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誕生地の岩屋
厳木岩屋で誕生 
私こと「かたやん」は1940年12月5日辰年生まれです。昭和15年皇紀2600年
佐賀県は東松浦郡厳木村誕生 佐用姫伝説で有名な佐用姫の生誕地でもある。
今日では羽衣の伝説・浦島太郎の伝説と並び、日本三伝説三悲恋物語として有名な
「佐用姫伝説」を紹介しす。
573年朝鮮半島での新羅の日本府任那侵入に際して任那の請いにより大伴金村に
命じ任那に援軍を送ることになった。大伴金村は兄・砦を筑紫防衛に弟・峡手彦を
朝鮮に送りこむこととなった。
佐用姫伝説はここから始まります。
救援の為に出征することになった狭手彦は軍と船を整えるため
松浦の地に暫く留まり、ここで土地の(篠原村・厳木村)の長者の娘
佐用姫と恋仲になり将来を誓いあって、契りを結びました。
しかし甘い恋の日々は過ぎ去り、狭手彦は兵を率いて任那に旅立つことに
別れを惜しむ佐用姫は玄界灘を見渡す領巾振山「唐津市」に登り
遠ざかりゆく狭手彦の船団の軍船に領巾を振り続けます。
やがて夫を慕うあまり領巾振山から佐用姫岩(松浦川河口)へと飛び降り
衣干山で濡れた衣を乾かし、更に呼子の浦まで追いかけ、ここで
狭手彦の名を呼び続けなお隠れ行く船を追って佐用姫はさらに、加部島の
天童山に登り船の影を探しますが海原には、すでにその姿は見えず
佐用姫は悲しみのあまり七日七晩泣き明かし、とうとう石と化してしまった。
「この地方には いくつもの佐用姫の伝説がありますが
一途な女性のこの伝説が私は信用しとります(^o^)」
海原の沖行く舟をかえれとか
領巾振らしけむ松浦佐用姫
(万葉集)
1940年12月5日 紀元2600年日本国中祝賀ムードの中で私は誕生する
「かたやん」が誕生した厳木岩屋の街
航空写真の出所は「国土交通省のHPより」

母が通学してた小学校
学校の傍にはJRの唐津線と国道
203号線が通り厳木川がある
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生後60日の「かたやん」です
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岩屋駅
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