アメリカに来た理由 (大学編)

一年の交換留学を終え、日本へ帰国。もうアメリカは懲り懲りだった。たぶん観光でくらいしかアメリカには来ないだろうと考えていた。大学付属の高校に通っていたので、そのまま日本の大学へ進学。興味の無い英米文学を専攻しながら、面白くない日々が続いた。

せっかく身についた英語を忘れたくなかったので、バイトをしながら夜は英会話へ。そこで、南アフリカから来たスーザンという先生に出会い可愛がってもらう。彼女に、「もとこの英語ならアメリカの大学でも大丈夫よ。」ととんでもないことを言われる。高校でも苦労したんだから、アメリカの大学なんて、と思っていたからだ。しかも、もうアメリカには行きたくないし…。彼女の話だと、人種差別の濃い南部と違い、東部や西部は住みやすいとのこと。日本の大学に4年間なんとなく通うより、アメリカの大学でチャレンジしてみたら、と薦められる。好奇心の塊のようだった私(私も若かった...。)は、チャレンジという言葉を聞いて、うん、それも良いかもしれない、と思ってしまった。

試しに、TOEFLを受けてみた。500とれれば良いかと思ってうけたら、550を突破した。英語で、Beginner's Luckと言うが、まさにこれかも。これで調子に乗った私は、アメリカの大学行きを決意してしまうのだ。もう一度アメリカで試してみたい、日本の大学で4年間無駄に過ごすよリは、大変でもアメリカの大学で好きなことを勉強したい、と思った。もちろん両親は大反対。それはそうだ。一年間も長かったのに、更に4年なんて、とんでもない!でも私の意志は変わらず、最後には両親の賛成を得る。この過程で日本の大学と非常にもめたのだが(大学を卒業しなければいけないという学校の方針のため)、結局は得た単位を放棄し、高校の卒業証書も受け取らない、という条件で退学。私は高校3年で留学していたので、高校の卒業証書をまだもらっていなかったのだ。とにかく、この話だけでも長くなってしまうのでここでは省略。

日本の大学を退学し、アメリカのVermont州に渡ったのが1989年夏。スーザンお薦めの東部にあるVermontを選らんだのは、日本人が少ないだろうという理由と大学の応対が非常に良かったから。北海道より寒くなるということは知らなかったのだが、この美しいVermontで約4年の大学生活を送り、夫となるショーンと出会ったのだ。