過去日記。
2月1日
歯が痛いです。
下の奥歯です。
どうやら親知らずのようです。
確かに痛いです。
明日は昼で学校が終わります。
ついでに言うならば歯医者も昼で閉まります。
日曜は開いていません。
しばらく歯痛と付き合って行く必要がありそうです。
つらいです。
1月31日
今日は疲れておりますので更新は見送りです。
また明日。
1月30日
今日は久しぶりに部活に行きました。
一応自分は水泳部に所属しています。
なぜかと言うと、小学校のときからやってたからなんですが、
今日行ったのは一ヶ月ぶりでした。
一人だったから良かったのものの、何人かで行ってたら間違えなく自分の評価はずいぶんと下がってしまったことでしょう。
かなりヘロヘロになってしまいました。
さて、今日は間接的自殺願望について書いてみようと思います。
間接的自殺願望。
読んで字のごとく、間接的な自殺希望。
平たく言ってしまえば自分では死にきれないけど、誰かに殺してもらえれば喜んで死ねるかな。
なんて考えのことです。
ただの根性なしです。
しかし、この願望を抱く人間の気持ちもわかる気がします。
そういう人間には主体性って言うものが欠けているのだと思います。
自分では特にすることも無い。
かといって何かやりたい事があるわけでもない。
こんなとこで生きてても仕方ない。
かといって自分じゃ死ぬことはできないし。
誰か殺してくれる人はいないかな。
こういった思考回路があるのだと思います。
自分もたまにそう思う事があります。
しかし、死は絶対です。
二度と次はありません。
そう思うとまだ死ねません。
自分が死んだときに悲しんでくれる人間は少ないながらもいると思います。
せめて、そんな人たちに迷惑をかけないように、自分は生きていこうと思います。
1月29日
今日は友達に愚痴を聞いてもらいました。
自分はできるだけ本心を明かさないようにしています。
また、弱さも強さもできるだけ見せないように、ぼんやりと過ごしているように装っています。
いくら他人からこの生き方に後ろ指さされても、信用できない人間は信用できません。
寂しいやつと言われれば確かに寂しいやつです。
しかし、小さな頃からこうしてきた自分にとっては、いまさら本心をさらけ出せるわけもありません。
そんな本心をさらけ出して話せる相手です。
自分にしては珍しい類の友達です。
ああ、愚痴を言うと多少語弊があります。
適当に馬鹿みたいな話をして、2時間過ごして帰りました。
今通う学校のそんな馬鹿みたいな話ができない環境が息苦しくて堪りません。
安易な下ネタでしか笑いがとれない学校なんて面白くもなんともありません。
しかし、今日話し相手をしてもらってちょっとだけ、肩の荷が下りた気がします。
意地を張って生きていかずにもっと、本心を大切に。
心の底からのんびりと生きて行けたら良いと思います。
もっとも、今の学校でそれができるとは思いませんが。
1月28日
今日からまた学校が始まりました。
しかし、今日は睡眠が足りません。
それもその筈。昨日は三時間弱しか寝てません。
なぜ寝てないかと言うと休み用の課題がたくさんあったからです。
しかし、たった1日の為に10+α枚もプリントを課すのもどうかと思います。
今日は暇について書きたいと思います。
暇。
自分はよく暇が無いと言います。
それを聞いた友達は「暇人が何を言ってるんだ?」と言ってきます。
失礼な。自分は暇人じゃありません。
暇は見つける物でなく、作るものだ。
と言う格言があるらしいです。うろ覚えなのではっきりした事はわかりませんが、確かに間違えてはいません。
確かに宿題も出さない。課題もしてこない。
真面目にやってる人間の目から見れば自分はさぞ暇を持て余した人間に映るだろうと思います。
しかし、それは決定的な誤解であり、また些細な反抗でもあります。
じっと部屋で物事について考える。
自分は何よりもこの時間を優先させます。
自らの内面を大切にして、とにかく考えに耽ること。
大切といわれているようなくだらない知識を学ぶなんかより百倍は重要です。
こう言った事情があるため、自分には常に暇がありません。
しかし、自分は時間に追われながら焦りながらやるのが合ってるのかもしれません。
どうやら、人間は余裕があるときではなく、切羽詰ったときにしか実力は発揮できないようです。
自分はいつも切羽詰っているため、いつも完全に力を出し切っています。
1月27日
今日は日曜日です。
したがって睡眠欲に任せて昼を過ぎるまでねてしまいました。
まったく、人の欲とは恐ろしいものです。
先日、あのように学校を批判することを書きました。
しかし、自分は純粋に頭の悪い人間が嫌いなだけであって、
学校嫌いでは有りません。
学校にも毎日通っていますし、特に素行不良と言うわけでは有りません。
イジメにもあっていません。
ついでに言うなればオタクでもありません。
友達もいます。
いえ、多少言い訳がましいですね。
昨日あれだけ批判的な文を書いたわけですから。
しかし、信じるか信じないかは個人の自由であって、今ここで書いてある事が全て嘘である可能性も確かに否定できません。
このようにネットと言う物は全てが不明瞭であり、また、高い匿名性を持ち合わせています。
なので自分はこのような文章を書く事ができます。
もし、このような事を書いているのが見つかったならば、自分は即に異端分子とみなされてしまうでしょう。
そして先生方にきついお叱り、酷い時には家庭訪問とかなったりするかもしれませんね。
その辺は詳しくはわかりません。
だから、自分はせめてこの自分の思いを静かに表現できるこの場所だけはとっておきたいです。
ここだけは無いと、自分の思いを隠したまま生きていくことはできません。
1月26日
今日は模試でした。
この2週間前はテストでした。
自分の学校は1ヶ月に1〜2回のテストがあります。
これはつまり学歴社会の弊害であり、学校と言うシステムにはテストがつきものです。
また、このシステムはテストの点で全ての能力を決めてしまう傾向があります。
知識の少ない者は落第者の烙印を押されて抹消されます。
また、知識は有ってもシステムと関係の無い知識を持っている人間もいくら有用な知識であっても役立たずとして排除されます。
逆に、いくら人間としてのモラルが存在していない人間の屑でもシステムに関する知識さえあれば上位にくいこむ事ができます。
要するに知識は有るが知恵は無い屑がのさばっていられるという事です。
学校と言うシステムはとにかく異端をはじく事に必死になります。
考え方の違う者。趣味の違う者。行動の違う者。
みんなと一緒を強要されます。
これは進学校と一般に呼ばれる学校にその傾向は強いと思われます。
個性を伸ばす教育を。
ただの建前です。
みんなを笑わせることのできる話術。
個性では有りません。
それはただの役に立つ技術です。
他人とは一線を画したお洒落な服装。
それも個性ではなくただの役に立つ知識です。
個性的な服というのはつまり個性的なのは服であって着ている人間では有りません。
個性を理解している人間が少ないことは事実であると思われます。
自分は個性とは技術や知識ではなく内面の思想や発想だと考えています。
しかし学校で個性を強調するとただそれだけで異端とみなされる原因となりえます。
悪ければイジメの対象にさえなる可能性すらあります。
かといって没個性。
羊の群れです。
多人数による数の暴力で弱い立場と強い立場が決定されます。
つまり個性は必要なく、技術と知識によってシステム内でも高い位置にいることができます。
つまり学校生活とはなんであるか。
システムに関する知識と他人より優れていることを表面上は強調する技術を学び、没個性が推奨され、多人数における優劣決定の場。
安寧と過ごすにはただただ言われたことに従いこのシステムを最大限に活用すれば問題ありません。
しかし、この生活は無為な毎日を量産していきます。
自分はそんな毎日を過ごしたいとは思いません。
1月25日
今日はなんだかとても疲れています。
なぜ疲れているのか。
理由は明確です。
ただ単純に寝てない。休んでない。そして最後に、この前引いた風邪が完治していないからです。
しかし、去年までは風邪をほとんど引くことの無かった自分が、なぜか今年は引いてしましました。
おかげで明日の模試はさっぱりな結果に終わってしまうことになりそうです。
さて、今日は夢について語りたいと思います。
自分の夢。
昔から小説を書くことが夢でした。
小さな頃から話を作るのが大好きで、また、本を読むのが大好きな子でした。
確かにこれは自分が自信を持ってやりたいと言える事の1つでした。
しかし、自分は最近になってこの夢が、自分にとって夢で無くなったことを感じました。
理由はいくつかあげられます。
まず一番の理由としてあげられること。
それは頭の悪い先生たちのせいで、忙しさにかまけて本も読めませんでした。
また話も書きたいように書けなかった事が原因だろうと思います。
生徒のためと言う建前で弱い立場の生徒にあたり、威張り散らす心の貧相な人間。
まったく、教師と言う職業には反吐が出ます。
まあ、悪い教師ばかりではないのは認めますが、悪い教師が多いのも事実です。
また二つ目の理由として、自分の通う学校は世間と言うか県内では進学校として通っています。
しかし、生徒自体のレベルは自分から見ればどうしても低いと考えざるをえません。
俺も含めて程度の低いガキの集まりです。
結局、お坊ちゃん、お嬢ちゃんの集まる学校なんてそんなものです。
自分は中学の3年間で、さまざまな人間に合い自分には考え付かない発想などに感心してきました。
しかし自分はこの学校に1年間通って新しい、または珍しい発見をしたことはありません。
何もかもが自分の予想の範疇内であり、刺激となるほどの発見が存在しないためだと思います。
また、クラスメイトの誇張と虚偽に溢れた自慢話なんか聞きたくもありません。
わがままに育てられたお坊ちゃんのわがままな主張なんて、吐き気がします。
自分のレベルの低さにも呆れ返ります。
それらの外的要因、または心理的ストレスなどによって小説を書く気はほとんどなくなりました。
自分は今、何をしたいのでしょう。
それに答えられるのは、どんなに頭が悪くても自分だけです。
1月24日
ども、おひさしびりです。
今日からここに日記だけでも書いて行こうと思います。
純粋にその日の感想や愚痴を書いて行くだけなので面白さの欠片も無い自信があります。
それでも来て下さったわけですのでどうか読んでみて下さい。
それで、今日は時間について感じたことを適当に書いて行きたいと思います。
僕たちは「時間」を消費することによって生きていきます。
それが過ぎて行くことによって年をとり、成長して、良くも悪くも子供は大人になっていきます。
それ自体は非常に喜ばしいことであり、また、非常に悲しいことでもあります。
たとえば成長の過程で失われて行くものがあります。
純粋な心。または素直な感性。
それと違い得る物も多々有ります。
知識。経験。そしてさまざまな感情。
これらは成長しなければ永遠に手に入れることのできないものでしょう。
僕はもう16歳です。したがって考え方はまだ子供ですが、身体的な面はすでに大人になった。
といっても差し支えは無いと思います。
これまでの経験や知識は大切なものですが今になって、
「自分は何がしたいのか」
とよく疑問に思うようになりました。
もともと、自分は勉強自体が好きではありません。
昔は言われるがままに知識を詰め込んでいました。
でも、自分のやりたい事を思いつかない時、知識は少しも意味をなしませんでした。
思いつかないことには知識では対応ができませんでした。
せいぜい、不況に強い職業を中途半端に考えるだけです。
自分の未来のヴィジョンは存在しませんでした。
想像力。創造力。
この大切な二つが自分には欠けている気がします。
自分には何も無い気がしてなりません。
生み出せもせず、踏み出せもしない。
そんな日にいつか終わりがあることを、このまま時が解決してくれることを祈って。
こうして毎日を自己嫌悪に陥りながら過ごして行こうと思います。
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