子供を取り巻く環境(いじめについて)
子供というものは親(つまり身近な大人)を見て育つ。
目にするプライドの保ち方持ち方、演技を知らず知らずに吸収する。
子供というのは大人以上に第6感が鋭い。
これは大人になると共に現実的になることと同じで
理性というものが完成してない未熟な状態だからこそ
感性が鋭く感覚的に捉えようとするからであろう。
子供の鋭い感性で受け取った考え方や知識は
ほとんどの場合が無意識的なもので自覚はない。
無意識的だといってもそこに根付く考え方であることに変わりはなく
子供の社会でこれも無意識的に具現化する。
そうして出来上がるのが教師の意図しない学校環境の陰、溝である。
つまり子供の地位の決定のことなのだ。
子供は初対面の人を見ると恐そうか弱そうかを見る。
その第一印象がたいていその人のランクとなるのだ。
完全な力関係を権力としてしまう構図が出来上がってしまうのだ。
ランクとは地位、ステータスとも言い替えられるもので
同時に発言権でもある。
相手の表面のみの判断なので多少は変わるが
小学生、中学生あたりではそのまま根強く残りやすい。
入学時、またはクラス替え時に表面化し
友達という偽りの言葉のままグループ分けされる。
友達というより保身のための無意識での判断である気もするため
偽りの友達という言葉の定義と捉えてもらえばいいでしょう。
そして皆、自らのステータス、発言権の確保に努める。
強すぎる(印象が)ものと同じグループではいじめられる。
弱すぎるグループでは自分の地位を危うくする。
くだらない社会の歪みにのまれた部落の方々への
周りに合わせておかしな目で見る大人と同じなのです。
自分を低い(弱き者という印象と自覚)で見ている者は
強き者と同じグループ分けを恐れ多いとさえ感じます。
そういった仮面をつけた自分での友達づきあいを無意識的に
行っているのです。
そのことは自分の精神にも影響し
自我の崩壊、精神崩壊に発展することもあるだろうと思われる。
だから余計に第一印象通りにおさまってしまいがちであるのだ。
強い者は自分の強さの誇示のために『見せていた強さ』が
慣れのため自然になってしまうのだ。
後天的な性格の変化の大部分を占めるのが学校環境なのだ。
あたりさわりのない自分の体つきや顔から判断される性格に
自己改造してしまっているのだ。
強き者は弱き者と会話をすることをランクを下げる行為で
恥とする意識をもつ(これも無意識的な感覚として)
弱き者は発言をたたかれることへの恐怖感から
発言することへの勇気すら失っていく。
このことから雰囲気の目に見えない恐怖感や
脅迫観念が芽生えてしまう。
そして結果としてより大きく溝が開き差は広がってしまう。
人間は威圧感で人を殺す技をもっているのだ。
そして強き者の他人に流されて周りの目を気にした行動が
いじめの初期段階となる。(一概には言えないが)
喧嘩の発展型もあればその他いろんな起こり方は考えられる。
しかし今回はこの強き者の行為を起点とするいじめについて
語ろうと思う。
さっきも言ったが強き者から見て弱き者は汚い者という感覚なのだ。
話すことでも地位は下がると思い込まされている。
これは地位を保つためにしなければいけないことで
しなかった時に地位を剥奪されて発言権を失うことへの
勝手な脅迫観念によるものだ。
そして強き者からして弱き者とは身分の低く卑しい者であるのだ。
話すことで地位は下がる。(同レベルという考え方)
しかし逆にその者よりも上のランクであることを見せるには
かっこうの獲物なのだ。
つまりその者を馬鹿にしたり
からかうことで自分の地位を保とうとするのだ。
馬鹿にしたぴったりのあだ名をつけたりするのも自分の力の誇示と
その者への烙印であるのだ。
いじめというのは自分よりも下のランクをつくることで
自分が助かろうという心理の重なりあいから生まれるのだ。
それが『いじめられないため』なのだ。
少し均衡が崩れるだけで地位が剥奪されるという恐怖感が
皮肉にもいじめの体制をつくっているのだろう。
(優位性の保ち方は他にもあるが省略します)
これらは無意識的な行動であって自覚はありません。
しかしそこで得られる安堵感等は本物なのです。
自覚できていないからこそ楽しいから、おもしろいから
ついからかってしまうと言えるのです。
いじめのエスカレートとはつのる恐怖心と
地位が保たれていることに対する恐怖心の発展にともない
大きくなる恐怖の表現、具現化と考えるべきでしょう。
学校にはそういった無意識に潜む悪魔が多く存在し
完全な一つの社会が成り立ってしまっているのだ。
そういったことに対するストレスは誰もが知らずに持つものなのだ。
いじめとは社会における自分の確立と権利の主張方法なのだ。
そしていじめに対する恐怖心に支配された弱さが引き起こす
心理的作用の塊のことなのだ。
いじめとはこれで全てではないが
こういう考え方があてはまるいじめも存在するのだ。
他に当てはまらないいじめもるだろう。
しかしなぜ? その時の心理は?
と考えると真実は見えるような気がする。
トップへ
sesilの世界へ