思います。
 そんなかつての自分を、大人になって忘れようとしている自分に、その掲示板の書き込みは気付かせてくれたのでした。
 まだまだ、精進です

自分も頑張らねばと思わされるHP
ネットサーフィンをしていて、第一子の出産と同時に奥様がお亡くなりになった男性のHPを見つけました。
 お亡くなりになった原因は出血多量によるショック死だったそうです。
 それでも、その男性は男手一つで(実家の援助はあるものの)奥様の身替わりとなった息子さんを精一杯、明るく前向きに育てようとなさっておられます。
 そこには、悩み、迷い、苦しみ、それでも。
 それでも前を向いて生きていこうとする眼差し。
 そんなものはないまぜに、ありのままに書いてありました。
 読ませていただき「自分も頑張らねば」と思わされました。
http://homepage1.nifty.com/crvyou/
人の強さ、人の弱さ。
インタビューをさせていただいていて、感じる事。
 それは、何とヒトという存在が弱いものか、ということ。
 何とヒトという存在が強いものか、ということ。
 それは僕も同じ。
 時に傷付いたり、時に喜んだり。
 そして、それらをくり返していく。
 生きていく。
 ヒトとつながれず、自ら命を断つヒトがいる。
 ヒトとつながり、世界を動かすヒトがいる。
 全ては自分から始まる。
凧上げ

昨日、近所の小学校で凧上げ大会をやっていた。
 数十メートルの空にだらしなく飛んでいるのがほとんどだった。
 でも、そのうちの二つは、高々と天高く上がっていた。
 おそらく数百メートルくらい上がっていたのではないだろうか。
 凧は指の爪ほどに小さかった。
 あの高さでは、さぞや、上げ手も凧が重いに違いない。
 僕も子供の頃はよく凧上げをやった。
 周りは田んぼばかりの田舎で育ったものだから、それぐらいしかやる事がなかった。
 普通の凧の高さでは面白くないから、どんどん、凧の高さは上がっていった。
 高くなると糸が直ぐに切れるから、やがて釣り糸(テグス)のかなり太いものを代用した。
 しかも、凧を上げたあとの糸の巻取りが大変だから、糸巻きには釣り竿とリールを使った。
 空の凧を釣り上げているようなものだった。
 それでも、風の強い日には、凧は釣り糸を引きちぎり、どこかへ飛んでいった。
 ぶちん、と言ったかと思うと瞬く間に凧の姿は見えなくなった。
 大人になってみれば、あんな事の何が一体、楽しかったんだろうと思う。
 なんというか、無意味以外の何ものでもない。
 でも、おそらく、その無意味さとか、風の重さとか、凧糸が切れてしまってどこかへ飛んでいってしまうこと。
 そんな不可解な事、そのものが神秘的で面白かったのだ、多分。
.天上天下唯我独尊
 たしか、お釈迦様がお生まれになった時に、おっしゃった言葉だったような気がします。
 で、これって、いろんな意味に解釈されていると思います。
 「お釈迦様が『自分さえ良ければ』なんてお思いになるわけがない」とか。
 蝸牛流の解釈では、「まず、『自分』を一番、大切にしなさい。そうすれば、他人をも大切にできるから」と。
 そういう当たり前の事をおっしゃっているんだと思います。
 (上記については、なんの勉強もせず、単なる憶測ですべて書いているので、多分に、誤った記述があるかもしれません)

バリアフリー
 乙武さんのお陰で大分、バリアフリーと言う言葉が浸透しました。
 ただ、ああいった本が大ヒットすること自体、日本が福祉後進国だと言っているような気がします。
 だって、あそこに書いてある事ってのは、比較的、当たり前の事が書いてあるような気がしますから。

 でもって、確か「心のバリアフリー」ってのを唱えられていらしたように記憶しています。(違ったかな?)
 で、これって、ホント難しいと思います。
 というか、ホントに分かる人ってどれくらい、いるんでしょうか。

 僕なりの解釈では、「心のバリアフリー」っていうのは、「自分」を解放していく事です。
 「自分はこんな人間ですよ。こんな『心』をしていますよ」と、心を解放していく事です。
 そして、その時点で、初めて「他人」というものを受け入れられるのはないでしょうか。

 と、もっといろいろ書きたいのですが、なんだか能書きをたれているようなので、止めます。

800年前も人間は
 「勢力のある者はどん欲で、孤独の身の者は人に軽んじられる。
 財産があると不安の種も多く、貧しいと、世を恨む気持ちが激しい。
 人に依存すると自由を失う。
 人を愛すると、心はその思いにとらわれる。
 世の中に順応すると、身が窮屈である。気ままに生きると、狂人のように思われる。
 いったい、どんな場所に住み、何をして、しばらくの間でもこの身を落ち着け、ほんのいっときでも心を休めることができるのであろうか。」※

 と、これは西暦1200年頃。つまり、今から800年程前に書かれた文章。
 でも、全然、人間って変わっていないんですね。

※(現代語訳 方丈記・発心集・歎異抄 三木紀人訳 現代語訳学燈文庫より)

自分の考えを披瀝するのは恥ずかしい
 こうまでインターネットが普及して、みんながあっちこっちで語り出しているのを見ると、僕は、自分の考えを書くのが恥ずかしくなります。
 「何をお前はエラそうな事を言ってンだ」と自分に突っ込みをいれたくなります。
 頭の中には、それでも、世間で騒いでいる事件とかニュースへの自分なりの考えが出てきます。
 それを、ここに書きたいなという衝動が沸きます。
 でも、そういうことを多くの人がやっています。
 なんとなく、評論家のようです。
 僕はそれが、恥ずかしくってできません。
 なので、どっちかというと、自分の事を書いているような気がします。

コミュニケーション
 人と人が出会ってコミュニケーションが始まります。
 親しい間柄ならいざしらず、普通、会って間もない間柄のコミュニケーションというのはぎごちなく、スムーズにいかないものです。
 そして、その「コミュニケーションをスムーズにするために」、コミュニケーションを多く取る必要があるのだと思ってます。
 でも、若いうちは自分をよく見せたかったり、テレビ等の影響で面白おかしく話したり、流れるように喋るのが良いコミュニケーションだと錯覚をいだきがちです。
 というか、僕は昔、そう思ってました。
 でも、コミュニケーションの最終的な目標って「心」と「心」が通じることだと思います。
 そこには、話し方のテクニックや芸能人のようなギャグは不要です。
 自分の感じた事を自分の言葉で話す。
 借り物でない言葉で話す。
 それが素敵なコミュニケーションへの第一歩だと思ってます。
 (個性的な人というのは喋り方も個性的ですね)

まごころラジオの舞台裏
 まごころラジオの編集では、録音したテープをぜーんぶ、紙に書き写します。
 (「です」「ます」など、一言一句とまではいかないけど、「二言一句?」か「一.五言一句?」くらいには正確に書き取ります。
 腕が腱鞘炎になりそうになります。
 そして活字になったものから、大切な部分を中心に編集させていただきます。
 なので、アップしているインタビューは、それら「努力」の氷山の一角なのです。

 以前、サッカーの中田(英)選手が「90分のゲームの中でボールに触れる時間は、まとめると1分とか2分くらい」と言ってました。
 で、そのわずか1、2分のために、残りの88分、89分は必要なわけです。
 劇的な一瞬のために、膨大なそれ以外の時間が必要なわけです。
 練習もしかり。
 本番の1、2分のために、シビアな練習をこなす。
 いや、少ないチャンスを確実にものにするからこそ、他の時間が必要になる。

 それを考えると、まごころラジオの編集もさほど苦にはなりません。
 腕がつりそうにはなりますけど…
 (あと、何度もインタビューを聞きかえす事で、いろんな事を考えさせられるんですよねー)

マイノリティーとか孤独とか
 いわゆる「社会的マイノリティー」という立場にある方々のインタビューでは、非常に教えられる事が多いです。
 それは「孤独」や「個性」というものと関係しているからではないか、と思っています。
 というのも、そのような立場の方々というのは「自分」というものについて人生上、考えざるをえない状況になる事がままあるはずです。
 そして、そういった問題は、マイナーな問題であるがゆえに教科書のような答えはありません。「自分流の答え」を見つけていくしかありません。
 おのずと自分の中で思考をめぐらし、自己を深めていく事になるのだと思います。

 また、現代は時代的に「個性の時代」とか「個の時代」などと言われる風潮があります。
 ネットの中を見ていると、誰も「自分の個性」というものを打ち出すのに必死です。なんとか「自分らしさ」「オリジナリティー」を出そうと懸命です。
 その意味でマイノリティーの方々というのは、マジョリティーの人々よりも一歩先を進んでいます。今後、ますます、そういったマイノリティーの方々から学ぶべき点が増えていくような気がします。

 「個性」とは「孤性」とも言い換えられるとも思います。
 個性的であるという事は孤独である、という事でもあるのです。
 そして、その孤独から逃げようと思っているうちは個性は生まれないような気がします。孤独をいかに自分のモノにしていくか。それが個性への第一歩だと思います。
 個性とは孤独の中でこそ生まれるものだと思います。
 だから、もしも、今、あなたが「孤独だなぁ」と思ったら、そこに、もしかしたら、あなたの「個性」の素があるのかもしれません。
 

人間不信
 いまでこそ、こんなサイトを作らせていただいてます。
 でも、もう少し若い頃は、ひどく人間不信に陥り、苦しんだ時期がありました。
 でも、後になって分かったんですが、「人間を信用したい」だからこそ、その裏返しとして、人間不信になるんですよね。
 そして、そういった苦しみが、より『自分』というものに深みをあたえてくれたと思ってます。

外国人
 いずれ何年か何十年後か後には外国人のインタビューも取り入れていきたいと思ってます。
 (その頃にはwebというメディアではないでしょうが)
 理由は、僕が外国にも興味があるから。
 そして、外国が、僕や日本にきっと必要だから。
 (誰か素敵な外国人のインタビュアーの協力者が現れないかなぁ)

未来の人々へ
 僕もいなくなった23世紀とか24世紀。
 その頃の人々にも、何か役に立つようなモノを作りたいな。
 そんな気持ちでまごころラジオを作ってます。


 寒いですね。
 お陰であったかな鍋料理が食べられます

夜叉
 数十年前までは、国をあげての人殺しが当たり前でした。
 戦争という形で。
 僕も、あの時代に生きていたら、殺人をしていたかもしれません。
 それが、今は、ちょっと猟奇的な事件が起こると、まるで「人間」じゃないかのように批難される風潮があります。
 もちろん、そのような事件は決していいものではありません。
 でも、人間の中には、誰しも、そんな夜叉的なもの、獣的なもの、心の鬼は存在していると思います。
 僕も例外ではありません。
 そこの所を押さえておかないと、「批難」という攻撃が「社会的な抹殺」という第二の殺人を犯してしまうと思います。 

嬉しいメール紹介
 ページ、拝見させていただきました(随分前ですけど)。
 ホントにいろんな人が世の中にいるもんですね。驚いたり、関心したり、と、楽しませて頂きました。
 あの中に私が入れるなら、インタビューも率先して受けたいと思いますが、残念ながら近いうちに関東方面に出向く予定がありません。
 しかし、とても興味があります。どうしたものでしょう・・・。
 もし、そちらの方に行く予定が出来た時は必ず、ご連絡させて頂きたいと思うので、その時はよろしくお願いします。

おばさん2
 うちの近所のおばさんの家の前が丁度、ゴミ集積所になっている。
 収集車が行ってしまった後で、ゴミを置いていく人もいる。
 そのおばさんは、その通りを通る人に「少しでも気持ちよく歩いてもらいたい」と翌日まで、それら「間に合わなかったゴミ」を自分の家の中に預かっている。そして、翌日の朝、自分の家のゴミとともに出してくれている。

勇気
 「勇気の日」を作ろうっていう運動があるようですね。
 その事を知って、嬉しくなりました。 


 愛っていうのは、長い時間の中で育まれていくものなんじゃないかなと思います。
 (どうでもいいけど、「愛」って言葉はいつ頃から、登場したんでしょうか。&英訳のLOVEっていうのは、本当に正しいのでしょうか?)

嬉しいメール紹介(インタビュー後)
あれからつらつら考えたのですが、
“私自身”のことを聴いていただいたのは
やはり、本当に久しぶりでした。

それはつまり、
“私自身”のことを振り返るのは久しぶり・・という事でもありました。
話していたようでも、実は
「〇〇〇としての△△」の部分を話していたのでしかなかったのですね。

  やはり、何らかの肩書き(?)のついた自分でしか
  なかったのかもしれません。

本間さんがご自分の番組で何をなさりたいのか、
何をなさろうと努めていらっしゃるのか、
あらためて理解できたように感じ、共感致しました。

本間さんに話を聞いていただき
その事で、また歩き続ける元気や勇気を回復するのです。

今までご出演なさった方々も
きっと同じように感じていらっしゃるのではないでしょうか。
これからの方々もきっと同じ元気を本間さんから頂く事でしょう。

人間にとって、そして人と人との繋がりにとって
一番大切な部分を掘り起こし、育てていこうとしていらっしゃるのですね。

嬉しいメール紹介(インタビュー後)
> こんにちは。今日はとってもいい一日になりました。
僕の方こそ、大切なお話をありがとうございました。
僕にとってもいい一日でした。

> 正直、お話するのは不安でしたが、帰り道すごく晴れ晴れとした気持ちで
> また、この出逢いに感謝したいって思いました。ありがとうございました。
いいインタビューはお互いにそう感じれるものだと思っています。
(もちろん、僕もそう感じました)

嬉しいメール紹介(インタビュー後)
自分の話し方を客観的に聞くことが出来て、
面白かったです。
貴重な体験になりました。
ありがとうございました。

では、よろしくお願いします。

嬉しいメール紹介(まごラジについて)
「まごころラジオ」興味深く拝見させて頂きました。

私も、○×で報道記者として3年間勤務した後、どうもマスコミの体制に納得がいかず、主観の入った分かりやすいニュースをどう民主的に伝えていったらいいか、ということに挑戦するため、母校の研究員として戻ってきました。本間さんが、新聞社をお辞めになったことやその後、新宿でパフォーマンスなどをされたこと。「まごころラジオ」のようなまだ未知の試みをされていることなど、非常に共感を持ちました。

さて、私もストリーミングメディアに触れ始めたばかりなので、
アドバイスなどはあまりできませんが、いくつか気づいたことを言わせてください。
(中略)

とにかくこのような試み、非常に共鳴します。
応援しています!頑張って下さいね。

オファー
 お陰さまで企業二社程よりオファーをいただきました。
 (まごラジの知名度は低いけど。)
 やっぱ、誰かに評価してもらえる、というのは嬉しいことです。
 あとは、もっと、もっと、実際に情報を必要としている方々にインタビューを聞いていただきたいです。

自然体
 少々の事は、無理をして。
 やせ我慢して。
 愛想笑いもいいだろう。
 強がって。
 妥協もしない。
 そんな不自然な「自然体」があってもいいんじゃないかな。
(なんか相田みつをさん、みたいな書き方だな…)

強さとか安定とか
 「強くなりたい」と願っていた頃、周囲には「恐いもの」が一杯あった。
 「強くなくてもいい」と思えるようになって、「恐いもの」がなくなってきた。
 (そりゃ、全く、恐いものがない、という訳でもないけど)
 「安定」を求めている時、心は不安定だった。
 「不安定も面白い」と思えるようになった時、心が安定してきた。
 オモシロイ。

まごラジ
 はじめ、僕が「いろんな人にインタビューをしたい」と言った時、それを聞いた知人たちの多くが「は?」と言う顔をした。
 そして、僕は具体的にどんなモノを作りたいのか上手くいえなかった。
 当たり前だ。
 今まで、まったくこの世になかったものを創造しようとしているのだから。
 でも、「これは自分の使命のようなものだ」という感覚があった。
 だから、いくら怪訝な顔をされようが、僕はインタビューを始めた。
 そして、何度も何度も、いろんな人に自分がやりたい事を話した。
 何度も何度も、怪訝な顔と質問をされた。
 無視された事もあった。
 それらのお陰で少しずつ、自分の中にビジョンが見えてきた。
 話すうちに「そうか。俺はこういう事がしたいのか」という事が見えてきた。
 そして、まごラジの基礎が出来た。
 お陰さまで、なかなかの評価を得ている。
 
 本当に心を込めて、いいものを作る。
 そしたら、人なんて自然と集まってくると思う。
 
 まだまだ、僕も修行中だ。

しなやか
 僕の事を「しなやか」という言葉でほめて下さって方がいた。
 でも、僕は自分自身の事を「既存の価値にしばられたくない」という事については、とても「頑固」な人間だと思っている。
 もう少しわからずやの人間でもいいのかな、と思う。

怒り
 生まれて間もない子供が、怒るという事はない。
 彼等はただ、泣くだけだ。
 泣いて全ての事を訴える。
 やがて、少しずつ自分に力がついてくると、「怒る」という感情が付加される。
 怒って訴えるようになる。
 癇癪を起したり。
 「怒り」の感情と「悲しみ」の感情は裏表のような気がする。

 何ごとにつけ、しょっちゅう怒る人もいる。
 そういう人っていうのは、本当は心の奥底で「泣きたい」のだと思う。


 僕が相談のメールを送ると、一言でも、必ず返事をくれる友がいる。

 僕は、「奴も何か困った事態が起きないかな
 そして僕に相談しないかな」と思う。

 そして、その時には、積極的に相談に乗り、今の感謝の気持ちを態度で現したい。


ポジティブ
 ポジティブに物事を考えることにはパワーが必要だと思う。
 パワーというのは生きるエネルギーと言ってもいいかもしれない。
 
スピード
 みんな走る早さが違うように
 草木の育つ早さが違うように
 みんな生きるスピードだって違うはず
 なのに、どうしても必死にみんなに追い付こうとする
 他の人より抜きん出ようとする
 
 竹林では、早く出たタケノコはほとんど人が引き抜いてしまう
 そして、あとあから季節外れでひょっこり顔を出したタケノコ
 これが、その竹林の種を保存していくことになる、という
 (インタビューで聞きました)

 人に食されるタケノコ
 種を保存するタケノコ
 どっちがいいのか分からない
 でも、それぞれに自分の役割というものがある

聞くということ
 「聞く」という行為を受動的な行為だと思っている人がいる。
 しかし、それは大きな勘違いだ。
 「聞く」とは極めて能動的な行為である。
 これは、いつか本で読んだ、ある人の受け売りである。
 でも、僕もそう思う。
 だから、偉そうに書いた。

 「聞く」という事は、相手を受け入れる事である。
 無条件に、相手のそのまんまを受け入れる。
 これって凄く難しい。
 僕も時々、失敗する。
 で、それはとても相手に失礼な事。
 自分が試されると言ってもいい。

自分を信じるということ
 自分を信じると書いて「自信」という。
 自分を信じるには努力が必要だ。
 そのためには、自分を裏切らないこと。
 自分の心に誠実であること。
 それが大事だと思う。

.

歴史
 僕は人の昔話も好きだし、国の昔話、すなわち歴史も好きだ。
 なぜなら、それは「今」に興味があるから。
 その人の「今」、その国の「今」。
 そして、未来。
 それらに興味があるから、昔話も好きなんだ。
 恋人の事だって同じだと思う。
 好きな人の事っていうのは、昔話を聞きたくなるものだ。
 
 この国は、自分の歴史を大切にしているのかな


大人
 ほんのちょっと前まで、中年以上の大人達の事を毛嫌いしていた。
 エコノミックアニマルだ、仕事最優先だ、保守的だ、と批判ばかりしていた。
 でも、そんな事をパソコンで表現している自分にふと気付いた。
 そのパソコンはきっと、それまで、僕が批判してきた「どこかのエコノミックアニマル」の方々のお陰で出来たものに違いない。
 彼等が汗水流して、残業を沢山して、ストレスも一杯ためて、出来上がったモノに違いない。
 電話の回線も、パソコンの置いてあるデスクも、自分が偉そうに使っているもの全て、彼等のひたむきな努力の上に成り立っているに違いない。
 その事に気付いたとき、僕は、彼等を批判的に見る事ができなくなった。

自立について
 脳性小児麻痺の方のインタビューの折のこと。
 「最近の若者は自立がなかなか難しいとか言われますが、自立という事について、どう思われますか?」と訪ねた。
 「ジリツってどういう時を書くんですか?」とその方。
 「は?」と僕。
 「ジリツっていうのは、『自立』っていうより『自律』。つまり、自分を律する事の方が大事なのではないでしょうか」というような事を言われた。
 障害福祉の関係では、「自律」という概念が比較的出てくるのかもしれない。
 しかし、その事を初めて聞いた僕には、刺激的だった。
 丁度、その頃、「若者とキレル行為」なんて事がマスコミで騒がれていた時期だった。
 「キレル子というのは、自分を律する事ができない。つまり、自律できていないから、キレルのかもしれないな」なんて、一人、合点がいったような気分になっていた。
 ま、当たらずとも遠からず、だろうと思う。

日本
 日本人は何かと、日本の事を批判する。
 僕もだけど。
 でも、よく世界地図を見ると、日本って凄く小さい。
 (よく見なくても一目瞭然だけど)
 大きな大陸の端にできた「オデキ」みたいだ。
 そんなちっぽけな国が、経済大国として、その何倍もある大きな国と対等に張り合っている。
 結構、頑張っていると思う。
 あんまり、日本の批判ばっかり目にしていると、そんなふうに肩を持ちたくなる時もある。

おばさん
 斜前のマンションをいつも掃除している清掃会社のおばさんがいる。
 普段はもくもくと掃除をしている。
 若い人々が多いマンションのようで、玄関口は比較的、汚れている。
 そして、そのおばさんは、掃除をしながら、気さくに僕や、近所の人に声を掛け、世間話をしてくれる。
 いつも穏やかに笑みをたたえながら、掃除をしている。
 僕は、あんなおばさんのような人柄になりたい。