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紫式部の墓地
紫式部の墓地

京都市北区堀川通北大路下る西側
 (市バス「堀川北大路」停留所から徒歩約1分)

 この辺りは、平安の昔から蓮台野(れんだいの)と呼ばれる墓地だったので、貴族の墓があってもおかしくはありません。
 ここには紫式部と小野篁の墓がこのあたりにあったということは、文献上でも古い伝承として残っています(14世紀の『河海抄』巻1には、すでに記されています)。
紫式部

 父は藤原為時、母は藤原為信で、いずれも歌人・学者の流れをくむ家系である。
 誕生は天延元(973)年頃、藤原宣孝と結婚して娘を産んでいる。長保3(1001)年に夫と死別した後『源氏物語』を書き始めたとされている。寛弘2(1005)年か翌年の暮、一条天皇の中宮彰子(藤原道長の娘)のもとに仕え、『紫式部日記』の中で藤原公任が「若紫やさぶらふ」と声をかけているので、すでに部分的には書き上げていたものと思われる。
 『紫式部日記』は、寛弘5(1008)年に彰子が皇子(後一条天皇)を出産する前後を中心に、和泉式部や清少納言ら、同時代の女房の批評なども書かれている。
 宮中では藤原氏からとって「藤式部(「式部」については未詳)と呼ばれたようであるが、『源氏物語』が『紫のゆかりの物語』などと呼ばれ、最も理想的な女性として描かれた紫上から作者も紫式部と呼ばれるようになったといわれて
いる。
小野篁

 小野篁(802〜852)は、平安時代前期の官人。すぐれた学者・漢詩人・歌人として有名である。遣唐副使に任ぜられたが、大使藤原常嗣と争い乗船を拒否し、嵯峨上皇の怒りを受け隠岐に流された。許されたのちは参議まで進んだ。
紫式部顕彰碑
 ノートが置いてあり、訪れた旅行者がそれぞれの思いや足跡を残している。

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