北海道に生きる

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若いときは皆悩む、悩んでいてもすぐには解決しない、とりあえずなんでもいいから仕事をして、仕事をしながら、好きなだけ悩めばいい。

ことわざで「石の上にも三年」意味は
どんなに苦しくても大変でも、じっと辛抱すれば必ず報われる。

私なんか3年も辛抱してなかった。
それと10年後の自分の人生は、どうなるか
わからない。

未来像のビジョンを持つことも大事かもしれないけれど、10年先のことをは考えず、2、3年先を考えていれば十分だと思う。

まして70歳の私なんか一年先を考えていれば
いいのだ。

過労死で亡くなる方がいますが、私だったら
過労する前に会社を辞めますけど。

死んでしまったらなんにもならない。
仕事は選ばなければいくらでもある。
命は大事しなければならない。

人を殺したいと思ったことはあったけれど、
自分の命を絶つと考えたことは、私の人生では
一度もなかった。

死んでたまるか、死んでたまるか、
黙っていても死はやってくる。


  




      





















 








































学校を卒業してすぐには就職しないで、公務員になるための受験対策問題集を揃えて勉強したり、実際に受験したりしていました。

私が卒業したころは自衛官、刑務官、警察官、消防、交通局、郵政省、国鉄その他公務員になるには、今より比較的容易だったのに、私は実力もないのに選んでばかりいたので、公務員にはなれなかった。

警察官では音楽隊に入って、音楽をやって見たいなと思ったり、
消防の受験では同じ学校の後輩に会ったけれど、彼は消防官になって
真面目に勤め、もう定年後の人生を過ごしているのかなと思う。


私は平々凡々と生きてきたからハングリー精神というものがない。
根本的に労働をするという、意欲がほとんどなかった。
なんという怠け者だと、いまになって感じています。


       



バスの車掌、工員、セールスマン、事務員その他の仕事を転々として、
定職することはなかった。

頭の中は会社が5時に終われば、その後寝るまでの間に何をして遊ぶかということばかり考えていました。

給与日前にお金がなくなれば、おとなしくしたり、質屋に行って金を借りて
その金でススキノに行って遊ぶ。


                                       


ススキノに「プレイボーイ」というダンスホールがあって、文字通り私は
プレイボーイ、昼は不真面目な会社員、夜は元気な青年、
こんな人間はいつの時代もいますね。


大通公園で彼女と待ち合わせをしている時に、昨日遊んでいた別の女の子が職場の同僚と昼休みをしていたところで、偶然会ってしまい大変気まずかった。

喫茶店も至る所にあり、デートといえば、まず喫茶店。
携帯電話もなかった時代なので、次回のデート日はその時に決め、どちらかがそれを忘れるか、無視すればその後はない。


 



こんな私でしたが、徐々に並みの社会人になりました。

当時は簡単にお金を借りられるシステムはなかったので、もし今あるサラ金
のようなのが当時あったら、きっと私はそれに手を出して痛い目にあったかも知れないと感じます。