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中井庄五郎殉難之地
中井庄五郎殉難之地

京都市下京区油小路通正面上る
 (市バス「西本願寺」停留所から徒歩約5分)
 天満屋という旅宿があったところ。
 滞留中だった紀州藩士三浦休太郎とその警備に当たっていた新撰組隊士が海援隊陸援隊に襲われた「天満屋騒動」の現場である。
 慶応3(1867)年12月7日夜、旅籠天満屋に泊まっていた紀州藩士の三浦休太郎を土佐の海援隊・陸援隊の残党達が襲撃し、警護していた新撰組と乱闘になった。

 前月、坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺させた黒幕が紀州の三浦だ、という噂が出回り、敵討ちが行われたのであろうか。三浦の護衛に斉藤一、大石鍬次郎らが当たったが、酒宴をしている時襲われた。まず、居合いの達人・十津川郷士・中井庄五郎が三浦に斬りかかったが、行灯の火が消されて敵味方の区別がつかないまま斬り合いになってしまった。やがて「三浦を討ち取ったぞ!」という声が上がり、刺客達は引き上げた。
 しかし、これは新選組が機転を利かせて叫んだもので、三浦は軽傷を受けただけで無事だった。三浦のものと思われていた首は、実は中井正午楼の首だった。中井の首は無惨にも仲間によって古井戸に投げ捨てられた。中井の首を刎ねたのは、四条大橋で争ったことのある斎藤 一だったとも言われる。撃側では中井の他は数名が負傷、新選組側は近藤 勇の親戚の宮川信吉が死亡、舟津釜太郎が重傷で後日死亡、4名が負傷。

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