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勉強とは・・・

学校で、日々繰り返される授業、テスト、課題の数々・・。これが本当に意味のあるものかと問われた時
一体何人が、絶対に意味のあるものと言い切れるのだろうか。
学校の先生は、学校での勉強は将来を作る、土台になるなどという。
もちろん、やる気がないならやめろ!!とか、勉強嫌いなら学校から消え去れ。こんなことを考える方もいるだろう。
でも本当にそれが、可能だろうか?!本当は勉強はきらい。もっと生きていく上で必要なものは、たくさんあると思っていても
学歴(学習歴)だけの為に、学校に通う人も少なくはないはずだ。

これは、タダのバカな人間が書いてる独り言で、学者とかから見れば(見ないか・・)負け犬の遠吠えなのかもしれないが・・・。
たとえば、高校では、ほとんどの学校が、男子の必修と定めている、「武道」武道とは、剣道か、柔道のどちらかになる。
学校によっては、選択制のところもある。
この授業をやる度に思うのが、第2次世界大戦の時、武器が無くなってきた日本で、竹やりを持ってアメリカ軍(連合国側)に対抗しようとした
無謀な姿である。
今、世界では、戦争が始まり、テロなども懸念されている。もし日本にもそのような状況が起こったら、
また、竹やり持って抵抗するために、剣道なんてものをやるのだろうか?!それとも柔道の技で、決めるのだろうか?
まぁ、普通に考えて、無謀というか、笑い話にすらならん・・といった感じである。
だとすれば、こんな授業意味はない。だったら、マラソンでもやってた方がまだ、マシなような気もする。

じゃあ、勉強とは何だろうか・・。考えてみればみるほど答えは出ない問題かもしれない。
でも机上の勉強だけを勉強と考える風潮が強いから、答えが出ないのだろう。
ある、哲学者の言葉に「無知の知」という言葉がある。
これは、自分は何もしらないと言うことを知っているだけでもその人はマシであるということである(若干意訳しているが・・)
つまり、人間は知らないことだらけである。でも、人は生きていく上で知ることを避けては生きてはいけない。
誰かに自分の愛を伝えようとすれば、言葉を知らなければならない。
お互いが見つめ合えたとしても言葉がなければ心を伝えることはできない。
そうしたら、言葉を知ろうと人間は行動するだろう。(国語を勉強する)
こんな風に、必要であれば、人は自然に行動し、身につけていくと思う。
学校で、みんな一斉に座らせて、一方的に進めて、テストをやって・・・。みんな同じ一斉授業が少し前まで原則だったようだ。
日本の教育は、なんだか、古くて、どっかの国みたいだ・・。(あえて伏せる)
今必要なのは、ただ、学力をみな平等につけることだけじゃないと俺は思う。
それによって、大切なことを見失ったり、必要なことが分からなくても、きっと自分で無知の知を自覚し
どんどん新しいこと(自分の生活)に必要なことを知ろうとする人は成長できると思うが・・。
それこそが、生涯学習につながるような気もする。



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