民主主義的問題解決法『多数決』


多数決とは数の驚異をあらわにするものである。
じゃんけんのような公平性はなく
多数派の者は小数派に対する優越感を抱かせ
小数派の者には多数派に対する劣等感を与えるものである。
多数決とは多数派と小数派に分ける作業なのである。
そして小数派の意見を無視しようとするものなのだ。
多数派の意見に押し殺され
小数派の意見が例え正当なものであっても
不当なものとして処理されてしまうのである。
それが多数決の真の姿なのだ。

そういったことはなぜ起こり得るのか
人は自分を無視されるのが恐いからではないだろうか
多くの者とともにありたいという願望ではないだろうか
もしくは一人の孤独の寂しさと恐怖から逃れるため
だから多数派に対して仲間はずれにされたと感じるのではないだろうか
さらにいえば意見として認めてもらえないことに対しての
憤りなのかも知れない
そう考えていくと現在の意見のない日本人に納得がいく
自分の意見を出して仲間はずれにされるのが恐いのである
多数派にまわれない時の悔しさと劣等感を無意識に拒絶しているのだ。
だからあえて言いたい
多数決の考え方を変えろ・・・と
本来多種多様な考え方と意志をもつはずの人間が
日本人に限り似たような考え方と意志であるはずはないのだから
そのおかしな点に気づけるものの少なさと勇気のなさに
日本人として少し残念に感じる。
もっと考え方に幅のあるいろんな考え方を学校教育で認めるべきなのだ
間違いとする学校教育の在り方に疑問を抱いてしまう
なぜそのような考え方になったのか
その考え方の矛盾点を指摘する教育ではおかしいのか
時間がない教育期間に不必要なのか・・・
そういう教師の器の狭さと間違えた時に感じる周囲の視線
それらが今の数の恐怖を引き出しているのではないか
そんな風に感じる
自分は一人であって誰も自分になれない=自分の意志は尊いもの
となぜ考えずにそのような落とし穴にはまってしまうのか
日本人の集団心理にはまってしまうところには
やはり情けない・・・
多数派が小数派を見下す行為もバカげている
そして多数派にまわろうと自分の意志に反した行動をとることも
遊びを決める程度ならじゃんけんで十分だし
重いことや難しいことを決めるなら多数決でなく
両方の利点を取り入れ考え方を昇華させるべきである
まったく反目する意見でどちらかがひかなければならない場合
十分な話し合いでお互いを認めた上での決定とするべきではないのか
多数決という初めから小数派を無視した考え方は
思考レベルの低下と優劣さらには人格無視につながるために
賛成しかねる
そして数に踊らされる人をみたくはない・・・
多数決の驚異は陰でそういう部分を作り出してきたのだ。
この意見をみて何か想った方は考え方を改めていただきたい

最後に・・・
他人の意見を100%理解することができないのが人間であります。
つまりあなたの賛成する意見もわかっている部分だけでなく
わからない部分も含めてその人の意見なのです。
賛成や反対はもっと深く話し合ってこそ意味のあるものなのです。

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