少年犯罪


このサイトをつくるきっかけともいえる少年犯罪への見解について
やっと語ろうかな・・・と思います。

最近の傾向に見る少年達の心理
(偉そうなこと言ってもsesilも18才で年齢的には変わりません)

最近の親は過保護以上に過干渉であり
少年達のストレスは大きなものである。
認めても信用してももらえない少年達の怒り憤り。憎しみ・・・
そこへ差し伸べられる手もなく親の表面上で差し伸べられる手は
あまりにも冷たく取り繕っているように思える・・・
その原因は現代社会の歪みにある・・・
いじめについてでも述べたように子供のストレスの受け方と
その精神的負荷は尋常ではない。
思春期(大人に変わろうとする時期)、受験期(勉強の本格化)、
精神的な不安要素と不満、苦痛は多い時期なのだ。
時代の移り変わりについていく家庭教育も変化するべきなのだ。
しかし、軍隊式のスパルタ教育へと退化しているのが
現状ではないだろうか。
ものが少ない時代はすでに終わった。
ゆえに子供はねだればいくらでもものが与えられる環境にある。
つまりはこれが現代の若者の意識の低下と根性のなさにつながるのだ。
簡略化すると
子供を根性なしに育てる→張本人の親が根性のなさを怒る→
さらに対面を気にした飾りの大学の受験に向けてスパルタ教育
反人道的ではないだろうか?
矛盾しているのだ。
すべてが当てはまるわけではないが現代にみられる現象は
このことで説明がつくのではないだろうか。
それに対する憤りを漠然と持ち荒れていく少年達。
これは当然の結果だと思う。
例外的に勉強などに取り組める根性のある者。
これは誉めてもらった経験の多い者達だろう。
人間が誉められると無意識の中で喜びを感じる。
そこに生理的な欲求のようなものが生まれ依存するのだ。
多くの場合これらは循環していくのでその差はさらに表面化し広がる。
ここで多くの例から巷で騒がれる17才について語りたい。
そもそも17才という例が"多い"のであって17才"のみ"ではない。
ここをまず誤解せずマスコミによって植え付けられている先入観を
取り払って考えていただきたい。
そして少年犯罪はその多くが男子学生(少年という位だから)の犯行と
いう点に注目すると
時期について書いたことで思い当たることもあるだろう。
少年の思春期、受験期。これである。
つまり17才という峠を越えるまでの苦痛
早ければ小学校高学年から中学、高校と特に男子には女子以上に
重くのしかかる試練のような時期がある。
ここでしばしば女子は男子より精神的の大人だ
と言われることを思い出して欲しい。
単に育て方の差なのかも知れない。
(育て方の差については機会があれば書きます。)
しかし男子の子供じみた行動や言動に呆れることもあるだろう。
精神的に思春期の不安定な転換期まで子供なのだ。
これを女子の一歩ずつ大人に向かうことに対して
男子は一気に脱皮するのではないかと考える。
急激な変化による精神的負荷は大きく自分のコントロールを失う。
これは経験談になるがその時期は心の暴走ともいうべき事態に陥る。
多少のことで自分を抑えられず"キレる"、暴れる。
かと思えば一方でしょうもないことに感動し、優しくなる。
すぐにショックを受け激しく落ち込み疎外感と孤独感を感じ
哲学的なことを考え自分の存在意義を見いだせず、
生きることについて考えたり死にたくなったりする。
そして自己嫌悪・・・・・。
よく言われることだが精神的に不安定というのが
うまく当てはまる言葉だと思う。
これに追い打ちをかけるように受験の時期などで
周りからの声が大きくなる。
これがさらなるストレス原因にもなり得るが
大人にそのような配慮の気持ちはなく
心配だと言う気持ちが先走りする。
子供からすれば単なる大人の得意な逃げ口上でしかない。
その言葉で全て正当化されてしまうからだ。
口に出せない想いも大きく、
ストレスの塊を一気に受ける時期だと言っても過言ではない。
17才のみえざるストレスを説明したところで犯罪に絡めていきたい。
ではなぜ犯罪にはしってしまうのか?
ストレスの説明だけではまだ足りない要因がそこにはあると思う。
それは虐げられてきた力関係の逆転。
大人の圧倒的発言権と威圧感は子供の尊敬によるものではなく
強きものへの恐怖の気持ちが大きいのだ。
言い返せるだけの度胸の問題と言うとわかりやすいだろうか。
言い返したくても言い返せない時の憤り、ストレス、トラウマ。
力関係で人を判断することはいじめについて
での説明の通りだ。
そうやって染み着いてしまった人間関係の築き方。
他人の判断の仕方はここにも大きな影響を及ぼす。
力で従わされるとそれに対する憤りの分だけ力に執着する。
バスジャック事件の少年の刃物への執着心が良い例だろう。
包丁をしきりに磨く=自分の力の象徴への憧れ、力の誇示
であるととれるのだ。
つまり"力"に異常な愛情をそそいでいると言えるだろう。
力で築く関係の見えない悪影響と言うべきだろう。
ストレス、力、トラウマ(過去の他人の力への恨みや嫉妬)
これが大きな少年犯罪ではないだろうか?
神戸の連続通り魔事件(少年犯罪の多発の基盤)
酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年による犯行。
これについては話は別だ。
全てをわかった上での犯行であるからだ。
これについては他の少年犯罪と目的や意図などがかなり違う。
他の少年犯罪はたまったストレスなどによる心の暴走であることが多い。
17才に多いのも力関係が変わり自分の力に自信をもちはじめるからだ。
そしてそれでも完全でない自信のために凶器を用いて
自分が痛い目に合わないようにしている。(根性無しの証明)
しかし酒鬼薔薇聖斗は人間は全て雰囲気に流されて
自分を見つけることすらできてないことに気づいている。
透明な存在だと表現する意味はそこにあると思う。
ストレスを受ける方法なのに他人に合わせた自分をつくらざるを得ない。
そんな状況をわかっている。
そしてとてつもなく頭がいい。(正直友達になりたいほど)
酒鬼薔薇聖斗はそんな中でも自分の本質
(人の血を見ることが好きである)を発見したと言っているのだ。
それを我慢して自分を隠すことがバカげている・・・と
そんなこともわからない人間の馬鹿さ加減をあざ笑っているのだ。
だから先陣をきりわかりやすく馬鹿にしてやろうと
だから警察、マスコミへの文章もそのままの意味で
彼にとって実際にゲームだったのだ。
あざ笑うため、人間の本質を見せるため、
社会の在り方を馬鹿にするため。
そして楽しむため・・・。
完全に人間を見下した酒鬼薔薇聖斗は自分を神の域に近い者という
錯覚。それを無意識的に持ってしまったのだ。
周りに頭のいい者が見つからず、一人取り残された結果だろう。
話の合う者がいなかったのだ。
そういった意味で神戸の連続殺傷事件は少年犯罪としても
異質だという感覚を持ってもらいたい。
そして少年犯罪でよく言われるのが
「おとなしい子であんなことするなんて考えられない」
ですね。
ここにあるメッセージをしっかり受け取らない限り
少年犯罪は終わらないでしょう。
これはおとなしい子を親や周囲に強制されている。
そこからくるストレスの反動なのだということです。
それは口で言葉にしなくとも子供の鋭い完成で受け取る強制なのです。
他人事としてではなく誰もが改善に向け
力をそそがなければいけないことなのです。
それはもしかしたら大人と子供の間の壁を除き
さらに共同作業で取り組まなければならないことかも知れません。
子供として対応するでなく、"人間"として・・・



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