高校3年のとき、交換留学生として一年間ヴァージニア州の片田舎で過ごした。そもそも交換留学に応募したきっかけは、自由な世界を見てみたかったから。行っていた日本の女子校は規則が厳しくて有名な大学付属の女子校だった。しかも、その高校に通っている学生は大学にも行かなければ行けないという変な規則があり、でるにでられない金縛り状態のような感じだった。私は規則に反発するようなタイプではなかったのだが、いつも他の自由な世界に憧れていた。そこで、アメリカで一年間過ごせるという交換留学生の制度を知ったとき、一年間だけでも自分の学校以外の世界を知ってみたいという気持ちとなり試験を受けてみたのだ。

一年間のアメリカ生活は決して楽なものではなかった。英語は学校では得意なつもりでいたのだが、実際に生活するのに通じる英語ではなかった。幸いホストファミリーがとっても良い方たちで、そんな私を最初から受け入れてくれた。いつも辞書を片手に、ホストファミリーと会話をしていた。ホストファーザーはとてもおもしろいベトナム戦争帰りの元軍人。元軍人とだけあって保守的(もちろんRepublican!)で厳しい人だったが私にはとても優しかった。ホストマザーは、ボランティアに一生懸命なハウスワイフ。ホストシスターが2人いたが、一緒には住んでいなかったので、私は一人っ子のような感じだった。私が「英語ができない」と落ち込んでいると、「私たちの日本語よりずっとましよ」と慰めてくれる両親だった。「どうして、私のようなstrangerをホストしようと思ったの?」とホストファーザーに来てまもなく聞いたら、「最初の日はstrangerだったけど、3日目にはもうstrangerじゃないよ。」と言ってくれてとても嬉しかったのを覚えている。

私の前の年はドイツからの学生を一年間預かって、大変な思いをしたから、もう留学生をホストするのを止めようと思ったそうだ。そんなとき、翌年の留学生のプロファイルが届き、暇つぶしに見ていたら私がペットのうさ丸(うさぎ)を抱いている写真を発見。自己紹介の欄に、Bruce Springsteenとショパンが好き、と書いてあるのを見て「なんて変わっている子だ。でも動物ずきに悪い子はいない。」とホストファーザーがその場で交換留学団体に連絡。日本人の私をホストすることに決まったそうだ。

なにせ英語が通じない、わからいので学校生活も大変だった。やっと友達ができてきたのがクリスマスくらい。そして、やっと日常生活のコミュニケーションがとれるようになったら、帰国の時期となってしまった。楽しい交換留学生活を夢見て来たのだが、辛い体験の方が多かった。でも、この一年でずいぶん大人になり、アメリカ=映画の世界 としかみていなかった高校生の私も、本当のアメリカの姿を経験したことになる。私の住んでいたバージニアは南部に属し、まだかなりの人種偏見があった。例えば、教室で座る位置。前はほとんど白人で、後ろは黒人。私はいったいどこに座れば良いの??と最初の日は呆然としてしまった。バスで座る位置も同じだった。又、カンボジアとベトナム難民の多く住む街で、私の仲良しになった友達の多くは苦労してボートピープルとして来た人たちだった。留学生として来た私と彼らを比較するのは間違っているが、自分の故郷を離れてアメリカで暮らすという点では一緒。彼らから学ぶこと多々あり、自分の悩み何って彼らに比べたらちっぽけな物だったんだ、と反省。日本で通っていた女子校以外の世界を見たいという理由で来たアメリカだったが、それ以上の未知の世界が果てしなく続くことを学んだ一年だった。