日の丸、国歌について語ってみたい。
よく新聞等で、話題になっているが、私はその問題をよくは理解していないので、なんとも言えない。
しかし、思うのは、・・。なぜ、卒業式の時期だけ、問題になるのか。
サッカーとかのとき、顔に日の丸を書いたり、「日本チャチャチャッ」って言った(?)り、はいいのだろうか?
問題性を理解していない私には何とも言えないが、そこがさらに理解できない。
真相はどうなのだろう?
(9/8)

素直に生きるっていいことではないのだろうか?最近よく思う。
今は、新聞でも騒がれているように、嘘をつく大人が多いように思う。
そして、それは大人だけではない。子供もだ。
自らを謙遜するあまり、あることを否定したり、またはないことを強がったり。
どこまでが本当でどこまでが嘘なのか?人を信じて生きてきた私にはよく分からない。
人を信じる者は馬鹿をみてしまう世の中なのだろうか?
(9/8)

私なりの俳句論。
私は、「俳句を詠む」という。それは感情を詠み込むことを意識してそう言う。
感情をそのまま文にしてるだけ。だから、作ってるわけではない。
ある日の授業中、英語の教科書に松尾芭蕉の話があった。
先生は「俳句を作る」と訳した。
本当は、こだわらなくてもいいところなのか?普通の人は何て言うのだろう?
(9/8)

ある日、弟の参考にさせるため、去年の夏休みの読書感想文をPCから抜き出してみた。去年の自信作だ。
その当時は「学校代表になっちゃう!?」なんて、馬鹿なことも考えてはいたが、改めて読んでみると、そんなでもなかった。
人生も、そのようなことがなんと多いことか。良かれと思っていても、後に後悔することが多いとひしひしと感じる。
けどそれもいいと思う。
まだまだ、たかが17歳。失敗して、後悔しても、その後の人生につなげられる。そんな可能性があるのではないだろうか?
私は希望を持って生きていく。失敗しても、頑張っていく。
今年の課題作文(800字)は結構自信作なんだけどなぁ・・。(笑)
(8/13)

私は謙遜するのが嫌いだ。されるのも嫌いだ。
そうしてると自分自身、なさけなくなってくる。存在を否定されたような気持ち。
私は、「名犬」という茗香自身の存在を否定したくはない。どっちかっていうと、認めてほしいタイプなのだ。
私は、小さいときから、自分の夢を語るのが好きだ。すっごいすっごいかっちょいいって思ってる、そんな夢。
それをいうだけで、大人にほめられた子供の頃。(今でも子供だけど)。単純だったのね。名犬。
今、私たちの年代の子たち、謙遜している。それってかっこいいのだろうか?
特に、申し訳なさそうに謙遜される。自分(の存在)が悪いように語られる。いやだ、私は誰の存在も認めたい。
私は、高校になっても夢を大声で言ってた。悪気なんかなかった。言えば、かなうって思ってた。
白い目で見られた。なんだか分からなかった。確かに学力的にきついことぐらい分かってる。
もう、私は夢を語らなくなった。すっごい寂しいし、辛い。自分の可能性を外に出せないなんて、いや。
けど、世間体でいないといけない。そう思いたくないけど、そう思う。
(8/11)


恋に恋してる、それが、今の私たち、青春真っ盛りの時だと思う。
そのころの恋愛って、すぐ別れちゃう場合も多く、私は、そんな恋に反対派だった。それって真剣じゃないってこと!?
けど、ふと思った。それも、正しく真剣な恋であると。
だいたい、高校生で、運命の人に出会うのって、あんま、ないと思う。(もし、あっても、自覚しないんじゃないかな?)
確かに、私の知ってる人で、中学ぐらいから仲よくって、大人になって結婚した人もいる。
けど、そういうのってまれかな?
若いとき、いっぱい恋をするのも、絶対、無駄じゃないと思う。
すべて、これからの人生の何かの、糧になるのではないだろうか?
(7/31)


私はたかが、17才である。実は、私自身、ずっと子供でありたいと思うふしがある。
大人の社会って、なんか、いろいろ大変そう・・。そう、思ってしまう。
けど、ふと気づいた、大人っぽくふるまってる自分に。
私は、気が短い。嫉妬深い。。
いろいろな自分の欠陥というか、に気づいたとき、まだまだ、子供だなっておもった。
やっぱ無理に背伸びはいけないよ!>高校生へのメッセ−ジ
(7/31)


私は俳句が好きだ。この歴史は幼き頃に始まった。
おばあちゃん子である私は、おはじき、お手玉等、現代っ子が、あまりできないであろう、遊びもできるのである。
その、祖母に教わったものの一つが俳句である。確か、初めて詠んだものは、一緒に海に行ったときのもの。
何ともほほえましい句を詠んだのは、今でもあっきり覚えている。
私の俳句のスタイルは「有季定型詩」である。しかし、俳句の定番、“歳時記”は持っていない。なぜか?
私の中の俳句の定理は、「気持ち、感動を詠み込む」つまり、季語を選び作り上げるのは、私自身であるのだ。
私にとっての歳時記は、私の心に他ならない。
(7/18)

伝えたい音
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