Syuugoroの格言集
《ま〜わ》

【ま】満足【み】未来 【む】無常 無知 【め】目先の利益 【も】模倣 目的
【や】約束 野心【ゆ】勇気 友情 ユーモア 許す 【よ】欲求 喜び
【ら】【り】リクルート 理性と感情 理想 良心 倫理【る】ルサンチマン 【れ】劣等感 【ろ】労働
【わ】笑い

 


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《ま》

満足
満足は富にまさる。(モリエール)
 人の持っているものを何でも欲しがって、手に入れたら見向きもしない人間がいる。世間的な価値を追いかけて、自分の世界を持たない。
 自分の持っている可能性を実現する喜びは、いかに高価であっても自分の内発的な欲求につながらないものを手に入れることと変えることは出来ない。「襤褸は着てても心は錦」という心を「きれいごと」とか「空想」とかあざ笑っている人間が真の幸福を手に入れることは永久にないだろう。(7月12日)


《み》

未来
◆今日がだめなら明日があるさ
 明日がだめならあさってがあるさ
 あさってがだめならしあさってがあるさ
 どこまでいっても明日がある(ひょっこりひょうたん島『ドン・ガバチョの歌』)


《む》

 

無常
ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。(鴨長明)

花の咲き散り、人間の生死、嘆くべきことにあらず。(井原西鶴)
 人は死んだら何も無くなってしまうと言って嘆く。しかし自然の営みは、何も人間個人が主観的に快楽を得るためにあるのでは無いだろう。自然の摂理には必ず意味があるから、生物が死んで代替わりすることにもやはり意味があるのだ。
 何ゆえ生物は固体が死滅し、代替わりしてゆくのか。つまりそれが種の存続の一番合理的で確実な方法であることと、生物が進化するための唯一の方法だからだろう。
 ということは生物の個体は種が存続し進化するためにあるのだということになる。その自覚を持てば自分が種の存続と進化のためになにがしかの働きをして、更新に委ねて死んでゆくこともまた自己実現なのである。その働きを充分にすることが出来れば、自ずと死を受け入れる心は定まるのだろう。(11月20日)

無知
煙から逃れようとして火の中に飛び込む(ルキアノス『メニッポス』)

 無知な友ほど危険なものはない。賢い敵の方がまだましだ。(ラ・フォンテーンヌ『寓話』)
 将棋を知らない人と将棋をしても全くかみ合わないように、ただ世間に迎合するだけで、判断するべきことがらを判断する能力のない人とどれだけ話をしてもかみ合わないだろう。敵であっても判断する能力のある人と話をしている方が生産的であることは確かだ。(11月11日)


《め》

目先の利益
小利を見れば即ち大事ならず。(論語)
 目先の利益や快楽を追いかけて生きていると、本当に自分が持っている能力や可能性を実現する心を失ってしまう。そして年老いても、周りの人に疎まれながら、何の覚悟もなく迫ってくる死という絶望に支配されて日々鈍痛のような不幸の中に暮らさなければならない。
 自分の能力や可能性を実現することに喜びを見出す者は、死というものも自分の人生のドラマを完成させるために使うことができる。(9月29日)


《も》

目的
小利を見れば則ち大事ならず。(論語)

模倣
模倣によって偉大になった人は、かつて一人もいなかった。(サミュエル・ジョンソン)
 僕ら偉大とは無縁の凡人でも、やはり人の生き方を模倣したり、世間的な価値ばかり追いかけていたら、充実した人生を送ることはできないだろう。充実した人生というのは自分の個性を実現する中にしかない。
 間違ってならないのは、個性というのは誰でも出来ることは切り捨てるというものではない。誰でも出来ることが人と同じように出来るというのはすばらしいことである。例えば自転車に乗れることだ。そして自転車に乗ることが出来れば、それに乗って人と違うところに遊びに行けるではないか。(8月4日)

 


《や》

約束
約束するのに最も手間取る人が、一番忠実に約束を守る。(ルソー)

 誠実な人というのは、自分に出来そうにないことは、決して約束しないのだから、相手を喜ばせるような言葉を軽々しく言わない。それどころか、耳に痛いようなことを言うこともあるだろう。
 自分を喜ばせるようなことを言う人ではなく、自分の長所も短所も見ていてくれて、なお自分の価値を認めてくれている人こそ、最も大切にしなければならない人である。(10月19日)

野心
野心は大きな魂よりも、小さな魂に取り付きやすい。ちょうど火が大きな宮殿よりも、小さなわらぶき屋根につきやすいように。(シャンフォール『格言と反省』)

 野心というのは、自分の世界を持っている人が、自分の可能性を実現しようとする心ではなく、自分の世界を持たない人が、世間的な価値を奪い取ろうとする心である。だからその人の野心が実現して、いかに高い社会的地位を得ても、真に価値あるものを生み出すことはなく、自分の世界を持たないから、どこまでいっても真に充足されることはない。(2月10日)

 


《ゆ》

勇気
義は勇によりて行われ、勇は義によりて長ず。(吉田松陰『士規七則』)
 正義はそれを守ろうとする人々の勇気があって初めて実現する。また人々の勇気は、正義を実践することによって成長する。

卑劣な行為に立ち向かうのは勇気である。しかしまたそれに耐え忍ぶのも勇気である。
 
長い人生には我慢できないような卑劣な行為に遭遇することがたくさんあるだろう。ある時には勇気をもってそれと立ち向かわなければならないが、我慢する方が良い時もある。必要なのは最も良い解決のために自分が何をするかということだ。(8月23日)

生きることが死よりも恐ろしく、苦痛である時、あえて生きることこそが最後の、そして真の勇気である。(トーマス・ブラウン)
 
男の平均寿命を引き下げる程の自殺者が出る今の日本の社会。その中で苦痛から逃れるために死んで行く、あるいは死にたいと思っている人がたくさんいる。日栄のような貸金業のごろつき社員に毎日毎日脅迫されたり、違法取引や汚職行為を会社から、上司から強要されたり。子供までがいじめにあって死に安らぎを得ようとする。
 借金から逃げ惑いながらでも、会社をくびになっても、生きていれば、再び芽吹き花咲く時が必ずくるだろう。

義を見てせざるは勇無きなり。(論語)

勇敢な行為は、決して勝利を欲しない。(トーマス・フラー『グノモロジア』)
 
人はもちろん勝算を考えて行動する。しかしいつも勝算があるわけではない。最善を尽くしてもなお、勝てるかどうかわからない時がある。そんな人生の重要な岐路に立ったときに「負けても悔いはない」と思えるような生き方。それが勇敢ということだろう。(8月9日)

いかなる臆病太郎でも、「お前は強いぞ」といつも励まされたら、卑怯な真似は出来ないものである。(犬養毅)
 晩年は軍部に追随する政友会に取り込まれてしまった犬養毅だが、もともとは人間性の意味を知る人だった。
 教育というのは知識や技術を与えるだけのものではない。それ以上に自己実現する内発性と意欲をを与えることだろう。それが出来れば知識も技術も倫理観も、放っておいても子供は独りでに身に付ける。
 教育の本質が「育む心」や自己実現する内発性を育てることならば、「褒める」ことは教育する者にとって最も大切なことだろう。今の日本に蔓延している管理教育や過保護、過干渉、軽蔑を含んだ叱責、或いは無関心などは、子供の最も大切な芽を壊してしまっている。何よりもまず、教育するものが育む心を持っていなければならない。

 

友情

友情とは魂の結婚である。(フランシス・ベーコン)
 二人を結びつけるものが相補性か同質性かは別にして、その絆の強さにおいて、恋人や夫婦、家族と同じように深い愛情を感じることができた時、その友情は本物だといえるのではないか。愛の本質は変わりはない。それはその人を育みたいと思う心である。(4月20日)

ともに泣くことほど、人の心を結びつけるものはない。(ジャン.J.ルソー)
 「哀しみ」という感情は愛する心があってはじめて生まれる。ともに泣く人がいる時、お互いは愛する心を共有しているのだ。大人になっても哀しみに涙するこころを持ちつづけたい。

友は喜びを倍にし、悲しみを半分にする(キケロ)
 今の日本にはこういう友情がすっかり少なくなってしまった。子供時代に、昔なら当然あった筈の子供社会がなくなってしまっている。少子化、子供の世界への大人の介入、学習塾、テレビゲーム、情緒的な体験をする機会の喪失。社会の便利さが生んだ、人の助けがなくても生きて行けるという幻想など。深い人間関係を作らせない要因は数え上げれば切が無い。そして深い人間関係を拒否する心理が蔓延している。これで良いはずは無い。もっと大人自身が情緒的な体験、感動する心を持たなければどうにもならない。(3月19日)

友人
無知な友ほど危険なものはない。賢い敵の方がまだましだ。(ラ・フォンテーンヌ『寓話』)
 将棋を知らない人と将棋をしても全くかみ合わないように、ただ世間に迎合するだけで、判断するべきことがらを判断する能力のない人とどれだけ話をしてもかみ合わないだろう。敵であっても判断する能力のある人と話をしている方が生産的であることは確かだ。♪

ユーモア
ユーモアのセンスを持っていると人間性の矛盾を楽しむようになる。(モーム)
 
生き方や考え方に矛盾の無い人というのは、決して成長することがない。何かをしようとすれば、必ずその行為の中に目的と矛盾したことを含んでいるものだ。その矛盾を自覚することが、さらに人間性を育むことになる。(11月8日)

許す
◆許すことは忘れることではない。(アンドレ・コント=スポンヴィル[1952-]哲学者)

 


《よ》

欲求
真の欲求なくして真の満足は無い。(ヴォルテール)
 
真の欲求とは、目先の快楽や、世間的な価値では無く、自分の内面から発する欲求、自分が持っている能力・可能性を形にする喜びということだろう。自分の持てる力が形になり、育ち、新しい価値を創造してゆく時、自分の存在感、充足感がある。そして、たとえ少数でも、理解し評価してくれる人があれば、もう他に何も必用としない。(6月1日)

喜び
生の喜びは大きいけれども、自覚ある生の喜びはさらに大きい(ゲーテ)

思い出のうちに残っていないような喜びは真の喜びではない。
  (ダニエル・サンダース)
 最近の「楽しければ、面白ければそれでいい」という生き方は「思い出に残る喜び」どころか、たえず新たな快楽を補充しないと所在感を失ってしまうようなものだ。
 人生の深刻な問題を切り捨てる人間は、明るいどころか最も暗い人間だと思う。逆に人生の哀しみを知る人間は、愛を知る人間であり、真に明るい人間である。(7月17日)

喜びが何であるかは、多くの苦しみを耐え忍んできた人のみが知っている。その他の人々は、真の喜びととは似ても似つかない、単なる快楽を知っているに過ぎない。(ヒルティ)
 『眠れぬ夜の為に』の著者ヒルティの言葉である。ヒルティは本職はスイスの法律家だが、猛烈に勤勉で誠実で公正で・・・僕なんか足元にも近寄れない人間だ。そして僕は苦しみに耐えたといえるほど、偉そうな生き方は出来ていないし、ヒルティの本を2,3ページも読んだら、すやすや眠ってしまうようなダメ人間だが、その僕でも、真の喜びというのは悩みや、寂しさ、哀しさなど、人生の影を体験する中に得られるものだと感じている。(9月27日)


《ら》

【来世】
 来世とは、結局子孫の生きる世界のことである。

【ライフスタイル】

【落伍】

濫行

 

 


《り》

利益
小利を見れば即ち大事ならず。(論語)
 自己保存にしがみつき、不快を避け、目先の利益や快楽を追いかけて生きていると、本当に自分が持っている能力や可能性を実現する心を失ってしまう。そして年老いても、周りの人に疎まれながら、何の覚悟もなく迫ってくる死という絶望に支配されて日々鈍痛のような不幸の中に暮らさなければならない。
 困難を克服することが自分の能力や可能性を大きくすることは疑いのない事実だ。瓦礫を取り去って畑を拡げるように、自分の世界を大きくしてゆく。
 真の幸福は自分の能力や可能性を実現する中にこそある。そして自分の人生を精一杯生きたという中でこそ死を自然に受け入れることが出来る。その覚悟を得れば、自分の人生のドラマを完成させるために、必要があれば自分の命を使うことすらできるだろう。

理性と感情
感情的であり過ぎると理性を失い、理性的でありすぎると感情を失う。大切なのはそのバランスだ。(Syuugoro)
 非常に理想的な思想を持って、理性的で、行動力もあり、教養も深い人間が、人の哀しみや喜びに共感する感情が希薄で、人の幸不幸を理性で理解しようとする。人の心に感動するより、自分が理性的に行動できているかどうかの方に感情が動いている。それでは究極のところで人を幸福にすることは出来ないだろう。「ともに泣く」という心がなければ何にもならない。(12月14日)

◆神よ、私達に変えること出来ないことを
心静かに受け入れる寛大さと、
変えるべき事を変える勇気、
そして変えることの出来ないことと変えるべきことを
見分ける知恵を授けたまえ(R.ニーバー/アメリカの神学者)

理想
人間こそあるがままの事実と、あるべきはずの事実との相違に心打たれる唯一の動物である。(ハズリット)
 
人は理想と現実のギャップを背負いながら生きている。その乖離に人は苦しみ、そして絶望する。しかし、それだからこそ人間なのである。多くの人は理想を捨てて大人になる。そして理想を持ちつづけている人を、「青臭い」とか「学生気分が抜けない。」などと言って蔑む。
 しかし理想をすてて、代わりに快楽と現実を追いかけるようになったら、肉体は生きていても、もうその人の精神は死んでいる。現実とのギャップに苦しみながらでも、死ぬまで理想を捨てずに生きる。その中にこそ生きる意味もあり、幸福もある。そしてそれは気持ちの問題で、才能などはいらない。誰にでも出来ることなのだ。(11月5日)

どんな真理や理想も、手がけるやつが糞みたいなやつなら、真理も思想も糞になる。(五味川純平『戦争と人間』)
 共産党の下部組織で理想に燃えて運動していた標拓郎は警察に逮捕されるが、逮捕されて屈服したのではなく、幹部が芸者と遊んでいるところを逮捕された話を聞いて共産党に幻滅する。 釈放された後、徴兵された拓郎が久しぶりに弟の耕平と会った時、耕平に言った言葉である。(12月23日)

良心
良心こそわれわれの持っている買収のきかない唯一のものである。
 (フィールディング/18世紀のイギリスの作家)
 買収されない良心を持つことは自分の世界を持つということだ。目先の利益のために自分の良心をすてることは自分の世界を捨てることである。人の世界に追随して、自分の世界を捨てれば、その時だけの卑屈な快楽を得ることは出来るが、最も大切な自分の居場所を失ってしまう。(1月18日)

倫理
幸福論を抹殺した倫理は、一見いかに論理的であるにしても、その内実においては虚無主義にほかならぬ。(三木清/哲学者)
 三木清を獄死させた戦前の軍国主義は国民に虚無主義を強要した社会だった。その軍国主義者の後継者である自民党が今も日本を支配しつづけている。その矛盾が教育の荒廃という形で噴出しているのだ。真に人の幸福を考えられる社会を作るには、彼らにまかせてはおけないと思う。(11月15日)

倫理的自我は芸術的感受性と同じように10才までに出来上がってしまう。(Syuugoro)
 「嘘をついたら気持ちが悪い。人に害を与えたら良心の呵責を感じる。」という自我に定着した道徳心、倫理観は芸術的な感受性とか言語的な能力とかと同じように少年期までに出来上がってしまう。
 その時までに身に付けることが出来なければ道徳や倫理観はただ功利的な道具としてしか感じられなくなる。倫理的自我というのは、羅針盤のように自分の行動を無意識にチェックしてくれるが、それがないといちいちどちらが得か、後で損をしないかと考えながら行動しなければならなくなり、必ずそのうち見せかけの善良さも、自分の欲に負けてメッキを剥がしてしまうだろう。
 子供には初めは道徳を論理的に理解する能力が無いから、ただ罰を恐れ、或いは誉められることを求めて大人の命令に従う。その後に道徳の論理的な意味を感じるようになり、道徳的であることに喜びを見出してそれを自我に定着させる。そのことを考えれば、少年期までの教育に厳正、公正な賞罰がいかに大切かということがわかる。昨今の自己中心的な若者の犯罪の根本的な原因は、少年期までの倫理的な自我の未形成であると思われる。

それがいかに正しくとも、権力を持つ人が倫理を強制してはならない。(Syuugoro)
 市民であれ、旅行社であれ、人はそこに生活している限り、その地の法を順守するべき義務を負う。しかしそれ以上の倫理は個人の人生観に委ねられ、決定されるべき問題である。倫理について権力者が強制や指導をするならば、いかに正しい倫理であれ、その時それは死んでしまうだろう。
 いま教育の荒廃が問題になっている。その原因の一つとして国民の倫理観の喪失ということがあるのは確かだろう。それに対してある人は政治の力で、倫理を国民に強制するべきだという考えを持つ。しかし一度政治の力で強制されれば、それはもはや倫理ではなく、匿名の法となる。この匿名の法が支配する社会ほど病的なものはない。
 教育の問題はあくまで親と教師が、地域の評議会組織などを作って、合意を形成しながら進められるべきである。上意下達でことを進めれば、教育そのものが死んでしまう。


《る》

 


《れ》

劣等感
心貧しきものは幸いである。天国は彼らのものである。(新約聖書)。
 たいていの人は何らかのコンプレックスを持って生きている。それ故、人は自分を克服し成長しようとする。それが人として正常な姿なのだ。しかしコンプレックスが何を生むかが問題だ。人の価値を嫉妬し、奪い、否認したり、或いは自分の中にあるコンプレックスから目を背けて、「自分に克服するべき問題などはない」と居直るのか、人の価値を認め、憧れの心を持って、それを育もうとするのか。どちらを選ぶかで全くことなる人生をたどることになる。
 自分の中にある嫉妬や恨みが自分の心の貧しさの故であることを知り、人の才能や幸福を羨むのではなく、いかに貧しくても自分が与えられた能力と可能性を、精一杯それを形にすることが自分の行き方であることを知れば、もはや人生に迷うことはないだろう。それが自然の摂理、神の意思に従って生きることである。そういう生き方をすれば、必ず神(自然の摂理を営む力)は自分の生きかたを助け、天国(死を超えた充足した世界)に導いてくれるだろう。


《ろ》

労働

浪費
浪費というのは自己喪失である。(Syuugoro)


《わ》

笑い

笑ったものが皆友ではない。怒った者が皆敵ではない。(モンゴル諺)
 「良薬、口に苦し」という言葉があるが、それを我慢して受け入れる心が、自分を成長させ、真の友を見出すのだろう。しかし真の友はなかなかいないものだ。ディオゲネスという古代ギリシャの哲学者だったと思うが「人間はいないか。人間はいないか。」と叫びながら町の中を歩いていたという。
 損得・勝ち負けと目先の快楽を追って生きる人は、損得と快楽の為に友を作る。しかし真実を求める人は、「人として自分に与えられた能力・可能性を全うすること」を忘れず、互いに育みあえる人を求め、友とし、妻とする。前者が喧嘩するのはただ餌の奪い合いであり、後者が喧嘩するのは易きについて志を忘れた友への叱咤である。(6月29日)

赤ん坊は満足の笑いしか知らない。そして成長するにつれて、会意・発見の笑いを覚える。その後、優越の笑い、愛想笑い、自嘲の笑い、皮肉・軽蔑の笑いへと堕落してゆくのだ。笑いはその人の人間性を示す。笑いを作るものが満足と、共感と、ユーモアと、愛であるような人間でありたい。(Syuugoro)
 
最近美しい笑顔が少なくなったと思う。そしてやたら防衛的な鎧のような笑いが増えている。相手が自分の内面に入ってくるのを防ぐために笑うのだ。一言いうたびに、声をあげてげらげら、げらげら笑う若者が居た。病的だと思った。
 自分の内面に自分の城を作れない。だから自分を愛せない。そして人に共感できない。だから人も愛せない。そんな愛の無い、鎧のような笑いが増えている。
 世間的な価値を追いかけて、競争に煽られて生きるのはやめよう。二流でも、三流でも、貧乏でも、下住みでも良いではないか。ただ一度だけの人生なんだから。自分の人生を愛する心を持てば、そこには一生かかってもやりきれないほどの仕事がある。(6月28日)

笑いはその人の心理の表出であるが、真実の表出ではない。(Syuugoro)