さて、三月二十七日

 

おいおい。

今気がつきましたが、

もうすぐ三月終わるやん!

 

月日がたつのは早いモンですね。このあいだ学年末テスト終わったばっかりやと思ってたのに。

 

K氏の春期講習も昨日で一休み。明日からはフォース氏などのこれまた個性派講師が軒を連ねる講習地獄に足を踏み入れなければならない・・・

 

いやまあいいんですよ。

 

それも自分で歩むと決めた道ですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

It’s MY LIFE!!

 

………違いますか、そうですか。

 

まあともあれ今日はお休み。これ書いてからゆっくり勉強でもさせていただきます。

 

まあねえ。そろそろフォース氏のことも書かなければならないのかもしれませんが。

 

しかしあんまり先走りすぎるとネタ尽きという憂き目に遭ってしまいますから、今日はやめておきましょう。

 

この間、友人にサガフロンティアを借りて参りました。

 

もう大学入試まで一年ないというのに何しとるんだお前は、とお思いの方。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは私たちの決めたことだから(byラルク<bravely>)

 

 

 

 

 

 

 

言い換えるならば

It’s my life!BONJOVI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

違いますか、そうですか(´・ω・`)

 

まあともあれサガフロです。

 

昔は僕も持ってたんですよ。めちゃハマッてたんですよ。

 

でもね、

 

借りパクされてしまったんですよ。

 

今でも思い出すとはらが立ちます。

まあそれは置いといて。

サガフロ、迷わずアセルス編からやり始めました。

えっと、サガフロご存じない方。

ご自分で気の済むまでお調べください!!

 

残念ながら僕のモットーは懇切丁寧キチンキチンではありませんので。

 

むしろ土下座と謝罪のチキンチキン

 

といったところで。

 

っつーか、まあここで説明するよりもご自身で調べられるほうが絶対確実ですしね。もっと確実なのは、まあ実際にプレイしてみることです。

お金と時間に余裕があれば、の話ですが。

 

アセルス。彼女についてちょこっと触れておきましょうか。

だってそうしないとさすがに話し進まないんだもん。

 

アセルスは、シュライクというリージョン(リージョンというのは、異次元空間に浮かぶさまざまな地域のこと。ちょうど宇宙空間に浮かぶ星星を思い浮かべていただければ、ぴったりくるとおもいますよ)に住む少女。ある日、近所にお届け物をしている最中、突如次元を割って現れた馬車に轢かれて、死んでしまうのです。

しかし、その馬車に乗っていたのは、妖魔の君の一人、「魅惑の君」オルロワージュだったのです。

オルロワージュはアセルスを自分の統治するリージョン「ファシナトゥール」へと連れて帰り、彼女に自分の血を分け与えて生き返らせます。それは、オルロワージュが自分の気に入った女を「愛する」ときの手順。自分の血を与えて、女を妖魔にすることで、永遠に自分の手元に置こうとしたのです。

基本的に妖魔って言うのはなかなか死にませんからねえ・・・

そして目覚めたアセルスは、自分が人にあらざる存在になってしまったことを知るのですが、さりとて完全に妖魔と化したわけでもなく、半分妖魔、半分人間という世界で一人の『中途半端な』存在になってしまうのです。

それを知ったアセルスは困惑するのですが、彼女の世話役に着いた白薔薇姫とともに、ファシナトゥールを去ることを決心しました。辛くもファシナトゥールを脱した彼女ですが、それを知ったオルロワージュは、自分の寵愛する白薔薇を取り戻すために、手下を遣わせます。

一方アセルスのほうは、ファシナトゥールから脱出し、自分の家のあるシュライクへと戻りますが・・・

なんとそこでは十二年もの時が流れていたのです。ファシナトゥールでは時の流れは意味を持たない・・・途方にくれるアセルスの前に、第一の刺客が現れます。

その後も、あてどなく旅を続けるアセルス。幾度となく刺客が差し向けられ、彼女たちはそれをことごとく潰していくのですが、ついに、オルロワージュが自ら立ち上がったのです。

突如としてアセルスの前に姿をあらわした、暗黒の迷宮。そこを出るには、自分にとって一番大事なものをささげなければならない・・・

いくつもの扉を潜り抜けて、ようやくその迷宮から脱出したアセルスの前に、今までずっと近くにいてくれた白薔薇の姿はありませんでした。

アセルスにとって、白薔薇は「もっとも大事な人間」であったのです。旅を続けるうちに、互いに惹かれあっていたのでした。

悲観にくれるアセルスのもとに、ゾズマという妖魔が現れます。

彼がいうに、「言ってしまえよ、彼女のことが好きだったって」

と。アセルスは白薔薇を愛してしまっていたのです。

「君のそういううじうじした性格が、みんなを去らせてしまったのさ」

「行くよ。どこって?そんなの分からない。でもどこかに行くしか仕方ないだろう」(ここ二つ、セリフうろ覚えなので多少創作してますが、大まかな意味はあってるはず)

冷たいゾズマの言葉。

しかし、彼女は立ち上がるのでした。再び仲間と会い、そしてけじめをつけるためにオルロワージュの居城、針の城へと足を向けるのです・・・

 

とまあ、こんな具合でしょうか。わかりにくいなぁ・・・やっぱりある程度は自分でお調べください。

さて、アセルス。

いいですね。

 

 

 

いやむしろ、イイ(・∀・)!!ですね。

 

 

 

個人的には凄い好きなキャラです。凛とした気品を持ちながら、どこか弱い・・・いや、人間的には凄くもろいんですね。だから表面は気品高く、凛としていて、言い換えれば常に虚勢を張っているというか。いやもうともかく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イイ(・∀・)!!

 

 

 

 

さて、ゾズマの「言ってしまえよ、彼女のことが好きだったって」という言葉への返答に、アセルスは

 

「そんなの間違ってるよ。半分妖魔でも私は女だ」

 

というのであります。

 

さてこのセリフ、いくらか問題点をはらんでいると思いませんか?

え?思わない?

 

 

 

 

 

でもはらんでるの!!

 

 

 

彼女が言いたいのは、女が女を好きになるというのは道義に外れている、ということでしょうね。

まあそりゃそうでしょう。近頃でこそ、ようやく同性愛に対して理解が深められていますが、この作品でたの、今から六年前です。

古い人間ならもう、同性愛なんて聞いただけでも身震いするでしょうね。

ちなみに僕は同性愛には理解があるつもりです。だってしょうがないじゃないか。

それは心(ゼーレ)の問題ですよ。正味、ゼーレは理性では操ることができませんからねえ。

 

え?微妙に間違ってるくさい?

 

小さいことは気にしないほうが人間として奥行きができるというものです。

 

さて、この同性愛。

 

理解されていなかったにはそれなりの理由があると思います。

 

もっとも大きな理由は、多分キリスト教でしょう。

それもカソリック。つまり耶蘇会です。

 

カソリックにおいて、離婚が認められていないって言うのは多分多くの人が知るところでありましょう。

というのは、カソリックにおける男女観が、今日の我々のそれとは大きく異なるからです。

今日の我々は、権利と自由というのを標榜してやまない。いや、別にそれ自身はよくも悪くも言いませんが、ともかくそういった風潮の中で、男が女を決める、あるいはその逆の際における決定権の自由がますます主張されるわけです。

つまり、自分の結婚したい人間と結婚する。もしその相手が自分と相性が悪かったらその人とは分かれて、別の人ともう一回結婚する。

これ、別に今では普通ですよね。

しかしカソリックは違うのであります!!

 

カソリックの(夫婦間における)基本概念

 

 

 

 

 

 

生めや増やせや

 

 

いやさすがにちょっとザックリ言い過ぎの感もありますが、ともかく、カソリックでは結婚とは子供を生むためにするのであります。結婚してない人間と姦通するのは罪ですからね。子供を生もうと思ったら結婚しなきゃならない。それで、しかしやっぱり今のパートナーとはソリがあわないなあ・・・となっても、神父に言われるのは、

「いまさら何をいっちょる!!ソリがよかろうが悪かろうが、子供は作れるじゃろうが!!

離婚なぞ断じて認めん!!みとめんのじゃあ!!」

 

いやまあこんな口調の神父さんとかおったらいやですが。

 

まあともかくこんなノリでカソリックは離婚禁止。

 

これ、同性愛においても同じこと言えません?

ここから先は憶測ですが、子供を生むことが結婚の一大理由ならば、同性感における慕情(つまりこれは後に結婚の理由へとつながるかもしれないもの)とは最大のタブーだったんではないでしょうか。

だって子供できないでしょ!?

子供ができないカップルは、駄目だったんですよ、カソリックでは。

でも当時の人間でも、結婚相手に対する自由はもちろん望むべくも無い話だったでしょうから、ある意味、カソリックっていうのは人民の心からは少し乖離をしていたのかもしれませんね。

 

まあ宗教なんてそんなモンです。

 

所詮キリシタンですし。

 

まあともかく、同性愛を認めないというのはそういった宗教的価値観によるものなのではないでしょうか。

 

さて、まあそれはそれでいいんですが、問題はここからです。

 

あ〜疲れてきた。こんなの話だけで済ませたら十分で終わるのに。

 

問題です。

 

サガフロンティアは、はっきり言ってかなり我々の生きる社会とは違います。なんといってもゲームの中ですし、そのゲームと一くくりにした中でもかなり特殊な世界観をもっているでしょう。

だって、世界がいくつもあるんですよ?たとえその間がリージョンシップと呼ばれる船でつながれているとはいえ。

 

また、一つの世界の中と考えても、各々のリージョンは、言ってみれば海で隔てられた大陸。同一の宗教的概念が通じているでしょうか。

あまつさえ、アセルスのすむリージョン、シュライクは、なんと外見は現代日本に酷似しています。

 

なんつっても

 

中島製作所

 

なんていうのがあるんですよ?

 

前方後円墳

 

があるんですよ?

 

そういった世界で、アセルスをして神の存在を匂わしむるのはいったい何者なのか。

 

これはカール=ギュスタフ=ユングのいうところによる集合的無意識としか思えないのであります。

 

つまり、集合的無意識とは、個人の体験や記憶によらず、あらゆる人間の共有する意識であり、またそれらは宗教的教義などによって決定付けられた普遍的な意識、価値観であるというユングの論にきわめて酷似しているのであります!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんということだ!!

 

 

 

こんなところで集合的無意識の例を見ることができるなんて!!

 

言っておきますが、僕は別にアセルスのなかに集合的無意識が存在しているといっているのではありませんよ。

 

製作者の中に息づいてしまっている

 

といってるのです。

 

これは結構凄いことじゃありませんか。日本において、はたして同性愛を禁じるような宗教的教えはあっただろうか・・・

いや、少なくとも僕は聞いたことが無い。しかし、それでもそれを忌避する傾向があったということはつまり、そういった普遍的意識があまねく人々の間に浸透してしまっているということの表れではないのか。

集合的無意識は、必ずしもキリスト教的な価値観のみで構成されるわけでなく、いわゆるさまざまな「元型Archtypus)」によって構成されているとか。

しかしそういった集合的無意識の中に、キリスト教的価値観が複数内在しているということは、すなわちキリスト教が、太古宗教における教義的なものの集大成であるとはいえないでしょうか。

 

小難しい話になってしまったが、意外なところに学術への糸口は隠されているということですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.ここにかかれたことには多分に間違いが含まれているであろうことをあらかじめ言っておきます。

ですから決して

 

他に漏らさないように!!

 

あなたの心の中にしまって置いてください。

そして読むときは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、またなんかこいつ阿呆なことかいとるわい、HAHAHAHAHAHA

 

 

ぐらいの気持ちで読んでください。

 

僕の名誉のために。

 

そしてお互いの精神的衛生のために。

 

なおユングの心理学はたぶんフロイトから入らないと全くさっぱりだとおもいますので。

 

ええ。

 

フロイト飛ばしてユングから始めようとした僕はただの阿呆ですから。