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第三章 「たいせつなひと」を嘘つく辛さ 


七月二十日、晴れ

気が付くと、外はすでに明るくなっていた。

陽介は、台所へ行き、冷蔵庫から牛乳のパックを取り出し、パックに口をつけて一気に飲み干す。

一息つき、着替えを取りに部屋へ戻ると、女が気持ちよさそうに寝ていた。

そうか、昨日こいつ来たんだっけ…。

就職活動するみたいだし、起こさんとまずいかな?

静かに息を吸い、

「おーーい、希ぃ、起きろーーー!朝じゃーーーー!」

と叫ぶ。

「何…朝から大きい声出さないでよ…」

だるそうな顔しながらゆっくり起き上がる希。

「あのさ、お前、東京に何しにきたんだ?」

うそ臭く考え込む希。

「えーと、就職活動」

「就職したら、どうなる?」

「朝早くなる?」

「はい、よくできました、次からはちゃんと自分でおきてくださーい!」

「はいはい、わかりましたよーだ!」

わざとらしく頬を膨らます希。

まさに「怒ってるぞ!」サインだ。

そんな話してたら、時間がきてしまった。

なんてったって今日はあの日だから…

「おい、希!」

何分か前の陽介のように牛乳パックから直接牛乳飲んでる希に声をかける。

「え、なんか言った?」

「俺、今日外出なきゃなんないから」

「はぁーーい」

「飯は適当に食っといて」

「はぁーーーい」

「じゃ、行ってくるね」

そういうと、玄関へ歩き出す陽介。

右足を引きずりながら。

と、

「ねぇ、陽」

慌てて振り返る陽介。

「何?」

「足、どうしたの?」

「え?」

「足、引きずってるじゃん、右足!なんか怪我でもしたの?」

「えっ、いやこれはね、先週だったかな、階段で転んじゃって。ハハハ、なんでもないから」

「陽も、相変わらずドジだねー」

「うるさい、俺もう行くからな」

「はい、行ってらっしゃい」

「おう!」

希の視線を背中に感じ、努めて明るく家を出る陽介。

しかし、ホントはドキドキしていた。

ばれなくて良かったと…。





陽介が家を出てから、希は暇を持て余していた。

家の中で、ずっーーとゴロゴロしていた。

外に一歩も出ていない。

「なーにしよっかな?」

これを今日何回言った事か。

「就職活動が嘘だってわかったら怒るだろうなぁ」

はぁーーっとため息をつく。

「でも、これ以上一人でいるのは…」

辛いし、寂しい。

それに、心細い。

友達がいない訳じゃない。

むしろたくさんいる。

親だっている。

ただ、陽介が町を去った日から、希にとって陽介が友達でも親でもない「たいせつなひと」になったのは希でも理解していた。

これ以上一人なのは嫌だ。

その思いで上京してきた。

でもなんか複雑な気持ちだ。

嘘までついて東京へ出てきて良かったのか?

そんなことを自問しながら数時間が過ぎていた。

突然、

「よし!」

と、立ち上がった。

「なんかしよう!」

辺りを見渡してみると、昨日は気づかなかったが部屋が結構汚れていた。

まあ、男の一人暮らしでは普通だが。

思いっきり顔を上げ、

「掃除だっ!」



「えいえいえいえい!」

恐ろしい勢いで部屋が片付いていく。

ひとつのことをやり始めると回りに目がいかないのだろうか。

居間の掃除を終えるとすぐ陽介から「いろいろあるから入るな」といわれてた仕事部屋へと突撃していった。

一心不乱に動く希。

と、足が本の山にぶつかる。

次の瞬間、

ドドドドドドドドドド−−−ン

「きゃ!」

本の山が希めがけて押し寄せてきた。

結局、たくさんの本があたりいっぱいに散らばってしまった。

「あーあ」

自分でやっておきながらまるで他人事のようだ。

「片さなきゃ」

気を取り直し、立ち上がる希。

「よっしょっと」

散らばった本を持ち上げる。

「あれ?」

視線の先には倒れた拍子に開いたままの雑誌があった。

「田之上って…」

今ここに住んでる男も田之上、これに書いてある名前も田之上。

「まさかねぇ?」

その雑誌を手に取り、開く。

「………」

目を見開いたまま黙ってしまう希。

そこには太字ででかでかと、

「田之上、会社との対立を理由に退団!!!」

と書かれていた。

紙面中央にはさっきまで目の前にいた男、田之上陽介が大勢の大男たちをにらみつけている写真が載っていた。

なにより希を驚かせたのは彼の目があの時の男にひどく似ており、優しく頼りになる陽介がそこにはいなかった。

震えが止まらなくなり、雑誌を床に投げつける。

怖くて怖くて仕方がなかった。



時計は夜の十時を回ろうとしていた。

陽介は時計をちらりと見て、急いで階段を駆け上った。

(やっべー…。怒ってるかなぁ?前もこんぐらい帰って怒られたなぁ…。普通のサラリーマンで考えたら早い方だと思うけど…。 まぁ、今回はご機嫌取り用のケーキ買ってきたし。なんとかなるだろう。)

部屋の前に着き、ドアを開ける。

そして開口一番、

「ただいまー!遅くなってごめんね。でもほら、ケーキ買ってきたから…って、えっ!?」

目線の先では、希が居間で座り込んでいた。

それだけならまだ驚かないが、問題は陽介の声にまったく反応していないこと。

陽介が帰ってくれば、何かしらの反応が必ずあったのに…。

(あれー…今日は特に怒ってるのかなぁ……よーし!)

陽介は部屋に入り、希の顔を覗き込みながら、

「あのー、希ちゃん?えーと、その、ケーキ買ってきたんだけど、一緒に食べない?」

「陽…」

消えそうな声が返ってきた。

「ん?どうした?」

「これ…何?………」

希が雑誌を陽介の前に突き出す。

見ると、例の雑誌。

陽介の過去を物語るあの雑誌。

遂に嘘がばれた…

「…………」

チッチッチッチッ…

時計の音だけが規則的に音を発している。

二人の間にどうしようもない沈黙が流れる。

「………」

「一つだけ」

さっきまで明後日の方向を向いていた希が切り出す。

「ん?」

陽介は次は何聞かれるのか、と内心怯えながら返す。

「何で、レスラーになったの?」

「え?」

「………」

予想はしていた。ばれたらまず聞かれるだろうと。

「答えて…」

もう逃げられない、か…

陽介は小さく息を吐いてから喋り始めた。

「あの時、お前が襲われた時、俺殴られてばっかで、何もできなくて、お前に「強くなれ」みたいなこと言われてさ、なんていうの、自分が情けなくなってさ…、それで強い男になるために、自分を変えるために…」

「そう…」

希は陽介の話を黙って聞いていたが、そう言葉を返し下を向いてしまった。

陽介は続けて、

「勘違いするなよ、俺は「あの男」みたいになるためにレスラーになったんじゃない、ただ、単純に自分を変えたくて…それに」

話を区切ると、大きく息を吸い、

「せめて大切な人を守れるくらいの、男になりたかったから」

「…なら、いいんだけどっ」

希がいつもの笑顔をこちらに向けながら言った。

冗談を挟みつつ、バカ話をする。

ハハハ八っ。

あの時のように。

ハハハハっ。

いつもの笑いの絶えない雰囲気に戻る。

「で、試合やるんでしょ?その様子だと」

希が聞いてくる。

「うん、ちょうどひと月後に」

「私にできることがあったらいってね、協力するから」

「うれしいこといってくれるじゃん。よし!気分がいいから、今日の飯は俺が作るっ!」

「ええ?できるの?」

「まかせろ!俺のチャーハンはうまいぞ!」

「やったー!じゃあその後ケーキ食べよう?」

「おうっ!」

二人は笑っていた。

通り過ぎた時間を取り戻すように…。

「運命の日」まであと30日…