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History

History Of Sunnynook Family

Start

新しいフラットを探している時に、たまたま見つけたのがこの家だった。
3ベッドルーム庭付きの、景色の良い、そこそこ広い家。
ダブルガレージに引かれ、借りるのを決めたのは家を見に行った日の夜だった。
NZに来てまだ2ヶ月、そんな人間が家を借りて生活出来るかとかなり悩んだけど、
何とかなるさの精神で決めてしまった。

ここから俺の大家人生が始まる。

家を借りるにあたって一番問題だったのが「家具」だった。ほとんど何も無く、
オーナーの好意で冷蔵庫とベット2つテーブルに椅子6個といくつかの食器類を譲り受けた。
その次の問題が「誰と住むか」だ。これにはさほど時間はかからなかった。
家を決める前にある程度学校の友達で、部屋を本気で探している人をリサーチしていたからで、
その友達に声をかけ家を見せたら、気に入ってくれてすぐに決まった。
当初4人で住む予定だったが、声をかけた韓国人(John)が友達を連れて来た為、5人での生活となった。
とりあえず生活するには出来るのだが、まだまだ物が足りなく買い物をしなければなかった。

始めに友達が2人(Yukari&Ai)が入りその1週間後俺が入り
さらに1週間後2人(John&Jung-Ho)が入ると言うスケジュールだった為、
急いですべてをそろえる必要が無かったのが結構楽だったが、
その当時は車を持ってなく、何をやるにも不便だった。
その為、毎週末レンタカーを借りて動き回ざるをえなかった。
洗濯機は中古で探したが、ベットは中古で売ってるお店が見つからず、
新品を買った。その他布団やシーツ調理器具などもそろえた。
今思うと、この時が一番お金を使いまくっていた時だと思う。
家の物を含めると一ヶ月で5000ドル使っていた。これで半年以上生活できるというのに・・・。
洗濯機やベッドなどを買ってれば当然なのだが。

Nothing

生活のし始めは本当に何も無かった。ヒーターすら無くどうやって暖を取るかが問題だった。
幸運にも家にはバスタブが着いてるので本当に寒い夜には湯船に浸かる事も出来たが、
この国はお湯がタンク式の為追い炊きが出来ず、何回もバスタブのお湯を入れ替えると
すぐにタンクのお湯も無くなり水になってしまう。かなり使いずらかった。
夜はとても静かでテレビもラジオも無い状態の為何か話してないとチョット不安だったのを覚えている。
吉幾三の歌でそんなのがあったよな・・・。

食事も皆で作るのだがこっちのキッチンにまだ慣れておらず思ったとうりには出来なかった。
しかし、人間ってのは結構何事にも慣れる物で
住めば都って言葉があるように2、3日目には何も気になら無くなっていた。
それと家自体もとても居心地が良くすぐになじんでいった。

その後 JohnとJung-hoがフラットに来るのだが、そこから生活ががらりと変わる。
なぜなら彼らは韓国人(コリアン)だからだ。
今までの生活で外国人と生活を共にするなんて経験がない為どうなる事やらと心配していた。
しかしそんなことよりももっと重大な変化があった。

それはテレビである。

なんと Johnがテレビを持っている為、我が家にテレビが転がり込んで来るのだ!
ってゆうかそのために呼んだ?

Grow up

JohnとJung-hoが家に来る日俺は学校を卒業した。結局8週間だけしか通わなかった。
その後2人を pick upする為車を借りて迎えに行った。
Jhonは YMCA Jung-hoはホームステイだった。
Jung-hoは問題無かったのだが、問題だったのは Johnだった。
なぜなら荷物がやたらと多かったのだ。テレビも思ったよりでかく(かなりワクワク)、
そのほか食器やら何やらで車がすぐにいっぱいになった。

家に着いて最初にした事は…もちろんテレビです。
早速アンテナを付けてみると、やっぱりいいね、なんて思っちゃう。
テレビで言ってる事は全然理解できてないんだけど、有ると無いじゃ全然違うね。

ここでレベルアップって感じがした。

その後ヒーターや布団、調理道具などをそろえていった。
今となっては車やコンピュータまでもが手に入り、かなり充実した生活が送られています。

仲間も徐々に増え、みんなこの家を気に入ってくれて集まってきてくれます。
こんな時、この家を借りて良かったななんてシミジミ思っちゃうんだな。

その後いろいろなハプニングに見舞われるのだがそれはまた次の機会にでも…。

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