ある日常  カランカラン。  ドアベルの音と共にドアが開いた。 「いらっしゃい」  その音に呼応するかのごとく、一人の青年が声を上げた。 「オウ、ユージ!!ちゃんと店番やってるか!?」  ユージと呼ばれた青年は、入ってきた大柄な男を見るや否やまた 椅子に座ってしまう。 「おかえり、店長」  そう言って、また読んでいた本に目線を落とす。  ここはレイニーという小さな村のあるごく普通のパン屋さん。そ の店内でユージは出かけた店長の代わりに店番をしていたのだ。 「そういや、嬢ちゃんは?」  無闇に大きい店長の声。 「そこで幸せそうに寝てますよ」  ユージの指し示す方向に、一人の少女が出窓に突っ伏して寝てい た。本当に、幸せそうな顔である。 「いいんですか? 起こさなくて」 「かまわんかまわん。忙しい時間帯になったら起きるだろう」  店長は出窓で寝てる少女、ミルフィを見ながら答えた。 「なんか、不公平じゃないですか?」  ユージは不満の声を上げる。 「まぁまぁ、いいじゃないか」  ここ、パン屋『エール』は、店長、住み込みのバイトのユージ、 店長の親戚であるバイトのミルフィの三人で経営が成り立っている。 ユージは、自分が店番をやっているのに同じバイト仲間が寝ている 事が許せないらしい。 「おまえも読書してるんだろ? 同じくサボってんじゃないか」 「いや、まぁそりゃそうですけど・・・」  読書していた事が事実なだけに反論できないユージ。 「にゅ?」  その会話を聞きつけたのか、出窓で寝ていたミルフィが起きた。 「???」  まだ目が覚めきってないらしい。辺りをキョロキョロ見まわして いる。 「おはよう」  ユージが声をかける。その声に反応したのか、急に立ち上がり、 ユージの方を見る。 「あれ? 私、寝てた?」 「そりゃもう、幸せそうな顔して寝てたぞ」  その台詞を聞いて、ミルフィは顔を真っ赤にする。 「えう〜、店長に怒られる〜!! ユージ、この事言わないでね」  ミルフィは手を合わせてお願いする。 「わかった。コーヒー一杯で手を打とう」 「う〜ん、わかったよ・・・」  ミルフィは困った顔をしながら承諾した。 「だそうです、店長」  ユージは、今までミルフィの死角にいた店長に話を振った。 「あ? え!?」  ミルフィは慌てて振りかえる。そこには、にこにこ(ニヤニヤ?) と笑った店長が居た。 「わ、ご、ごめんなさーい!!」  ミルフィは慌てて厨房へ走り去ってしまった。 「ということで、あんまりミルフィを怒らないで下さい」 「ん? 俺は怒る気無いぞ。むしろ怒るのは君じゃないのか?」  さっき文句言ってたじゃないか、と店長は付け加えた。 「残念ながらコーヒー一杯で買収されちゃったようです」 「本当に残念だな」  意味不明な会話を交わした後、店長はおもむろに出入り口のほう へ向かった。 「ちょっと出かけてくる」 「あ、はい。いってらっしゃい」  店長が唐突に出かける事は日常茶飯事なので、ユージは特に気に しない。忙しい時間帯までには戻ってくる、という台詞を残しつつ、 店長は出かけていった。                *  厨房では、ミルフィが昼に売れ残ったパンを食べていた。 「おい、何してる?」  厨房に入ってきたユージは、開口一番そう言った。 「おやつ」  至極単純な答えが返ってきた。 「いや、確かにそんな時間帯なんだけど・・・」  確かに壁時計は三時を指している。 「ユージも一つ、どう?」 「ああ、貰おうか」  と言って、ユージも調理台の付近の椅子の上に座る。そしてパン を食べ始める。 「ひどいよ、騙すなんて」  いきなり非難されるユージ。おそらく、先程の店長との事を言っ てるのだろう。 「騙してないし、お前が寝てるのが悪い」  ビシィ、っとミルフィに指を指しつつユージは言った。 「うぅ、確かにそうだけど・・・」  困った顔をして俯くミルフィ。その顔を見て、ちょっとユージの 良心が痛む。 「さ、休憩は終わりにしてもう一頑張りするか!!」 「うん!!」  どうにか、ユージは話題を逸らす事に成功したらしい。二人はそ のまま、夕飯時用のパンを作り始めた。 (お、そうだ)  二人でパンを作り始めてから数分後、ユージの頭の中にある作戦 が浮かんだ。 (確かミルフィって、からいの苦手だったよな)  どうやら良からぬ計画らしい。そして、そのまま実行に移すべく、 ユージは調味料の棚を漁り始めた。 「何やってるの?」  ユージの行動を不審に思ったらしく、ミルフィが訊いてきた。 「ああ、新しいパンを考えたんだ。今から作るから、ちょっと後で 試してみてくれ」 「うん、いいよ。それで、どんなパンなの?」  あっさり了承し、そのまま作り途中のパンを見ようと覗きこむミ ルフィ。しかし、ユージはギリギリの所でそのパンを隠す。 「今見たら面白くないだろう。焼きあがるのを楽しみにしてくれ」  実は今見られたらバレるからなのだが、そんな感じをユージは微 塵も見せてない。 「う〜ん、それもそうだね。うん、じゃ、待ってる」  そう言って作業に戻るミルフィ。 (ふっ、かかった)  内心、勝利を確信したユージであった。                *  午後五時。いい匂いがエールの中に充満していた。 「うん、焼けた焼けた」  ユージとミルフィが焼けたパンを店頭に並べ始めたからだ。 「もし焼けてなかったらここの家計に大ダメージだ」  パンを並べつつユージが突っ込む。 「えぅ、そりゃそうだけど・・・」  ひとまずミルフィは、自分が担当する区域を並べ終えたため、カ ウンターの方へ戻ってきた。 「冗談だ。気にするな」  ユージも並べ終え、カウンターの方へ戻っていった。 「それより、さっき作ってたパンを・・・」  ミルフィは、ユージがさっき作ってたパンに興味があるようだ。 「ああ、そうだな。じゃ、忙しくなるまでに食べちゃってくれ」  ユージはそう言って、厨房の方へパンを取りに行った。 「何パンかなぁ?」  ユージからパンを受け取ったミルフィは、少々観察してみた。周 りは緑色だ。メロンパンなのだろうか? 「ねぇユージ、これって何パン?」  結局解らないのでユージに正体を求めるミルフィ。 「秘密。食ったら教えてやる」  しかしユージは教えない。ミルフィはちょっと困った顔をしたが、 「解った。食べてみるよ」  と言って、その緑色のパンを口に運んだ。 (かかった・・・!!)  ユージは内心勝ちを誇っていた。当のミルフィはゆっくり吟味し ている。 「・・・!? あ、ぐぅ!!」  突然、ミルフィが苦しそうなうめき声を上げる。 「ユージ、これ、えうぅ、何パン?」  必死に問うミルフィ。その目には涙、額には汗が浮かんでいて、 鼻も真っ赤になっている。 「東洋の食材で、『ワサビ』と呼ばれるものだ。海産物を生で食べ るその国では必需品らしい」  冷静な声で説明するユージ。しかし内心は大笑いである。 (まさかここまで効果があるとは・・・) 「えう、ひどい、よ!! あう・・・、私が辛いの苦手だって知っ てるくせに・・・」  ミルフィは恨めしそうな表情でユージを睨みつける。 「いや、パンにすれば大丈夫だと思ったんだ」  もっともそうな嘘をつくユージ。しかし、本心はいたずらのため である。 「もう知らない!!」  ミルフィはそっぽ向いてしまった。 (まぁ、時間が経てば機嫌直すかな・・・)  ユージはそう考え、カウンターで店番を始めた。もうそろそろ晩 飯の買い物をする人で賑う時間だからだ。                *  2時間後、夕飯のラッシュを終え、閉店準備に入ってる三人。因 みに、店長は忙しくなる3分ほど前に帰ってきてる。 「・・・・・・・・・・・」  ミルフィは終始無言だ。夕方の時の事を相当怒ってるらしい。先 程からユージと口をきいてない。 「どうしたんだ? 二人とも」  二人の様子が変だと感じた店長が訊いてみる。 「・・・・・・・・・・・・」  それでもミルフィは無言だ。 「どうしたんだ? ユージ」  ミルフィからは答えが得られないと判断した店長が、今度はユー ジに訊いてみる 「ええ、先程ちょっとしたアクシデントがありまして・・・」  ユージがそう言うと、店長はがははは、と笑った。 「まぁ喧嘩も結構だが、ちゃんとその後には謝らなくちゃいけない。 ユージ、ちゃんと謝っとけよ」  そう言うと、さっさと店の二階の自室に引っ込んでしまった。そ の場に残ったユージは、ミルフィの方を向いた。 「その、悪かったな。さっきは少々悪乗りしすぎた」  ユージは素直に謝った。 「ふん!」  しかしミルフィは許してくれない。またそっぽ向いてしまった。 「お詫びもかねて、『フィート』行かないか? 苺大福を奢るから さ、機嫌直してくれよ」  ユージは近所の酒場、『フィート』にミルフィを誘う。これはミ ルフィがそこの苺大福が好きな事も考慮に入れてのことだ。 「い、いらないもん」  ミルフィはそっぽを向きながら言う。しかし、『苺大福奢る』と 言われた瞬間、心がかなり揺れ動いたようだ。もしミルフィが犬な ら、尻尾がぱたぱた揺れてるだろう。 「そっかぁ、残念だなぁ。せっかく2,3個奢ってあげようと思っ たのに・・・」  ユージはわざとミルフィに聞こえるような声で呟く。それに合わ せて、ミルフィの肩がビクっと震える。 「そ、それなら付き合ってあげていいよ」  ・・・強がりバレバレである。                * 「おいしそー」  フィートは今日も混んでいた。が、なんとか席を陣取って、今ま さに注文した苺大福が来たところである。 「いただきまーす」  さっきまでの不機嫌そうな顔は何処に行ったのか、満面の笑顔で 苺大福を平らげるミルフィ。その隣ではユージがコーヒーを飲んで いる。 「今日は悪かったな」  もう一度謝るユージ。 「うん、もういいよ。私もちょっと昼寝しちゃってたし・・・」  ミルフィはそう言って、再び苺大福をつつく。 「明日からもよろしくな」  ユージが独り言の様に呟く。しかしミルフィは聞き取ったらしく、 不思議そうな顔でユージの顔を見る 「どうしたの? 改まって」 「いや、なんとなく」  そう言って、恥ずかしさを隠すためにコーヒーをすする。 「うん。こちらからもよろしく!!」  ミルフィは笑顔でユージに言った。  また夜が更けていく。また明日も普通で、退屈で、平和な明日が 来るだろう。そんな毎日が続く事を祈って、レイニー村の人々は眠 りにつく。