コラム第三弾

成人式 一考





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昨日、1月12日月曜日は、成人の日でした。

成人の日と言うことで、毎年恒例の成人式が、全国各地の自治体で執り行われました。

私はまだ19歳なので成人式には参加できませんが、ことし2004年に20歳の誕生日を迎えるとあって、各地の成人式の様子についてさりげなく注目しておりました。

二年前の成人の日、香川県高松市で行われた成人式で、新成人の男性が式の最中に、挨拶をしていた市長めがけてクラッカーを炸裂させ、その後式全体を巻き込む大騒ぎをさせた事件があったのは、記憶に残っている方も多いでしょう。

そのニュースは、「荒れる成人式」の象徴としてさまざまなメディアで取り上げられ、その後しばらく「新成人の未熟さ」を主題とした議論が続きました。

中には、新成人の人格的な問題はもう仕方ないものとして、式のあり方自体を考える論議も起こりましたが。

ともあれ、さまざまな論争を巻き起こした2002年の成人式の一年後、2003年の成人式でも、先の事件に便乗したかのように同じような事件が相次ぎ、

また成人式論議がまきおこりました。


それから一年。

成人式は果たして、もとの厳粛な式の姿を取り戻すことが出来たのでしょうか。


ところが、


やはりと言うかなんと言うか、今年も各地で新成人は大暴れ。

若者の愚行は、一年やそこらの世代で終わるものではなかったようです。

中には、市長を「ハゲ」呼ばわりする者。

中には、市民憲章を引きちぎる者。

中には、市長に生クリームを投げつける者。

中には、ケンカをはじめる者・・・


見ていて嫌になりました。

一体彼らは何故そこまでして成人式を邪魔したがるのか。

世の専門家達は、「押し付けられるのがキライな若者が多いからだ」とか「目立ちたいという気持ちが先行している」とか分析している方もいらっしゃるようです。

確かにそれはあります。

最近の若者の、大人に対する態度や、目立ちたがり、場をわきまえない行動の数々を見ると、その考えには確かに納得が行きます。

そのため、全国のいくつかの自治体では、何とか成人式を、若者達に受け入れられるものにしようと、

若者から実行委員会を募ったり、抽選でプレゼントをしたり、テーマパークへの無料招待をしたり、と、奮闘しているようです。


しかし


そんなのが、本当の意味で「成人式」と呼べるでしょうか?

成人式というのは元々、今まで未熟であった一人の若者が、社会的に一人の大人として認められ、と同時に、自らの行動に大人としての自覚と責任が求められる、と言うことを自認するための式であるはずです。

自分達で開いた成人式や、プレゼント目的で行く成人式や、テーマパークで遊ぶ成人式の、

どこにそんなことを自認できる機会があるでしょうか?

そういうのは、「成人オメデトウぱーてぃー」でやってくれりゃあいいんです。

成人式と言うのはもっと精神面で得るものがなくてはならないはずです。

自分達の意見を成人式に活かせるようにすると言う考え方は確かに有効かもしれませんが、

自己中心的人間の巣窟である今の若者層に「反映するから、意見を言ってくれ」と言っても

大抵は、われ関せずな人間か自己中心的な願望を言うに留まる人間のどちらかでしょう。


と、いうより、私が常々疑問に感じていたのは、

「20歳であれば誰でも参加出来る成人式」というのがまずおかしいです。

「成人」と言う言葉の意味を考えてみると、「おとな」と言う意味と同時に、

「精神的に成熟していて、物事の分別がつくこと。」と言う意味があります。

果たして、成人式で騒動を起こしているあの若者達が、「成人」と呼ばれるにふさわしい存在でしょうか?


私は、そういったことを踏まえて、いっそのこと成人式は参加申し込み制にすべきだと考えます。

申し込み制にした場合、ただ参加して騒ぎ立てようとおもっている若者は来づらくなるでしょう。

自治体から許可を得た人間とその関係者しか、会場には立ち入れないことにします。

それによって、補導暦のある人間や、犯罪を犯したことのある人がどれだけあるか把握することも出来ます。


ただ、この場合予想されるのが、「差別だ」と言う内容の反発。

しかし、思い出していただきたいのは“「成人する」とはどういうことか”ということ。

精神的に未熟な人間は、いくら年齢が20歳超えていようと、

少なくとも私個人の考えでは、成人とは認めたくありません。


本当に、自分が成人である証として与えられた「責任」を自覚できる人間のために、成人式はあるべきです。

どんな若者でも、20歳を越えたら成人としておとなの仲間に迎えてやりたいという親心は判りますが、

皆が皆、そのお迎えを素直に受け入れてくれる素直な心を持った人間ではないです。はっきり言って。

成人式で騒ぐ連中というのは、大抵が自分中心の人間ですから、

そういう方たちはいっそ成人式への参加はお断りして、

自分達の満足いくように、自分達の気の合う仲間と、自分達だけでやってもらったほうが何ぼかましです。

ていうか、ぶっちゃけ彼らもそのほうが楽しめるでしょう。

無理にそういう輩も一緒にしようとして、真面目に参加しようとしていた他の参加者に不快な印象を与えてしまっては、何のための祝典だかわかりません。


一年後に控えた自分の成人式が、どんなものになるか、

むしろ参加者の私のほうが不安でいっぱいです。

というのも、私と同い年の連中は、

それまでは非常に平穏だった地元の中学校の中で、ほぼ初めて不良グループが形成された年であって、

その後の中学校の荒れを引き起こした張本人とも呼べる輩が何人かいるわけで、

今から何を起こすやらと心配で仕方ないわけです。

つーか、荒れることは目に見えてるわけで。


そんなわけで、来年の成人式に向けて、私の不安を大いに煽る結果となった、今年の成人の日でした。








ちなみに。


多分、今のままだったら、来年の成人式には不参加という形をとるかもしれません。

上のほうで、「自覚をするための式典」云々と訴えましたが、

逆に、きちんと自覚できる人間は式典なんぞに出なくても、成人として恥ずかしくない行動を取れるようになるはずです。

そう、私は、別に式に参加なぞせんでも自覚できる大人になりたいので、敢えて出ません。

わざわざ出て、もしも式が荒れたら嫌な思い出しか残りませんから。








それに、どうせ出ても再会を懐かしんでくれる親しい旧友なんていないしな











そして、中学のころ告白して(こっぴどく)フラれた女子に会う勇気もないしな


















_| ̄|○




2004.1.13






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