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鳥羽伏見の戦勃発地
京都市伏見区中島御所ノ内町
(市バス「城南宮道」停留所から徒歩約3分) |
| 現在は、鳥羽離宮跡公園になっているが、ここで |
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| 大政奉還し大坂城にいた徳川慶喜(1837〜1913)は薩摩を討つため上洛を決意し、慶応4(1868)年正月3日、幕府軍本隊を鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に進軍した。この地に布陣した薩摩砲兵の一隊と幕府軍の間で戦いが繰り広げられた。この石碑は、翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の跡を示すものである。なお、石碑の建つ小高い丘は、秋の山といわれ、鳥羽離宮庭園の築山の一つと伝える。
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