十一月十九日
短いけど日記
こないだ家のビデオテープを整理してたら、なんと昔なつかしのベータのテープが出てきた。皆さんご存知?ベータ。
僕が小学校一年のときだったかなぁ、うちのベータが逝去なされたのは。まあそれはいいんですが。
そのビデオテープ、ご丁寧にタイトルつきでした。その名も
「大日本帝国」
だって。
かの超美人女優、夏目雅子が出演してるらしい。
まあそれはともかく。
そのテープを発見して、見たいなぁ、と思った。しかし我が家にはもはやベータは存在しない。
それにしても、大日本帝国である。
歴史を勉強することの意義は、或いは自分の思想体系の形成にも欠かせないものなのかもしれない。というのも、歴史を学ぶことで教えられるものも多いからだ。無論、それは教科書や問題集には載っていない類の事実なのだろう。
すなわち、歴史上の人物の心情や、歴史的事実の背景、そういったものである。俗に、歴史のロマンといわれるものだ。
そういうものは、ただ歴史の流れを漫然と汲み取り、解答用紙に書き連ねていくという「勉強」だけでは得られない。しかし、そこは我々、特に現代人にとってこそ大事なことなのではないか。
生きる指標、これをあたえてくれるという点で、歴史は偉大だ。流石に先人が血と汗と涙を流して積み上げてきただけはある。
さて、大日本帝国と聞いて、或いは眉をひそめる人が多いかもしれない。かの偉大なる帝国に対して、あまりいい感情をもたない人間もいるかもしれない。しかしあえて言おう。そういう人は、歴史を捻じ曲げて解釈している。或いはそういう風に(たとえば教師に)教え込まれている。
確かに、かの帝国が如何に残虐なることをしたのかは誰しも知っていることではある。しかし、それとは逆に、かの帝国に命を費やし、かの帝国の繁栄と、世界平和のために尽力した人間がいることを知らなければならない。
たとえば、太平洋に命を散らした青年たち。彼らは大日本帝国を、祖国を守るために突撃し、死んでいったのだ。僕の小学生のときの先生は、彼らの死は無駄死にであった、そしてそれを強制した大日本帝国は悪い国だ、と。
しかしそれはあまりにも事実を知らなさすぎる。「カミカゼ」のためにあのアメリカ人たちが、日本本土に上陸することをためらったのである。そう、まさに特攻隊は、祖国を守るために死んだといえる。
結局何がいいたいのかといえば、簡単である。
我々は歴史を知らねばならない。少なくともその意欲は持つべきだと思う。そして歴史を知り、その裏に潜むロマンを知り、そしてそれをこれから先に生き様を決める上での指標や、或いは雛型にするべきである。そうすれば、少なくとも無気力な生き方をしないでも済むのではなかろうか。
映画「大日本帝国」を発見し、また、山本先生の熱い授業を受けて、ふと、そう思った。多少受け売りも含まれていたりいなかったり。