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池田屋騒動跡地
池田屋騒動跡地

京都市中京区三条通河原町東入る
 (市バス「三条河原町」停留所から徒歩約2分)

 現在は、ぱちんこ店になっており、池田屋はない。
池田屋騒動

 元治元(1864)年6月4日、土方歳三らの拷問によって古高俊太郎は、6月20日前後風の強い日に宮廷に火を放ち、天皇を長州に連れ去るという計画を白状した。更に「池田屋」と「四国屋」が同士の集会所であることも白状する。
 6月5日に新選組は、京都守護職と共同する手はずを整え待機していたが、約束の時間になっても京都守護職は現れなかった。やむなく新選組は午後10時頃、単独で襲撃することを決意。池田屋が四国屋か迷った末、隊を二手に分けることを決める。
 池田屋へ向かうのは近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、谷万太郎、浅野藤太郎、武田観柳斎、奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門の精鋭10名である。
 一方、四国屋へ向かったのは土方歳三を筆頭に20数人。
 実際志士たちがいたのは池田屋であった。
 その後、土方らも駆けつけ、池田屋事件は志士たちのうち、宮部鼎蔵、北添佶麿、大高又次郎はじめ7人を斬殺。10人余りを捕縛した。
 この池田屋事件により、維新が一年あるいは数年遅れたと言われている。

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