ショーンとは、Vermontの大学で知り合った。friendからgood friendに、そしてbest friendと4年間でなっていった。私が、Vermontの大学を卒業し、ボストンの大学院に行くことになった時から、交際が始まった。友人関係が長かったので、二人とも交際はしないだろうと思っていたのだが、私がボストンに行くことになったとき、初めてお互い寂しくなるなと意識しはじめたのだ。

私はVermontの州立大学で社会学をし、そのまま日本へ帰るつもりだった。が、当時お世話になった留学生アドバイザーのような仕事に就きたいな、と考えていた。留学生アドバイザーとは、大学に1ー3人いるアドバイザーで、簡単に言うと留学生のお世話をする人だ。お世話といっても、大学によってどこまでお世話をするかは違うのだが、私の行っていた小さい大学では、一人のアドバイザーが日常生活からビザのことまで、彼に聞いたらなんでも助けてくれた。彼は、皆のお父さんみたいな人で、安心してなんでも相談できた。いつも彼のオフィスにはコーヒーとクッキーがあって、ドアはいつでも開いていた。その後トランスファーした州立大学は留学生の人数も多かったので、アドバイザーに会うのもアポが必要。アドバイザーに会ったのは、ビザの質問のときだけ。Social activityもなく、かなりビジネスライクなオフィスだった。

というわけで、最初に行った大学のアドバイザーに、どうしたら彼みたいな仕事につけるか聞いてみた。そして教えてもらったのが、BostonにあるLesley College。ここのIntercultural Relationsの中に、留学生アドバイザーの養成コースがあるのだ。私は12月に大学を卒業したので、早速1月にLesley Collegeの大学院に入学。大学院の授業は、大学よりずっと楽だった。授業の内容も興味あるものばかりだったし、なにせ筆記テストが無い!プレゼン、ペーパー、そしてもちろんClass Participationで成績は評価された。大学院は、なるべく早く終わらせたかったので、一年半で終了。卒業に必要なインターンシップは、日本ですることにした。

Lesley では、Intercultural Relationsという専攻の中で、色々なグループに別れる。留学生アドバイザーコースと、異文化トレーナーになるコースが一番人気があった。Intercultural Relationsというのは、簡単に言うと、二つ以上の違うグループがどうやって一緒に仲良くやっていけるか、の勉強。文化というのは、別に日本、アメリカ、というethnic の文化だけでなく、例えばゲイも一つの文化。価値観やtraditionをshareしている A Groupと他の価値観を持つB Groupが一緒に働かなければいけないとき、どうやってfaciliateしていくか、そんなことを学んだ。あまりアカデミックな勉強ではないが、プラクティカルで、クラスメートもPeace CorpやJETから帰ってきたユニークな人が多く、とても楽しいボストン生活だった。

この間、ショーンはVermontの大学から同じ大学院に進んだ。BostonとVermontは、車で4時間の距離。車の無いショーンはバスに乗ってよく会いに来た。私も雪の中よく車でVermontへ行った。(今思うと、よく行ったなーと思う。。。)

そして、レスリーのコースワークが終了し、東京の国際交流団体でインターンをすることになった私。ちょうど時期が夏だったので、Global Villageという国際キャンプのお手伝いをすることになった。ショーンとは遠距離恋愛となり、この時期が一番つらかった。今のようにインターネットも無く、電話代は膨大な額となっていった。ショーンは、その年の秋にやっと日本へ来た。婚約指輪を持って。(私は知らなかった。。。)

ショーンは我が家に居候。結局、アメリカに来るまでの3年間、ずっと「ますおさん状態」であった。両親もおばあちゃんもショーンのことを気に入って、楽しい毎日だった。そして、その年のクリスマスのイブの日に、横浜の大観覧車が一番上に来たとき、結婚を申し込まれた。 (他のカップルもいて超恥ずかしかったが。。。)私は本当に知らなかったのだが、父だけは知っていたらしい。クリスマスプレゼントを買いに父とショーンだけで買い物に行ったとき、ショーンが「実はクリスマスにプロポーズしようと思っている。」と言ったらしい。父は「You are going to be my son!」と大喜びしたそうだ。

インターンをしていた団体で就職が決まり、ショーンも英会話学校で英語を教えた。最後の一年は、ショーンは仕事を辞め日本語学校にフルタイムで通った。おかげで、彼の日本語はめきめき上達した。このまま日本に根を下ろそうかとも思ったが、やはりアメリカに帰ることにした。日本の家族と離れるのは辛かったが、私たちの将来はアメリカの方が仕事の面でも、子供ができたときのためにも良いという結論に達成。ショーンはサンフランシスコの大学院で国際教育を勉強することに決め、3年間の楽しい日本での生活に終止符を打った。