住民が育てる文化の町並み、そして歴史を伝える伝統的建造物。
一度取り壊したものは、元のものとして取り戻す困難さを考えると、計り知れない損失があります。
私たちのまちに築後100年を経過した、約100坪の2階建商家つくりの建物が県道の拡張工事で、立退きを余儀なくされました。この建物がホームページトップの写真の建物「旧後藤家商家交流資料館」です。
この建物をそのまま残し保存することによって、21世紀に育つ子や孫たちに古き町並みの良さを伝え、新たな観点から自分たちのまちを見直し、まちづくりをしていこうということからNPOの設立を図ったものです。
明治の時代に建築され、明治、大正、昭和、平成、と先の大戦の時代も乗り越えて、生き残ってきた100年を経った建物を、むざむざゴミ、廃棄物として解体処理するのは誠に忍びなく、どうにかして残していきたいと考えるのは、むしろ当然の結論であったと思います。
しかし、その方法はというと、いろいろな方法があったと思いますが、私たちの基本的な考え方は、自分たちの町は、自分たちの手で守り育てる、そして今までのように、全てを官に依存するのでなく、自分たちでできうることは自分たちの手で、そして官と共働することによって、お互いのメリット、デメリットを補完していくことで、自分たちの新たなまちづくりが見えてくると考えました。
中央商店街の衰退という問題は現在、日本全国どこにでもある共通の問題でもあります。
この商家は高城の町の商店街の中央にあります、往時はこの地域髄一の賑わいをみせた高城の商店街も現在分散し、大型スーパーの進出によって衰退の一途をたどりつつあります、私たちはこの商家を残すことによって、商家を核としたまちづくりと、商店街の再生という熱い情熱をもって、商工会青年部のОBの一部とまちの長老達と話し合い、NPО高城歴史文化のまちづくりフォーラムというボランティアで商家を保存運営する、という方法を選びました。
それには、一部に官の補助をいただきました、それは官も高城の商店街の活性化と、まちづくりに熱い情熱と、新たな観点をもって理解していただいたものと、私たちは理解しております。
NPОでこの100年経過した商家、伝統的建造物を保存し、所有するという事例は全国でも例の少ない珍しいことと思います。
しかし、この方法がベストだったのかどうかは、今後の運営、活用方法で判断するしかありません。
まだ、私たちのまちづくりは、今走り始めたばかりです。
私たちは、日常生活でも旅先でも、古びた建物や、小川にかかる石橋などに出会うと、何かほっとした気持ちになります。それは特に有名な建物や、年代のごく古い遺物とは限りません。銀座通りのような現代式の建物が並ぶ間に挟まれている大正時代頃の趣のある建物にもそのことを感じます。もちろん、法隆寺や姫路城のような名建築を訪ねたときには、より大きなスケールで歴史の意味や力といったようなものに打たれます。しかし、もしそのような名建築だけが残って、その他のものがきえうせてしまったら、とても寂しい気がするでしょう。
歴史的遺産の保存が「まちづくり」にとって重要なのは、まず第一に、それが住民にとって、非常に大きな精神的価値を持っているからだと思います。
個人にとっては、生まれ育ち、あるいは長く住んだ町や村の風景は、人の生きる意味を支える基盤です。また、それらに対して人々が共通した思い出や価値観を持つことから、地域にとっての精神的価値が生まれてきます。
そして、ある人々が本当に大切にするものは、他の人々の関心を引き、心を打ちます。それは、お互いの歴史の中に存在した価値あるものに触れ合うことです。歴史的遺産の保存の根底にある目的は、そのことにあるのではないかと思います。
(学芸出版社 「歴史的遺産の保存・活用とまちづくり」大河直躬 編より)