H17.4.12(火)
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パソコンソフトはどんな形!
1 散歩道の葉桜 もう葉が出ている桜もある
 
あいさつ  桜前線ほぼ北限に達し、この辺も昨日・今日がピークである。今年は桜が咲くのがだいぶ遅かったが、花の美しさには変わりなく十分堪能することができた。
Window形式のパソコンを始めて3年ちょっと経った。パソコンの購入は平成13年の11月とちょうどWindow XPが発売が始まった頃である。自分の気持ちを人に伝えるため、自分の感動を表現したいためにパソコンを使っている。3年たってやっとVML(ベクター画像)までたどりついた。点の集まりであるラスター画像は拡大すると点が大きくなり画像が粗れてくる。画像を拡大するとその構成単位である点自体が拡大するためである。これに較べてベクター画像はいくら拡大しても構成単位の点の大きくならず、拡大の都度計算式を使ってきれいな画像が新しく作られる。ちょっと作るのに手間がかかるが見る側からいうとより進化した画像といえる。
2 なばなのしだれ桜

物事の基本 とパソコンの基本 さて、パソコンの出現はやはり人間にとってこれまでに経験したことの無い画期的な新しい出来事なのである。パソコンを始めた人はその人なりにその新しい感動と経験をまとめているのをよく見かける。私も「この新しい経験とは何なのか」を考えて見たい。簡単に言えばパソコンの実体は画面に書かれた「しみの集まり」である。「しみの集まり」はそのままで模様という世界を我々に見せてくれるが、しみの形と配列に規則性を持たせてしみに意味を担わせることもできる。画面の模様は現実のものに近いパターンから、抽象的で人間社会の約束事を知らなければ意味を読み取れないパターンまである。意味を取ってしまった画面の模様は「差異の集まり」である。パソコンの伝えるものはまず第一に差異の模様であり、この模様に意味を付与してもパソコン画面は情報にすぎず実体とはいえない。

情報というものは現実世界のことをすべて表現できるが、現実そのものではない。情報はいわば現実に光を当て紙に写し取ったもので、現実に似ているが多くのことが欠けている。文字で匂いや味や音を表現できるが、文字からは匂い・味・音を想像するだけで感じることができない。音や匂いで文字を作っても同じことで媒体が変わるだけで表現されたものは現実に対していくつもの次元が欠落する。簡単に言えば立体を平面で表現するようなものであり、影とか遠近法で二次元のものから三次元のものを想像させることができるがあくまでも平面は二次元にすぎない。本当の三次元でなく、三次元を表現したものに過ぎない。物事を区別はしているが、現実のものを人に想像させているだけである。 さて、そういうことで、パソコンの扱う情報というものは現実と較べていろいろなことが欠けているのであるが、逆に情報化された物事は単純になり物事の本質がよくく見えるようになってくる。人が物事をよく理解できるようになったのは、物事に名前をつけたからであり、物事の関係を形として取り出せるようになったためである。この情報化の傾向は歴史と共にますます大きくなり、人を動物からますますかけ離れた存在にしてきた。
最近のパソコンの発達とともにより複雑な物事、より複雑な関係を扱えるようになり、人には新しい世界が開け、新しい段階が到来しつつある。パソコンを扱えるようになった人はその新しい世界の経験者であり、新しいところに足を踏み入れたのである。その人となりに応じた衝撃を話し始めているのである。パソコン経験2,3年の人でも結構新しい世界を見つけた人は大勢いる。パソコンでどういう世界が開けたか もちろん切り開いた世界は人さまざまであるが、概していえば表現する力がパワフルになったのである。この現象を昔の事件に例えれば活字の発明に相当する。この発明のおかげでそれまでは文字を書くのに苦労していたのに、文字の型版(活字)ができてインクをつけて押すだけでたくさんの人に自分の考えを伝えることができるようになったわけである。人間にとっては第一番目か、第二番目の情報革命である。今回のパソコンのもたらした革命のおかげで、文字情報はもちろんイメージ情報も容易に作り、かつ多数の人に容易に伝達することができるようになった。
その辺のごく普通の主婦が2年やそこいらでJAVAというプログラムを使いこなし素晴らしい動画を創作している。彼女の心の中に埋もれていた表現したかったものが一気に外に現われ見えるようになり人々は彼女の素晴らしさを知るようになったのである。どんな才能もそれを表現する手段が無ければ花開くことはないのである。しかもその手段を習得する環境作りにパソコンが貢献している。人々はパソコンのお陰で容易に情報を集めることができ、しかも情報を集めた人はその情報を自分で消化して自分なりの情報として再発信している。そういう情報は表現するための手段を探している人にどんなに役立つことかはかりしれない。こうして彼女は自分の心に潜む思いを適切に表現する手段をを見つけ、習得し、かつ表現することができたのである。しかもこの思いを少数の人でなく気に入ってくれる多くの人に伝えることができるのである。そういうことでパソコンは人々に今までになかった強力な表現手段を与えることになったのである。その後情報はどうなるか。

人々の心を打つ情報は残り、心に響かない情報は消えていくのである。情報洪水だ、情報過多だ、情報公害だと騒ぐことはない。情報を選択する方法はいくらでもある。情報が伝わり、本人が伝えたいことばかりでなく、他の人が本人について知りたいことまで判るようになり、少なくとも誤解によって互いに殺しあうことはなくなるであろう。喜ばしいことである。

情報の扱い方 情報の遮断によりどれだけ多くの人が騙されて判断を誤り、その意図に反した行動をしてきたことか想像にかたくない。少ない情報下では実態を隠すことができるが、情報が多くなれば実態を隠すことはできなくなる。逆に一つ二つの誤った情報を流されても容易にそれが誤りだとばれてしまうのである。必ずしも情報は一般的に全部正しいものでもなく、理解しやすいものでもない。
 私も多くの人がそうするようにできるだけ関連する情報を集め真実は何か知ろうとするし、かつこれまでこういうやり方でうまくいってきた。よく強弁し脅しにより事実を誤魔化そうとする人がいるが、情報が多ければ例え一つ一つの情報の信頼性が薄くても全体として信頼性が増し真実が現われてくる。容易に衣の下の鎧を見つけることができるのである。よく同じことを自分以外の人にも繰り返して聞く失礼な人がいるが、あなたが人間として信頼できないということでなくであくまで情報の性質を本能的に知っていて精度を上げているだけなのである。
画面という世界  さて前置きが長くなったが「しみの集合」である画面の情報から何か世の中の本質がわかったのか。ものを考えることは抽象的で難しいものであるが、抽象的なものを具象的なものに置き代えるけることによって思考はきわめて容易になる。人が猿よりよく考える(私はものを考えるということは結局、未来を予測しよりよく生きられるということだと思っている)ことができるのは言葉という抽象と具体のつなぎをするものが使えるからにすぎない。人から言葉を取り上げれば猿並の予測しかできない。
  パソコンの画面も抽象の最たるものである情報という「差異の集合」から作られるが、作られた結果はきわめて単純なかつ具体的なものである。この単純化された世界は他のあらゆる世界を考えるときの参考になる。世界はアトムから構成され宇宙へと広がる。パソコンの画面も「色付きのしみ」という点から構成され画面という宇宙へと広がる。画面という宇宙は現実にはそう大きいものではない。しかし、現実の宇宙と同じく必要があればいくらでも広がって行く。昔は銀河という一つの宇宙しかなったが時とともに複数の銀河が現われ、いまや銀河系の集団がいくつもあるということになり宇宙は昔と比べ格段と大きくなっている。宇宙は現実に広がったわけでなく人間の認識が変わっただけである。さらに現実の銀河の宇宙がアトムの集合であると同様に、画面という宇宙は点の集まりであり拡大に対してオープンである。必要に応じて広げることができる。もっともあまり広げすぎることは人にとっては費用対効果からみてあまり意味がない。小さいほうの極小も、大きいほうの極大も本当の果てはわからない。人は適当な大きさの極小と適当な大きさの極大で我慢しなければならず、又それで十分である。いたずらに上と下の極限を拡大し人々に無用な混乱もたらさないでほしいものだ。確認できないことはメルヘンにすぎず事実と厳しく区別すべきである。
宇宙を表現するには 画面の点は現実のアトムと同様にある大きさを持ち、普通には色という属性を持つ。色が白黒でよければ属性は1ビット(二つの区分を知らせる情報)でいいが、1600万色とか、何億色とか欲しかったら数ビットの情報が必要である。個々の点の位置は座標で表わされ、宇宙が4つのマスでできていれば座標は2ビットの情報で指定できる。現実の宇宙を表現するのは複雑で大変だが、画面という宇宙はきわめて簡単に表現でき、宇宙というもの本質を考えるのに便利である。すなわちこの宇宙はドット(大きさをもつ小さな点)という均一なアトムの配列された集合であり、このドットいうアトムは位置の情報と色の情報を持つだけである。画面は小さい宇宙で少しの属性しか持たない要素できている宇宙であるがほんの数ビットかもう少し多い情報で宇宙のすべてを表現できる。宇宙を表現し尽くせることは素晴らしいことである。形の一部が表意文字とみなされ、形の違いに意味を付与されてくると状況はやや複雑になるが、形と色の違いだけに着目すれば宇宙はきわめて簡単なものとなる。すなわち画像だけの世界である。もちろん画像からも人は意味を引き出すが、最初に目に入るのはは具体的な形と色だけである。意味はそこから敷衍されるもので、個人が個性に応じて感じ取るので画像だけの世界とは切り離して考える。
私の意図を表現してくれる宇宙 この画面の世界は私の知的興味を十分楽しませてくれた。私は宇宙とは何かをこの画面宇宙というモデルで考えることができ色々示唆を得た。また、パソコンはこの宇宙を自由に創造することを助けてくれた。私は可能などんな宇宙でも表現でき、かつその宇宙で私の意図を、私の気持ちを表明することができた。もちろん上手い下手はあるがそれは質の程度の問題で本質の問題ではない。 私は何も難しいことを話すつもりはない。現実を丸ごと考えることは複雑で難しいので、現実からどんどん性質外してわずかな性質だけを残せば、簡単に考えることができるといっているのである。現実は色と形と位置と時間だけになる。きわめて簡単になりこの現実について色々考えを巡らせることができる。4つの次元に簡略化された現実は本当の現実より遥かに単純になった。しかしそれでも次元をこまかく分ければ能力に限りがある人間には扱えないほど複雑になる。そこでパソコンが登場しこの簡略化された世界ならすべてを扱うことができるようになったのである。この現実は切り取られた現実、性質の少ない現実であるが自由に扱える現実である。この擬似現実が人間が生存していくのにどんなに役立っているかはかりしれない。なぜなら、予測精度が上がり、予測結果への対応力が向上したのである。パソコンの人類に対する貢献は言い尽くすことができない。

動的宇宙は誰がどうやって動かすか現実の宇宙は静的なものではなく、動いているのが常態である。それではどうやって動かしているのか。見る限り現実の宇宙では潜在的エネルギーが連鎖的に触発されて自走している。因果の関係も複雑でその実態はわかりにくい。然るに画面宇宙ではその構成アトムごとにあるいはその集団の時間的軌跡を指定する手順書を与えることにより自由に動かすことができる。この宇宙からは現実宇宙の因果関係の情報はえられない。すべて人が指示しているので原因はすべて人の側にあり結果だけが見れるだけである。しかし、その運動の姿、人に与える効果等は十分わかる。シミレーションなどという現実世界を擬似的に体感できる使い方もある。指示書を書いてその動きを観察することにより、指示書の表現が動きをどう変えるか、あるいはある動きが必要ならどのように指示書を書けばよいかが判ってくる。この画面宇宙の動きから現実世界がモデルどおりならどう動かしたらどうなるかはわかる。しかし、因果の本質はつかみきれないので完全には世界を思い通りに動かすことはできない。よくモデルどおりに世界が動くと思っている人がいるが、そんなことはない。モデルは現実に似ているが現実そのものではないので、常にはずれることを肝に銘じておかなければならない。
パソコンで作り出す宇宙とは 絵画とか、お花とか、盆栽とか、お茶とか、音楽とか、舞台とかいう芸術・芸能の本質がすべてこの画面世界に入っている。オブジェクトを作ったり選んだりして空間に配置し、その構成により擬似的宇宙を作りだし、自己を表現するとともに他人を感動させる。その表現方法のスタイルは、確立した伝統的なものから、今作ったばかりのものまでいろいろのものがある。しかし、パソコンはこれらを大衆化するとともにその本質を透明にして見せてくれた。したがってスタイルの完成度にこだわらなければ誰でも自分流の芸術を作り出すことができる。アトリエも、カンバスも、絵の具もいらない。先生も、辛い修業も要らない。パソコンで先達の作品を取り込みその表現を研究することにより、作品の本質がよくわかり、技法も部品もすぐ見て取ることができる。何しろパソコンに取り込まれた作品は隅から隅まで余すことなく点検できるのである。
ベクター画像とラスター画像 画面に画像を描く。その効果の必要性に応じた粗さで書けばいいのは当然である。イラストはその大きさで描き、写真はそのサイズで粗さを確認して画面に載せればよい。人間の分解能以上の細かさは必要ないので、そこまでは拡大してよい。しかし、単体の画像を作るときと画面に載せるときが違えば、画像を限度を越えて大きくしたいこともある。そんな時ラスター画像は粗さが気になり拡大できない。ところがベクター画像はその都度式から描きなおすので、大きくなれば構成アトムが自動的に増え粗くなることはない。そういう理由でベクター画像の方がラスター画像より進歩しているといえる。今ここにベクター画像を扱えるようになり、いかに簡単にベクター画像を作り出せるかに腐心できるようになった。画面という宇宙を理解し、その宇宙の特性を生かした表現法を工夫することにより良い作品を作り出せるならばまことに喜ばしい限りである。現実の世界でその最小構成要素(原子でオングストローム)に直接ぶつかることはないが、パソコンの世界では常に最小構成要素(10分の1ミリ程度の粒)にぶつかり面白い経験ができる。 (完)

3 河津桜 なばなの里 4 こぶしの花 なばなの里 5 パンジーの花 6 赤いチュウリップ 7 黄パンジーと赤いチュウリップ 8 高台から見渡した景色 9 建物と池 10 アイランド富士 11 鳥が止まっている桜の木 花鳥