人類補完計画
人は進化するために差異をつくらなければならなかった。
人は進化するために1人1人を別の存在(個)とした。
結果人は人におびえて生きる哀れな存在となった。
人は一人では生きてはいけない。
今のいろんな物がありふれたこの世においてもまだそれは変わらない。
人は恐いが頼らなければ生きられない人という存在。
新世紀エヴァンゲリオンに登場した言葉『人類補完計画』。
sesil的見解ではこの言葉は個を捨てることである。
人間は差異を作り出したために意見が食い違う⇒人が恐い。
それならば人が失われた部分を人で補おうではないか・・・
これが人類補完計画だ。
人は温もりを求める。
人は人を求めて生きる。
しかし統合された完全な個体としての人間には
寂しさの感情は必要ない。
自分が多人数の人の結合体であるのだから・・・
この考え方は最近頻繁に耳にする。
ゲーム『聖霊機ライブレード』が最も近い考え方であろうか。
それほどまでに他人との差にコンプレックスを抱きはじめた人類。
しかし人類を統合した形が本当の人の形たりえるのだろうか。
この疑問を抱かずにはいられない。
たしかに統合した意識では意見の食い違いは出ないであろう。
しかしそれで進歩するのか?
進歩しなくともそれが人間というものなのか。
ここまで人類が歩んできたのはそのための布石でしかなかったのか。
差異を認め、他人の意見を取り込むからこそ人間ではないのか。
人間だからこそミスをし、成長する。
合理的な生き方で楽しみもなく生きること・・・
それはある意味では正しいかも知れないが
人類は今の姿だから人類であり
完璧でないからこその人類なのだ。
他人に対して抱く恐怖や様々な差異を認めることもできる。
だからこそ今、自分はここに存在している。
そもそも人類の今の姿が進化する上で捨てられてきた物以上の
答なのであろう。
それを信じまた明日を生きることが人類のすべきことであり
責務であると感じる。
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