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更新日:01/02/16 00:05


ホジキン病にもなってみた


ホジキン病ってのはもう少し分かりやすく言うと
「悪性リンパ腫」って
世間では言うんです。
悪性って言葉で分かる様に
所謂、「癌」って言う奴です(>。<)y-




気づいたのは
 99年の春、右の鎖骨下にしこりを感じた。でも、他に自覚症状も無く放っておいた。
 そのしこりが段々大きくなってきた(f^^)のんびり屋の私も流石に気になりだした。周囲の人に相談してみる。
「リンパ節なんて、風邪引いても腫れるんだから・・・」なんて返答されたりなんかして、
またもや放置してみたりなんかして(^^;
 気が付けば夏になっていた。まさに数ヶ月ここで経過している事になる。
 それでも、夏の旅行なんか企画していたので
取り合えず最悪入院なんて言われたら嫌だななんて思って病院にも行かずに様子を見る


自覚症状の出現
 夏の旅行も終わり秋も真っ只中の10月流石に自覚症状?が現れ始めた。少し歩くだけで息が切れる。
脈拍が120程度になってしまう。
 それって矢張りしこりのせいか・・・。
(その頃鎖骨下のしこりはしっかりと広がっていて右首全域に広がっていたのであります。)


病院に行ってみた
  いくらなんでもなあ、と病院に行く気になった。行ったら医師に結核じゃないか?と言われた。
悪い病気じゃないかと、思っていた私は表紙抜け(-_-#)
 取り合えず確認のためとツベルクリン反応のテストをされる事になったのでした。
 これって、反応出るまでに48時間掛かるのよね。
その日が週末だったから自分で観察するようになんて言われていた(^^;
そんなで良いのか本当に!
 診察日医師に観察内容なんか言ったりしたりしたら、
どうも結核ではないらしいとの事!?なら、なんだ?


診断が付くまで・・・
 
結局、医師は「切ってバイオプシーしよう!」と、言った。
切られるのは勘弁して欲しいと、思ったが・・・。
それ以外の方法では診断が付かないと言う!!仕方ない・・
 内科に掛かっていたんだけど切るのはやっぱり外科って事で、
外科に回された。外科の先生に「早い方が良い」からと、
「明日にしよう!」と、言われた。バイオプシーと言っても一応手術。
なんだかなあ・・・。同意書とか書いたらちょっと恐ろしげなきぶんになったりした。
 後は神のみぞ知る。まな板の鯉の状況。
 そして、その日はやってきた
首のリンパ節は意外と深いところに有るとかで
結構時間掛かった様に感じた。
実際の時間は1時間程度。
局所麻酔だから医師の会話全部聞こえるのよね。
経験の浅い医師と一緒にやってくれたのようで、
実況解説が聞けた。
こういうのって解説されても困るなあっ
てのが、感想だった。


診断が付いた
 それは意外に早かった
翌日の夕方話がしたいからと電話が掛かってきた
わざわざ、掛けてくるって「どうなの?」
良かったから早く知らせてくれるのか悪かったから・・・。
 結局内科の医師は私に言った
「ホジキン病だよ。大丈夫と思うけど・・・」
 何が大丈夫なんだろう。ってのが第一印象だった。
 別に頼んでも無いのにイキナリ癌告知されてしまったんだ。
そう言うのって、まず家族とかに言ってそれから
本人に言うものだって思っていたからびっくりした。
 ふーん、そうか。
本人にイキナリ言ってしまったりするんだ。
と、変な感心しちゃったりして。


それから・・・
 かかりつけの病院には残念ながら?!血液内科が無かったから、
よその病院に紹介された。
そこの病院の先生を見て思ったのは・・・。
「この人に任せて大丈夫なのかな?」
って事。見知らぬ人に人生託すって事だよなあ
なんて漠然と考えたりしたのであります。
他にも考える事は有りそうなものなのにね。


入院生活をする前に
診断が付いてからしなくてはならない事が
沢山ある事に気が付いた
丁度その頃妹の結婚式を控えていた
そう言うのって・・・
折角、しあわせの門出である
ケチを付けたくない・・・。
式が終わる迄妹には話さない事にした

入院するからには親にも話さなきゃなんない
何で患者の私が周りの人に気使わなきゃなんないんだろう
なんて、考えたりもしたが仕方が無い
当時居た彼?にも話さなきゃなんない
面倒な事が目白押しである。


決着つかず
その彼には手紙で遠まわしに伝えた。
何の事か理解できずに手紙を読んでやって来たようだった。
意を決して口頭で伝える。
「簡単に言うとリンパ腺の癌なんだ。
だから、決めて欲しい・・・。
今後も私とやっていくか別れるか。」
覚悟を決めるどころの騒ぎでは無かったらしく、
その日はそのまま帰っていった。
数日経っても音沙汰無い
入院前日電話掛けてみたけどつかまらない。
留守電でなかば脅しのようなメッセージを入れ
なんとか、捕まえた。
それでも、未だ覚悟は決められないらしい。

どうして、こんな時嘘でも良いから支えてくれるって
言う感じの言葉が出ないんだろうって思う。
私のエゴか・・・。


入院してみた
入院当日友人が付き添ってくれた。
「有難うm(_ _)m」
だって、私には母親が居ないんだもん!
父親は役に立たないしね。
入院当日Gaシンチが有って
小一時間程友人は病室で一人で待っていてくれた
その間、主治医がやって来て
「お母さんですか?」
と、聞いたらしい。(-_-#)
彼女はその事を未だに根に持っているようである
同い年なのにね♪
σ(^_^)にも母親が出来て良かったよ


検査目白押し
入院してから色々検査された
自覚症状が乏しかっただけに
相次ぐ検査は私にとっては苦痛で
入院して少しづつ病人にされて行く様な
気がした(´ー`)┌
骨髄穿刺は骨盤グリグリされて
いじめにあっているようだった(T_T)


治療開始
病名が病名だけに手術は出来ず、化学療法が
選択された(所謂抗がん剤の点滴)
因みにホジキンUaだったと
首から縦隔まで拡がってるんだってっさ
初日、突然友人が面会に来てくれた
この友人は入院当日付き添ってくれた人とは別人
その彼女は病棟の看護婦さんに
「お姉さん」と、呼ばれていた。
(~ヘ~;)因みに私には母も姉もいないのである。
入院して一気に家族が増えてしまった・・・

化学療法は6〜8クールの予定
(1クールは大体1ヶ月にあたる)
これから半年長いなあなんて考えたものであります。


意外に楽しい入院生活
入院した部屋は4人床で隣と斜め前の人は
入院中楽しい仲間?になったのでした。
(4人床のうちのもう1床は数日単位で入れ替わっていたので)
隣のベッドのUさんとは食事について
一緒に愚痴って二人でインスタントうどんなんて啜っていたりした(^^ゞ
斜め前のIさんはお風呂を陣取ってくれたり
なにかと世話を焼いてくれて頼り?になった

携帯電話は病院では禁止だったからノートパソコン持ち込んだ。
e-mailで友人とは連絡を取り合った。
今回の事がきっかけでPCとか携帯mailが
出来るようにしてくれた人数人いて
友情感じたよ\(^o^)/

公衆電話に電話線繋げてmailの送受信
夜な夜な抜け出しネットサーフィン
PCは入院生活の友ですね(^_^)b
因みに私のPCはVAIOのノート目ん玉付きの奴です(*^-^*)

夜中に抜け出すと言えば・・・。
看護婦の巡回は2時間間隔、余程の無い限り
それ以上は回ってこない。
巡視の時にベッドに居ればとがめられる事は無い
で、上手く抜け出していたりしたわけです。
そんな訳で日中はお昼寝が常習となってしまうのでした。
入院している方が不規則な生活じゃん!
それってどうなのかしらねぇ〜


面会
友人は面会時間を知ってか知らずか、
時間外にもやって来た。
私の部屋は詰所から一番遠いところに有ったのよね(^^ゞ
食欲が落ちたとき友人は食べ易いものを
と、そうめん持ってきてくれた。
季節は晩秋だったのにね。
しかし、非常に助かりました。
数人でやって来てお弁当広げて食べた事もあった。
ピクニックかと勘違いしそうだった。
他人が聞いたら本当に食欲無いのかこいつは
状態だったに違いない(f^^)


ある日差し入れしてくれたジュースは
完璧に賞味期限を数年過ぎていた
よくもそんなものが売っていたなあと、逆に感心した


その後・・・
結局、入院生活は3ヶ月で終止符をうちました。
決して治癒したとかそう言うのでは有りません。
最近は抗がん剤の点滴くらいなら外来でやっていたりするんだと。
入院中に副作用の出現具合を観察して
そう酷くなければ外来に移行するのだそうで。
そうは、言っても私にも副作用は有った訳で
お陰で1クール=1ヶ月の
図式は見事に崩れていたのであります。
この治療が終わる頃は夏なのかなあ
なんて、物悲しくなったものであります。

例の彼氏は退院後色々あってお別れ
する事となりました。
周りの人はもっと良い人が出てくるよと、
慰めてくれたけど10年弱も付き合って
挙句にこんなんじゃ他の男性が現れったて
私の心は動きゃしねーと、思ったよ。


決心
で、思ったさ
いつ現れるか分からない王子様を待たずに
一人でも生きていける女王様になろうって!
今一番欲しいものは健康な身体では無く
精神の強さ。一人でも生きていける力!
これに尽きる。強くなりたいと思った。


同感した事
ある日テレビを見ていたら
車椅子に乗った福祉の会社の社長さんが
ある言葉を言った。これにはマジ同感
それは
「死ぬのが怖いんじゃ無い
死んだ後時間が経って

いつか忘れられてしまうのが怖いんだ」
(文章に多少誤りがあるかもしれないけど)

本当にそう思った。
なんだか泣いちゃった。

復職
病後一番厄介なのは元の生活に戻す事
自分の中のどこかに
僻みとか他人に同情されたくないとか
って、気持ちが有って
なんだか気負ってしまう。
きっと、他人から見たら自意識過剰かもしれない
でも、そう言う気持ちで無いと
あの頃は精神面から壊れていきそうな
そんな毎日だったんだ

今ではちょっと考えられない
病人には見えないらしく
人並み以上に労働させられている気分です
そうなると、今度はいたわって欲しいと
思うものであります
人間って勝手なものです



予定通り化学療法も終了したのは梅雨に差し掛かった頃
それ迄の間にコンサートも2回行ったし
国内旅行も2回行ったし
けっして優良な患者では無かったです
だって、嫌われ者は世に憚るのです
長生きしたかったら嫌われ者になるのが一番

そうして今に至っているのであります
今は寛解って奴です(=^・^=)

ご愛読ありがとう(^ ^)/~~~~~

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