名古屋にきてから定年まで
名古屋に来てから定年まで

  

 1962年(昭和37年)8月6日名古屋に就職する為に長崎県北松浦郡
 佐々町国鉄 佐々駅から当時はまだ蒸気機関車が牽引する客車が走ってまし
た。佐世保駅で東京行きの夜行列車で名古屋へ 当時21歳と8か月でした
ブルートレインの客車の中で浅い眠りの中でゴトゴトとレールの継ぎ目の音を
聞きながら また停車駅から発車する時の連結器の前の方からかすかに
ガチャンガチャンと連結器の音が 客車列車独特の発車する時の音が聞こえる

  21歳
佐々駅


     佐世保駅正面                     佐世保駅前通り 正面の山並みは弓張岳

手荷物ひとつで故郷を離れる夜行列車の始発駅佐世保駅
思い出一杯の佐世保 発車のベルが鳴りゴトンとブルートレインが動き出す
1962年(昭和37年の8月の事でした。


1962年8月8日K産業

名古屋市中区向田町の個人会社経営で新聞の求人欄を見て応募したけど何の仕事
か判ってませんでした とにかく名古屋に行く事だけ考えてました
着いた先の会社の概要はパチンコ機械の前面のガラス枠を作る会社でした
薄い鉄板を切断して曲げ加工して四隅を溶接する職種でした。

溶接はガス溶接なのだがプロパンでなくてカーバイトを使用してました
また町の住宅の中に工場があったので近隣からは苦情が続いていたしカーバイトの
白いカスが発生するのですが その処理方法で行政処分されるなど問題のある
ところでした。家族経営で総勢7名で他人は私を含めて2人 その先輩はすぐ辞めた

近隣の方たちとトラブルばかりの工場 私も1962年8月8日に就職したけど8月の31日には退職しました。 この会社は行政処分で他所に移転し倒産してました 日給400円




1963年9月3日M工業

 1962年9月3日 名古屋市港区空見町にあるバス組立工場に就職 ここでは国内の観  光バスを組み立てる仕事でした 運転台周辺で仕事は至って単純な作業で一日3台の 完成ペースだったかな 割とゆったりした仕事の内容でした

 でも結構汚れる仕事だった 油まみれにはなってました。
 1962年9月3日から1963年5月7日まで勤めました。日給480円  時給ではありませんぞ(笑い)



1963年5月8日T鋼業

昭和38年5月8日愛知県知多郡にある「現在の東海市」製鉄工場で鋼材の梱包作業を
三交代で勤務してた。昭和39年9月16日に辞めちゃいましたね。  
毎日毎日梱包ばかりでしたからです 仕事そのものが性に合ってなかったようです
勝手な屁理屈で辞めました(笑い) 会社の寮は知多郡荒尾というところにありましたが
そこから名鉄大田川の踏切を渡って会社専用通勤バスで通ってました

当時は山ばかりで淋しい地域でしたが何十年振りかで荒尾近辺にブラッと言ってみたら
すっかり開発されて大型店舗などが建ってたり新しい道路が出来ていて様変わりしてた

このときは直ぐの弟も一緒に働いていたけど自衛隊への憧れが九州に居る頃から
強かったので名古屋守山駐屯地で入隊試験を受けて京都の陸上自衛隊に移動
暫らくして自ら志願して北海道方面の倶知安の駐屯地に赴任しました 
                                                  
 現在は東海市ですが以前は
 知多市でした製鉄工場で
 一緒に働いてました
 弟20歳10か月  私は22歳
 5か月
 工場の岸壁で



1964年9月22日M電機

  昭和39年9月22日当時は西春日井郡にある電動機製作工場に勤める
  この会社は大企業の電気メーカーで大きな工場内で大勢の女子社員さんが現場で
  小型モーターからでっかい(笑い)モーターまで作られていた
  女子社員はモーター内の巻き線と言ってコイルを作ってましたが その中に混じって
   手取り足とりで教えてもらってましたが女子社員さんに囲まれて仕事が出来るなん
  なんてこの幸せ者なんて・・・・・小心者の私には大勢の女性に囲まれての作業は
  緊張の連続でした(笑い) 会社からアパート斡旋されたけど名鉄犬山線の小田井の
  線路沿いに住んでましたが僅か3か月で辞めました。  



1964年12月4日H家具工業

昭和38年12月4日稲沢市の家具製造工場に就職 少しでも給料が高い仕事をしたいと
募集欄を見てたら日給1,000円 それまでは最高で800円だったので1,000円は魅力
友人と一緒に面接 だけども1,000円は届かなかった(笑い)

な〜でかっ(笑い) そうなんです木工としての職人さんが1,000円の時代でした。
素人の我々は何年か先に1,000円になるって訳でした。
朝から晩まで木屑で真っ白ででした 一番辛かったのは 愛煙家の私には職場で
煙草が吸えないのが死ぬほど辛かった 家具製造専門なので火気厳禁でしたのでし
た。そいでもって(笑い) 40年9月に退職 煙草が吸えない職場に参りました。



1965年9月21日T鋼業
2000年12月20日定年
22歳と5か月 別に怒ってはいません   瓶入りのコーラー飲んでる       定年を迎える前59歳と5か月 
30歳



昭和40年9月稲沢の家具製造工場を一身上の都合で退職した私は名古屋市
港区の鋼材加工会社に面接を受けて入社しました。
仕事の内容はコイル状になった鉄材を延ばしながらカットするという仕事でした
ボタン操作しながら機械を動かす仕事は性に合ってたようです

この会社に入社し間もなく誰からともなく「かたやん」と呼ばれるようになったのです
それ以来 T鋼業には定年になるまで働かせて頂きました。
この会社に入社してから退職するまでには 独身寮生活では地方出身者と
職場で出会い そして退職され色々な出来事が在職中にはありました。 



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