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伊東甲子太郎ら数名殉難之地
伊東甲子太郎ら数名殉難之地

京都市下京区油小路通七条下る 本光寺前
 (JR「京都」駅から徒歩約8分)
 伊東甲子太郎は、常陸(茨城県)の出身で、学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。
 元治元(1864)年に門弟ら7人を率いて新撰組に入隊し、参謀として重視された。しかし、尊王派であった伊東は、次第に局長近藤 勇と相反するようになり、慶応3(1867)年3月に同士15人ととに新撰組を脱退して、御陵衛士となり、高台寺月真院を屯所とした。その後、薩摩藩の援助を受け、盛んに討幕を説いた。
 しかし、新撰組との対立は深く、同年11月18日、近藤 勇らは、伊東を招いて酒を振る舞い、酔った伊東をその帰路、この地で刺殺した。
 この知らせを聞いた伊東一派は、直ちに駆けつけたが、待ち伏せしていた新撰組数十名の隊士に襲われ、3名が斬られた。世にこれを「油小路七条の変」という。

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