昭和21年
戦後のプロ野球
戦後日本の人々は、野球を見る元気なんてほとんどなかった。
野球ブーム到来! 赤バットVS青バット
川上哲治が赤バットを使い出した。そしてそれに対抗し、青バットを使用したのが、大下弘である。彼らは、まだ若干20代前半の年頃でありながら観客の目をくぎ付けにした。彼らの戦いこそが野球ファンを増やし、再び野球ブームを呼び起こした。彼らの戦いによってこんな物まで発売されたという:赤いキャンデーをなめると青いキャンデーになるという変わりだまキャンデー。
昭和22年
黒沢年男選手の死
33歳で突然の急死。黒沢は、巨人軍でクリーンナップを打っていた天才バッター。巨人に3年間勤めて打率300の記録を残して、この世を去った。彼の背番号「4」は、永久欠番になった。
昭和23年
プロ野球初のナイター戦
横浜の球場で初のナイター戦が行われた。巨人対中日、試合前に選手たちが整列し、ベーブ・ルースの死の黙祷をあげた。夜の球場に光を照らして行われた試合は、大人気。サラリーマンなど昼間時間が空いてないような人達も野球が見れるようになった。
昭和24年
1リーグ制が2リーグ制化
新球団の加入によりリーグを二つに分けることが決まった。セントラルリーグは、巨人、阪神を中心に結成されて、パシフィックリーグの方は、近鉄と西鉄が加入したことによって7球団でスタートした。
昭和25年
完全試合
日本プロ野球では、初めてとなる完全試合を藤本英雄が決めた。打者27人、一人も塁に出さなかった。
昭和26年
第一回オールスター☆
オール・セ 対 オール・パ の試合は、甲子園球場で行われた。3イニングごとに投手交代という規則が決まったのもこのとき。セ・リーグが2勝してパ・リーグが1勝。
昭和27年
完全試合まであとちょっと
大友工が驚異的なピッチングを見せ、13奪三振。だが惜しいことに四球一でランナーを一人出してしまってた。あとすこしのところは、ノーヒットノーランで終了した。
巨人軍通算1000勝
日本プロ野球で初めて千勝あげたのが巨人軍。このとき阪神が909勝、そして名古屋が745勝。
お笑いV2
南海をたおしてV2の巨人。最後の一点は、南海のエース(巨人に完封勝利経験有り)が大暴投してボールを地面にたたきつけた。そのボールは、キャッチャーの頭を余裕で越えた。そのすきに、三塁にいたランナーがホームイン。シリーズMVPは別所に決定。
昭和28年
巨人軍、NYに勝つ!
巨人対NYジャイアンツの試合で大友が完投勝利を挙げた。NYジャイアンツのドローシャ監督は、思わず「あのピッチャーはだれだ?」と叫んだという。
初のナイターテレビ中継
夜の後楽園球場より中継された試合は、伝統の巨人ー阪神だった。
V3
この年も別所と大友のリレーで日本シリーズを制覇。川上が打率347で首位打者とシリーズMVPを獲得。
昭和29年
ジョー・ディマジオ来日
巨人軍が招待した大物が日本にやって来た。しかも新婚旅行として、マリリン・モンローを連れて来た。それはそれは、日本も大騒ぎだった事でしょう。
昭和30年
スタルヒン300勝
あの42勝挙げたスタルヒンがプロ野球界初の300勝を挙げた。
V4
この年もまた南海との戦い。1勝3敗と負けていたが、それをひっくり返してV4をあげた。最多勝に30勝挙げた大友が選ばれた。