北朝鮮に行くことはしばらくは無理だろうと思っていたのだが、1996年春頃から状況に変化が見えてきた。北朝鮮の外貨獲得政策と日朝間の外交努力が実を結び、2年ぶりに日本人旅行者に対する門戸が開いたものだ。朝鮮総連の外郭団体主催のツアーがその主なものだが、ピースボートによる船の旅、統一協会による聖地巡礼ツアーまでが軒並み可能になった。

 今回参加したツアーは「株式会社中外旅行社」が主催する「平壌-妙香山5泊6日コース」。このコース以外は結局募集人員に満たないため全てキャンセルされたとのこと。これ以外に選択の余地はないため申し込むことにした。

 コースの日程は次の通り。

8月7日(木)名古屋空港発14時(KOR636便)。17時平壌着。通関後専用バスでホテルへ。平壌泊。
8月8日(金)平壌市内観光(萬景臺、凱旋門、主体思想塔等)。妙香山へ。妙香山泊。
8月9日(土)普賢寺、国際親善展覧館など見学。周辺滝巡り。夕刻平壌へ。平壌泊。
8月10日(日)平壌市内観光(地下鉄、牡丹峰公園等)。午後、ショッピング。平壌泊。
8月11日(月)開城へ。着後、軍事境界線の板門店。高麗博物館見学後、平壌へ。歓送宴。平壌泊。
8月12日(火)専用バスにて平壌空港へ。平壌空港9時発(KOR637便)。12時名古屋空港到着、解散。

 なお、ツアーの参加費は23万8千円也。その半分以上は往復航空機のチャーター代である。


 8月7日(木)。12時に名古屋空港ロビーに集合。
 我々のツアーは総計19人。この他に中外旅行社の曹民学さんが添乗員として同行する。
 なお、このチャーター機にはこのツアーとは別に、北朝鮮にだ捕された能登の漁民の釈放交渉に向かう石川県の議員連盟の人達や福岡の議員団、それにNHKの記者達も同乗している。12時30分、高麗コリョ航空のカウンターでチェックインを済ませる。1時50分、出国手続きを終え、搭乗を待つ。1時40分、高麗航空636便(TU154B朝鮮民航旅客機)に搭乗。飛行機の搭乗口ではスチュワーデスの同務たちが「アンニョンハシムニカ」と明るい笑顔で我々を迎えてくれた。

 機内は冷房が故障しているらしくひどく暑い。乗客は配られたうちわを手に、汗だくになりながら扇いでいる。
 2時15分、この旧ソ連製ツボレフ旅客機は、機体のあちこちをうるさく軋ませながら滑走路を離陸。飛び上がった拍子に非常口の部品がふたつほど座席の前に落ちてきた。この飛行機はこのまま北上。新潟上空からウラジオストーク上空を通過し平壌に入る。

 名古屋から2時間半あまり、ようやく眼下に北朝鮮の国土が見え始めた。
 4時50分、飛行機は平壌スナン-コリョ国際空港に着陸。畑の中にコンクリートを敷き詰めた程度の簡素な滑走路を一気に走り抜け、空港ビルの前で停止した。管制塔の中央に掛けられた故金日成首席の大きな肖像画は、「北朝鮮に来た」という事実を改めて認識させる。
 入国審査は極めて簡単なものだった。入国書類を提出し、入国管理官がパスポートの写真と本人とを照合するだけで終わりである。ビザや入国スタンプなども一切なし。税関でかばんを開けられた人もいたが、1時間足らずで全員無事通過することができた。

 空港からは北朝鮮側の担当旅行社である朝鮮国際旅行社に合流した。旅行社のバスに乗り市内に向かう。車内では朝鮮国際旅行社のガイドの方々の自己紹介、旅程の確認などが行われた。北朝鮮側のガイドは朴さん(35)と李さん(30)の二人。学生時代に日本人に習ったとのことで、日本語も堪能である。二人とも農村支援のため日に焼け、まるでアフリカ人のような顔をしている。

 6時過ぎ、平壌での宿所となる平壌高麗ホテルに到着。45階建ての、新宿都庁のような立派な建物だった。ロビーに集合し、添乗員から宿泊心得の教訓を受けてから二人ずつ名前を呼ばれ、客室を振り分けられる。二人一室で、僕は千葉からきた山本さんという方と同室になった。それからフロントで日本円を朝鮮ウォンに両替(1ウォンは約60円)。とりあえず1万円(181ウォン)だけ両替しておく。

 夕食はホテルから約10分の距離にある外国人専用食堂にて準備されていた。次から次へと出されるその量と豪華さに圧倒される。この日は牛とアヒルの焼き肉など。空腹のせいもあり、どれもおいしく平らげた。ただし、ビールだけは、ひどい。北朝鮮のビールのまずさは、話には聞いていたが、麦茶を泡立てたような代物で、しかも冷えていなかった。
 9時、バスは高麗ホテルに到着。部屋には戻らず、同室の山本さんと二人で大同江にかかる大同橋まで散歩をした。(朝鮮語ができない人にはガイドを付けてくれるとのことだったが、わずらわしいので辞退した。)
 ここが平壌かと目をこらす。街路は広く、碁盤目で整然としており、並木がある。暗くても、そのくらいはわかるが、淋しく暗い首都だ。大同江の河畔では恋人たちが肩を並べて座っている。その対岸には、主体思想塔の赤い光が、ぼんやりと平壌の闇を照らしていた。


 8月8日(金)、曇り空の朝。
 早速というべきか、同じツアーの中村さんという方が、早朝散歩に出かけたまま行方不明になってしまった。旅行会社の人達は大慌てだ。しばらく待っていると、警察からホテルのほうに連絡があった。なぜか警察で取り調べを受けているとのこと。旅行社の人達が慌てて警察署へと出向く。
 ガイドの話によると、中村さんが平壌市内を一人で写真をとっているとき、ある平壌市民に呼び止められ、何を撮っているのかと聞かれたらしい。中村さんは朝鮮語ができないため、なにも言わずにただニコニコしていた。その結果かどうか、そのまま連行されてしまったというが、真偽の程は不明。
 中村さんはその後、迎えに来た旅行社の人達に無事保護された。我々のツアーは予定を大幅に遅れ、10時前にようやく高麗ホテルを出発。気の毒な中村さんはツアー全体のひんしゅくを一身に受け、その日は隅のほうでずっと小さくなっていた。

 さて、この日まず最初に訪れたのは「萬景臺」。金日成首席の誕生の地として、平壌を訪れる外国人なら誰でもが最初に案内されることになっている。

 その後バスで「萬寿臺記念碑」へ移動。
 この記念碑は金日成首席の巨大な銅像と記念塔および壁画からなっている。首席の銅像は左手を腰に当ててはるか前方を見はるかし、右手を斜めにかざしている。このツアーで一番の年長者である松浦さんが代表で銅像前に献花する。一列に並び、黙祷。同時に、重厚なバックミュージックまで聞こえてきた。「演出」がよく行き届いている。
 萬寿臺からは地下鉄に乗って市内を移動し、栄光駅にて下車。ここからバスで主体(チュチェ)思想塔へと向かった。
 主体思想塔は金日成首席の誕生70周年を記念して1980年4月に建てられたものである。塔身は150メートル、その頂上に高さ20メートルののろしが装置されている。ここでは石川県出身の小林久子さんという日本人妻がガイドをして下さった。私と同郷なのでとても親近感を覚える。
 主体思想塔につづき、朝鮮労働党創建記念碑、メーデースタジアムへと移動した。途中雨が降ってきたが、北朝鮮人はだれも傘をささず、泰然と歩いてい。これはいったいどうしてなのか。不思議でならない。
 昼食は平壌市内の玉流館という冷麺屋で平壌冷麺を食べた。味は淡泊で、麺も韓国製の冷麺ほどコシが強くはない。なお、冷麺一杯の値段は3ウォンから5ウォン。
一般市民が市内の食堂で食事をするためには、お金の他に所属労働組合の発行券がなければ店内に入ることができないとのことだった。
 午後は、凱旋門にたち寄った後、そのまま妙香山へ向かう。妙香山までは高速道路で2時間弱の距離である。
 4時30分、妙香山に到着。麓にある「普賢寺」を見学。現地の女性ガイドが傘をさしながら案内してくれた。この寺の正門にあたる「嶺山殿」は1042年に建立され、現在は北朝鮮の国宝に指定されている。内装の絵柄も17世紀以来上描きはされていないとのこと。本堂の中では六十程とおぼしき僧侶が黙ってこちらの方を見つめていた。


 8月9日(土)。目を覚ますとカーテンの隙間が明るい。
 8時45分、ホテル発。この日は妙香山麓にある「国際親善展覧館」を訪問する。
 世界中から金日成首席、金正日書記に贈られたという宝物が、ところ狭しと陳列されてある。朝鮮戦争中の1950年9月、スターリンが金日成首席に贈ったという巨大な特注装甲乗用車などはとくに圧巻だった。豪華な壷や工芸品、宝石などに混じって、アントニオ猪木が95年の訪朝時おいていったというニコン製の中古カメラまでがパネル付きで大切に展示されてあった。質屋の抵当にとられたようでひどく哀しい気分になる。
 国際親善展覧館の見学を終えた後、妙香山をハイキング。よく整備された、なだらかな山歩道を1時間ほど歩いた。なるほど、金日成首席が「天下一の名山」というだけあり、緑と滝が調和した素晴しい景勝地だ。雪岳山や金剛山に比べ、山並みはなだらかで、ほとんど手付かずの自然が見事に残っている。一行は滝の前の岩陰で休憩。そこから少し上に登ると金日成首席直筆の書が刻まれた巨大な岩のレリーフが一望できる。ふもとの川では大勢の子供達が水浴びをして遊んでいた。
 2時40分、平壌へ向けて出発。
 4時40分、平壌のサーカス劇場に到着。場内でミネラルウォーターを買い、中央上段の席に着いた。
 外国人用の席らしく、我々以外にも中国人やフランス人など外国人観光客が多数みかけられる。下段右手には人民学校の生徒達、上段は一般の観客、左の席は人民軍の軍人たちが占めている。
 5時開幕。シンクロナイズドスイミングにはじまり、手品、漫才、ブランコ曲芸などのショーが続く。6時過ぎにはすべての公演が終了した。みな自分のゴミを持ち、順序よく出ていく。劇場前では赤いマフラーの生徒達がトラックの荷台に積み込まれて帰って行く。平壌の町は紅い夕日に照らされて、薄く化粧をしたかのように美しく輝いていた。
 8時45分、希望者を募り、ガイドの李さんと一緒に夜の平壌市内を散歩することになった。夜の平壌駅と市の裏通りを見てまわる。
 日本領時代の平壌駅舎は煉瓦造りの重厚な2階建てだったが、朝鮮戦争時に米軍の空襲によって完全に破壊された。現在の駅舎は1954年に改築されたもの。鉄筋コンクリート4階建ての宮殿調の駅舎にかわっている。
 平壌駅前は大勢の人達で一杯だ。誰かを待っている人のだろうか。ベンチに腰掛けて笑談する市民もいれば、外にはズタ袋を持った農民や、入れ墨をしたヤクザらしき人物もたむろしている。若い女性駅員が拡声器を手に出てきて「ここから立ち退きなさい」としきりに彼等を追い払うも全く利目のない模様。
 駅舎内に入ると、右手が改札出口、買票所、案内所になっていた。広い駅舎内は一国の中心駅にしては客は少なく、一部の窓口に人が集まっている程度だった。左手には待合室がある。室内は薄暗く、高級なソファーが30席ほど、前方に17インチテレビが1台置いてあった。20人程の人達が前方のテレビに見入っている。手前には回転式の時刻表があり、行き先のボタンを押せば上の表が回転して出発時間と到着時間を示す仕組になっている。奥には小さな売店があり、お菓子やミネラルウォーター等を売っていた。
 駅舎内を10分程ぶらぶらと見回った後、外に出て夜空を見上げる。平壌の夜は暗く静かだ。エネルギー不足のため街灯などもほとんどない。真っ暗な歩道を若い女性たちが何事もなく行き来しているのもそれだけ治安がいいからなのだろうか。ソウルのような屋台やルームサロンがひしめきあうネオン街もまったく見あたらない。李さんによれば、「朝鮮人民は家に帰り、テレビを見ながら酒やビールを飲む」とのことだった。なるほど、娯楽の少ない平壌市民にとって、酒とテレビは大きな楽しみであることは、無条件で理解できる。


 8月10日(日)。7時30分起床。8時朝食。8時40分ホテル発。
 平壌から開城にむかう道程はじつに壮観だった。市内から郊外に向け、大勢の平壌市民が累々と列をなして歩いている。北朝鮮では、週末になると全ての都市労働者が農村支援に参加する(ことになっており、それを怠った場合には、後に食料の配給量が大幅に制限されるとのこと。また、日曜日は「ノーカーデー」であり、外国人以外は乗用車を運転してはいけないらしい。沿道には農村に向かう平壌市民の列が延々と続く。
 11時、板門店前検問所に到着。ここでガイドの朴さんから板門店の歴史、祖国解放戦争(朝鮮戦争)の経緯、板門店の位置関係などについての説明を受けた。11時45分、バスに乗り、非武装地帯DMZに入る。ここからは「安全のため」との理由から朝鮮人民軍の兵士も一人同行した。12時ごろ板門店に到着。板門閣展望台の前で2列に整列し、日本人、中国人の順で国連軍所属の旧会議場に通された。
 南北の軍事境界線を示す中央のマイクのコードをまたぎ、一列に並んだ座席の南側に腰掛ける。南側には日本人、北側には中国からの団体が着席。人民軍兵士から板門店会議場について説明があった。窓の外からは、黒眼鏡の韓国軍憲兵が二人、会議場の内側を覗き込んでいた。
 その後、板門閣に上り、南側を一望する。ここからソウルまでは50キロ、開城まではわずか3キロの距離である。南側の非武装地帯では大きな鉄筋の建物(会議場?)を造っていた。ツアーの団体たちは各自思い思いに歩き回り、人民軍の兵士達と記念撮影などしている。以前に参加した韓国側からの板門店ツアーに比べ、緊張感はほとんど感じられない。
 12時30分、休戦の調印が行われた判談場に到着。現在も調印当時の状態で保存されており、別室は資料館として使用されていた。
休憩時間には外の日陰で人民軍の兵士を囲んで立ち話をした。政治的な話題だけでなく、四方山話や個人的な質問にも快く答えてくれ、非常に好印象。
 1時30分、板門店を出発。まもなくバスは開城市に入った。 まず現われるのはトタン屋根の廃屋で、わびしい町に来たとの印象を受けるが、しだいに道の両側に樹々と二階建ての白い家々が見えてきた。日本と違って商店街や看板はなく、避暑地のようなたたずまいだ。町の中央の小高い丘の上には金日成首席の銅像が建っている。
 1時50分、開城市内の高麗博物館(旧成均館)に到着。ここには高麗時代の遺物や資料が多数展示してある。息を飲むほどの超美人服務員が笑顔で館内を案内してくれた。

 3時、開城発。平壌へ戻るバスの帰路、人民学校(小学校)の生徒たちの乗るスクールバスを追い抜いた。子供たちは窓から体を乗り出し「ヤッホーッ!」などと叫びながらこちら手を振ってすれ違う。子供はどこの国も同じである。


 8月11日(月)。午前6時に起床。平壌の日の出を見るつもりで早起きしたのだが、あいにくの曇り空。せっかくなので、朝食前にホテルの周辺を一人で散策にでかけることにした。

 平壌市内は朝はやくから職場に向かう人や、道路の清掃をする人たちで一杯である。特に道路清掃は徹底している。大勢の若い女性たちがリヤカーを引き、ほうきや麻袋を手に熱心に掃除に励んでいた。
 平壌駅前でこれら写真をとっていた時、ちょうどカメラのフィルムが切れた。全自動カメラの自動音は朝の静けさを打ち消すに十分な大きさである。ふと気が付くとすでに4、5人の制服警官に包まれていた。
 「おいこら!ここでなにをしている!」
 と、強い口調で呼び止められ、カメラを取り上げられ、アレヨアレヨという間にフィルムを全て抜き取られてしまった。警察に連行されなかっただけども不幸中の幸いである。
 平壌駅前から栄光通りを西に向かって15分程進むと平壌大劇場前の交差点に到着。同じ道をまた歩いて戻るのでは芸がないのでケーブルバスに乗る。バス停には大勢の人達が一列にならんでバスを待っていた。なかなか行儀がいいものだと感心していたのも束の間、バスが来るやいなや、われ先にと一斉に入り口の方になだれ込んで行った。さっきまでの列は、いったい何のためのものだったのか。やはり平壌もアジアの都市である。
 平壌駅行のバスは約10分おきに来るのだが、どれも満員で後から乗り込む余地はほとんどない。いつまで待っていても、これでは埒があかないではないか。三台目のバスが来ると同時に前の列に割り込み、他の乗客を押しのけて、ようやく平壌バスの乗客の一人となる。
 平壌駅までは三つ目の停留所、約5分の距離である。やはり、これでは歩いたほうが早かった。(バスの運賃は10チョン。親切な朝鮮青年がコインを分けてくれたが、なぜか誰も払っているひとがいなかったので、私も払わずに降りた。)
 7時50分、高麗ホテル到着。8時から朝食。
 食事中、食堂のウェイターが南朝鮮(韓国)からきたのかと尋ねてきた。日本人だと答えると「南朝鮮に留学しているんですね」とピタリ当ててしまった。なぜわかったのか聞いてみると、
 「それはイントネーションでわかるものですよ。ソウルに長く住んでいると、ソウル弁(サトゥリ)まで話すのですね」と、ケラケラ笑っていた。
 8時40分、定刻にバスはホテルを出発。萬寿臺創作社訪問。朝鮮画や青磁器等の制作現場を見学した。別館にはお土産物屋まである。ここで右手を高く挙げて格闘するアントニオ猪木の陶磁器が販売されていた。95年の「平壌スポーツ祭典」当時の記念品だとのこと。非常にくだらないとは思いつつも、話の種にいくつか購入しておいた。

 10時からは平壌市郊外の牡丹峰をハイキング。歩道がよく整理されている。丘の上まで登ると平壌市がはるかに一望できる。11時下山。凱旋駅から栄光駅まで地下鉄で移動した。11時50分、金日成広場到着。その後ナショナルレストランで昼食をとる。1時40分ホテル着。
 「朝鮮の愛国歌(国歌)を買いたい」とガイドの李さんに頼んでみると、山本さんと一緒にタクシーで音響社(レコード屋)まで付き合ってくれた。
 高麗ホテルから10分程の距離に「メアリ音響株式会社」がある。まだ開業前で、内装も終わっていない状態だったにも拘らず、「外国人」ということで特別に中に入れてもらうことができた。愛国歌、日本語教材テープ、朝鮮児童映画音楽等、ミュージックテープ9本を購入(一本約6ウォン)。タクシーの料金は往復13ウォンだった。
 3時、平壌牡丹峰第一高等中学校へ学校訪問。この学校の先生が直接校内を案内してくれた。教室に入ると同時に生徒達は一斉に立ち上がり、我々は盛大な拍手で迎えられた。
 校内を一通り案内し終わると、最後に体育館のようなところに案内された。胸に赤いリボンをつけた代表の女の子が進み出て敬礼し、「中国(?)から来られた皆さんを熱烈に歓迎します」との挨拶があった。続いて合唱部の生徒達が出てきて歌を歌いはじめた。宝塚さながらの見事な声量がホールに響く。その演出や一挙手一投足には、一カ月も前から今日にそなえて練習していたのではないかとさえ思われた。
 予定では、その後バスで直接蘇文峰に行き夕食をとる予定だったが、まだ時間がはやいため近くの噴水公園に寄ることになった。ちょうど人民大学習堂の裏手にある公園の正門前でバスをおり、20分ほど公園中を散策した。公園は、結婚式の記念撮影をする新婚夫婦や、噴水の水のなかではしゃぎ回る小学生、遠足で先生に手を引かれてきた幼稚園児たちであふれている。どこの国にもあるのどかな景色。
 蘇文峰には6時過ぎに到着。ここから右手に平壌市内が一望できる。
 丘の上の広場に机を並べ、一同バーベキューを楽しんだ。5日間共にしたこのツアーの人たちとも明日でお別れである。最後の晩餐ということか、この日は特別に豪華な夕食である。牛肉、鹿肉、熊の肉、冷麺など、筆舌に尽くせぬご馳走が、次から次へと手際よくテーブルへと運ばれてきた。(「もしこれを残せば誰かが残りを食べるのだろうか」などと考えると無邪気に皿を平らげることもできない。)


 8月12日(火)、北朝鮮滞在最終日の朝。
 朝食前に残りの荷造りを済ませ、カバンをロビーへ運んでおく。7時前には朝食を済ませ、定刻の7時30分、バスは高麗ホテルをバスが出発、空港に向かう。6日まえ、最初に通った同じ道である。
 8時過ぎ、空港(スナン-コリョ国際空港)に到着。空港の2階出国ロビーには書店や免税店があり、金正日書記の著書や工芸品、お酒、煙草の他、SWATCHの腕時等も販売されていた。
 9時過ぎ出国手続きが始まる。6日間お世話になったガイドの李さん、朴さんと一人ずつ握手をして別れを惜しんだ。9時30分、高麗航空637便に搭乗。
 短い北朝鮮への旅行も終わり、日本に帰国する。わずか6日間の旅行だったが10日にも2週間にも感じられる。我がツボレフ旅客機は、6日前と同じように機体をきしませながら、ふたたび名古屋に向けて飛び立っていった。
(Uplorded in Nov. 2003
)