8歳の頃
8歳の頃

入学は長崎県北松浦郡柚木村でした
学校までは遠い道程でした
  写真は国土交通省空中写真のHPからのものです

通学路の道路わきに建ってたお百姓さんの家には必ず牛小屋があって
黒い牛で大きな目玉がギョロリっ 恐かった〜 特に道端に牛を繋いで
あるときは遠回りしたものです きっと牛は遊んでもらおうと近づいて
くる 私は後ずさりでした。

左側の真ん中の山向こうから野を越え
山を越え川を渡って一年生の私は風呂敷の
中の鉄製の筆箱をガチャガチャ鳴らして学校に行ってました。

現在はこんな立派な舗装道路だが当時は
地道でした 小学校前の道路


創立百十周年記念碑とは古い歴史がある学校
道理で入学した時の校舎も木造の古い建物だった記憶してます
一年生の時 学級全員で写った写真が1枚だけあったけど
現在は手元にありませんが担任の先生の顔はハッキリ覚えてる

 
この運動場で運動会など行われていたのだが こんなに狭かったのかな〜
もっと広かったようです。

かけっこが遅い私はドンジリでした
毎年 賞はもらえませんでしたよ エッヘン
威張る事ありませんね(笑い)
この時の一等賞は鉛筆1本でした。


 入学前にはよ〜く怪我をしてました。それも右足ばかり
 母には心配ばかりかけてたオッチョコチョイだったようです。
 太もも ふくらはぎ そして足裏から甲に萱の切り株が突き
 抜けるという大怪我でした。
 当時の靴はゴムだけの成型で作られていたゴム靴があり
 それを履いてて遊び回ってた所 道路端に生えてた萱を
 斜めに切り取った茎の部分を踏んづけて靴底からグサリッ
 靴底には血が溜まり ビッコ引きながら家に辿り付き病院 
 へ どこの病院に行ったかは記憶には全くありません
 きっと柚木では大きい?品川病院かな この名前の病院は
 記憶がある そしてこの白い建物 柚木駅は・・・・・どこらに
 あったのかと地元のご年配の方に尋ねたら ここら辺に駅
 は、あったとか でも面影も何もありませんでした。
  
   
母は私を負ぶって麓の町まで山道を病院に連れて行ってくれました こんな田舎ではバスなどありません。
当時は佐世保から柚木までは国鉄か西肥バスというボンネット式で後ろには釜が付いていました そうです木炭車で女
の車掌さんが黒いカバンを前につけてた。そして踏切では車掌さんが降りてバスを誘導してた。白い建物は柚木農協
の建物かな〜? 写真は平成6年の撮影です

当時国鉄時代の松浦線の左石から柚木線として池野・柚木の3駅のみで営業キロ数は3,9キロ
これらの沿線で産出される石炭輸送を目的とし 大正9年3月27日 佐世保軽便鉄道として
相浦・左石・柚木間を開業した

鉄道名にあるように軌間762ミリの いわゆる豆汽車と呼んでいました 豆汽車が走ってた記憶はあります 佐世保軽便鉄道は大正12年 佐世保鉄道と改称 その後臼の浦から世知原への
路線を延ばしている

昭和11年10月1日佐世保鉄道は762ミリ軌間のまま国に買収され左石〜柚木は世知原〜臼の浦の路線と共に国鉄線となった

そして昭和18年8月30日北佐世保〜左石間が1067ミリ軌間で新規開業されこのとき合わせて
左石〜柚木間も1067ミリ軌間に改軌されたのである
戦後も暫らくは、石炭輸送を中心に活況を呈していたが その後柚木線は集中豪雨による災害で、復旧困難となり またそれまで赤字路線の為に廃線の計画もあったために これと言った
反対運動も無く昭和42年9月柚木線は廃止されました。


そして小学校二年の新学期に佐世保に引っ越す事になる
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8歳〜11歳の頃まで
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