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 月刊数学Tb教科通信                 最終号:フェルマーの予想
           2001年2月20日発行
 
 
 先日、A君に「なかなか面白い問題があるよ。」と言って、ある図形問題を手渡しました。 1時間くらいたってA君が「分かりません。降参です。」と言ってきたので、「1時間ぐらいで降参は早い。1週間ぐらい考えて、来週持ってきなさい。」と帰しました。
 白状すると、その問題を私は1日前に見て、1時間くらい考え、まだ解けていなかったのです。何といい加減なと言われそうですが、私の考える数学の問題は1、2日くらい考えるのは当たり前で、1週間くらいゆっくりああでも、ないこうでもないと、1つの問題をひねくり回していることに至福を感じるのです。
 
☆360年間かかった問題
 
 1週間くらい1つの問題を考えるなんて、まだ序の口。実は360年間考え続けられて、つい最近解決した問題があるのです。それはフェルマーの予想と呼ばれる、次の様な問題です。
 




 
   フェルマーの予想:FLT   
n=3,4,5,6,7,....のとき
       
 +Y =Z を満たすような整数 X、Y、Zは存在しない。
 
 
◎数学を創った人々第11回:ピタゴラス〜フェルマー〜ワイルズの巻
 
 ピタゴラスは「エヴァリスト」第6号に登場しました。そのピタゴラス派の表看板は、何とい
ってもピタゴラスの定理(別名三平方の定理)です。               B

[ピタゴラスの定理]
 三角形ABCおいて、ÐC=90゜ならば
   AC+BC=AB・・・@ が成り立ち、
 
 逆に AC+BC=AB ならば ÐC=90゜となる。  A  




 上の式@で、AC=X,BC=Y,AB=Z とすると
  X+Y=Z・・・A となります。X,Y,Zをすべて整数に限ると、たとえば
  3+4=9+16=25=5 なので、
 (X,Y,Z)=(3,4,5)は式Aの整数解の組となります。
 この様な、式Aの整数解の組をピタゴラスの数と言います。
 さてピタゴラスの数は、(3,4,5)の他にあるでしょうか。ただし、(6,8,10)の様な単に(3,4,5)を整数倍したものを除いてです。
 実は、(5,12,13)(8,15,17)もピタゴラスの数です。
 たとえば、5+12=25+144=169=13。(8,15,17)の方も確かめてください。ここで種をあかすと、ピタゴラスの数を求める公式があります。それは
 
 mとnを一方が奇数で他方が偶数とし、 m>nとする。このとき
 X=m−n,Y=2mn,Z=m+n とすると、X,Y,Zはピタゴラスの数である。
 
 たとえば、m=2,n=1とすると、
   X=2−1=4−1=3,Y=2×2×1=4,Z=2+1=4+1=5
   m=3,n=2とすると、
   X=3−2=9−4=5,Y=2×3×2=12,Z=3+2=9+4=13
 などです。mとnに次々と数字を代入していけば、次々とピタゴラスの数ができますから。
 「ピタゴラスの数は無限にある。」ことが分かります。
 
◎数学者(数学屋)はこれでは満足しない。
 
 私見では、数学者とは数学の大小新理論や定理を発見や証明する人。主に大学や大学院で教授している。また数学屋とは数学の大小新理論や定理を理解したり出来なかったりするが、理解したことを教えている。主に小中高校で棲息している人、です。私はもちろん数学屋。
 さて、数学者(屋)は上の式A X+Y=Z やピタゴラスの数では満足しません。これで満足するようじゃあ数学者(屋)とは云えない。じゃあどう考えるか
 式Aの指数2が3や、4だったらどうなるか? つまり
 X+Y=Z や X+Y=Z に整数解の組(X,Y,Z)はあるだろうか?
いよいよ、フェルマーの予想の始まり始まり.... 
 
◎ディオファントスの余白に。
 
 紀元250年頃アレクサンドリアにディオファントスという数学者がいました。彼は算術について色々研究しました。その中には「4平方の定理」(裏の注1参照)などがあります。また彼の墓には、方程式の文章題が書かれています。(裏の注2参照)
 ディオファントスは「算術」という本を書き、そのラテン語の訳本が1300年以上の時を経てピエール・ド・フェルマー(1601〜1665)の手に渡りました。
 フェルマーの本職は法律家で、余暇の気晴らし(!)は数学の本を読むことでした。彼は古代ギリシアの数学の本を読んでは、本の余白に自分の思いついたことを書き込む癖がありました。今日でもフェルマーの小定理など、色々残っています。1637年頃、フェルマーはディオファントスの「算術」の余白に、ラテン語で次のように書きつけました。
 
 「他方、1つの立法数(Z)を2つの立法数に(XとY)、また1つの二重平方数を2つの二重平方数に、さらに一般に、平方数を除くいかなる乗数も同一のべき乗数を持つ2つのべき乗数に分かつことはできない。私はこのことの驚くべき証明を発見したが、それここに書くには余白はあまりに狭すぎる。」
 
 これが、フェルマーの最終定理(Fermat's Last Theorem 略してFLT)またはフェルマーの予想と呼ばれているもので、式で表せば左の枠内の様になります。フェルマーは、本当に、証明を発見したのでしょうか。
 彼が書き残さなかった証明を、後生の人は再現しようと必死になりました。
 まず、n=3と5の場合をオイラーディリクレ(1828年)が、n=4の場合はフェルマー自身によって、n=7の場合はルベーク(1840年)が証明しました。
 
◎次々登場する数学者
 
 ソフィー・ジェルマン(1776〜1831)は3££100の素数で、ある条件を満たす場合を証明しました。第8,9号に登場したコワレフスカヤやネーターより1世紀前に活躍した彼女は、男名でガウスと文通し、大きく評価されました。後に女性と分かって、ガウスはとても驚いたと言われます。
 彼女の大きな前進の後、フランスアカデミーはFLTの完全証明者に金メダルと3000フランを与えると発表しました。ある人がガウスに天文台長としての彼の給料を大きく上回るこの懸賞に応募したらどうかと勧めましたが、彼は「この問題には何の興味もない」と答えました。 慎重居士ガウスはFLTの真の困難さを知っていたのかも知れません。
 1847年ガブリエル・ラメコーシーが整数を複素数にまで拡張した素因数分解の一意性(裏の注3参照)を用いて、FLTを証明した発表しました。ところがエルンスト・クンマー(1810〜1893)が、整数を複素数にまで拡張した場合、素因数分解の一意性は成り立たないことを示し、ラメとコーシーの証明はおじゃんになりました。クンマーは複素数まで拡張した素因数分解の一意性が成り立つ理想数というものを考えました。それがやがて、デデキント(1831〜1916)のイデアル(裏の注4参照)につながることになります。
 
◎谷山=志村予想
 
 時は下って1955年9月。所は日本の東京&日光で代数的整数論シンポジウムが開かれました。ここで大学院生の谷山豊(1927〜1958)はある重要な予想をアンドレ・ヴェイユ等と話題にしました。谷山はヴェイユからのアメリカのプリンストン高等研究所への招待に応じ、10月には婚約。しかしなぜか11月17日に自殺したのでした。彼は日本のガロアとも呼ばれています。この後、親友の志村五郎(1930〜)は谷山の予想を現在、谷山=志村予想(裏の注5参照)と呼ばれる問題に完成しました。
 
◎仕上げはワイルス゛
 
 アンドリュー・ワイルズ(1953〜)は10才の頃、彼の祖国イギリスの公立図書館で数学の本を読み、そこでFLTを知りました。いずれ大きくなったら、フェルマーの失われた証明を自分が発見してやろうと決心しました。しかし、忙しさに紛れて関心は他に移っていきました。
 1983年ファルティンクスはモーデル予想を証明、その結果を用いて、グランブィユとヒース=ブラウンが、FLTが成り立たないnがあるとしても、その割合は、nが大きくなるにしたが非常に減少することを示しました。
 1984年ゲアハルト・フライは、「フェルマーの方程式X+Y=Z を満たす整数解の組(X,Y,Z)が(それはグランブィユとブラウンの結果から、もしあっても非常に少ないのであるが)もしあるとすれば、その解(X,Y,Z)から生まれる楕円曲線(フライ曲線)はモジュライ形式ではない」というフライの予想を発表しました。1986年ケン・リベットはフライの予想を証明しました。これを聞いたワイルズは子供のころの夢を思い出しました。
 
FLTが証明できるかも知れない!! 谷山=志村予想を証明すれば良い!!
 
 これはどういうことかというと、一種の背理法です。つまり、
 フライとリベットの結果B
 「もし、FLTが正しくないならば、モジュライ形式でない楕円曲線が存在する。」
 谷山=志村予想C
 「すべての楕円曲線は、例外なくモジュライ形式である。」
 だから、谷山=志村予想Cが正しければ、「FLTが正しくない」と矛盾し、だからFLTは正しくなるしかない、というわけです。
 
 ワイルズは燃えました。他の研究をすべて放り出し、屋根裏の勉強部屋に引きこもり、数年が
たちました。ついに彼は確かな感触をつかみました。
 1993年6月、ワイルズはイギリスへ飛びました。20年前のケンブリッジ大学での彼の恩師ジョン・コーツが、1時間程度の話をしてくれないか、という依頼すると、いつも寡黙なワイルズがめずらしく3時間の講演時間をくれないか、と聞き返しました。
 ケンブリッジでの講演は3日続きました。初めは少数で静かだった聴衆も「これは何かある」と思い始め、3日目になるとワイルズは、人をかき分けなければ演壇に立てないほどでした。
 1993年6月23日。講演の最後にワイルズは語りました。
「というわけで、谷山=志村予想は証明され、このことからFLTが証明されます。」聴衆はいっせいに賞賛の声を挙げ、フラッシュがたかれ、世界中のファックスがニュースを伝えました。ところがこれはフィナーレではありませんでした。
 ワイルズの証明は、世界中の数学者の確認作業を受けました。まもなく親友ニック・カッツを始め多くの数学者から、一つのしかし致命的な欠陥が指摘されました。
 再びワイルズの苦闘が始まりました。瞬く間に1年がすぎました。やがて彼は、日本の数学者、岩沢健吉(1917〜)の岩沢理論を使うことを思いつきました。
 
 1995年5月ワイルズは、最後に協力したリチャード・テイラーとの修正共同論文を発表し、<数学年報>に掲載されました。ここに、FLT(フェルマーの予想)は安らかな眠りにつきました。デイォファントスへの書き込みから360年たっていました。いや、ピタゴラスから数えれば、2500年ぶりのことでした。
 
(これで「エヴァリスト」全巻の終わりです。1年間のご愛読ありがとうございました。)
 
 
注1)4平方の定理
 すべての自然数nはある整数の組a,b,c,dによって、n=a+b+c+d2 と表すことができる。ディオファントスが考えて、ラグランジェが1772年に証明した。
 
注2)ディオファントスの墓碑銘
 彼(ディオファントス)は、一生の6分の1を少年としてすごし、その後12分の1以降はあごひげをはやしていた。さらに7分の1をへて結婚式を挙げ、5年後に息子をもうけた。ところがこの愛しいが不幸な子供は冷酷な運命の女神に連れ去られ、享年(死んだ年)は父の2分の1でしかなかった。彼(ディオファントス)は、生涯の残りの4年間を悲しみをいやしながら過ごした。さて、彼は、何年生きただろうか。
 
注3)素因数分解の一意性
 整数を、素数に分解するとは、たとえば
  360=2×3×5
 のように、360を素数2,3,5の何乗かの積に分解するこという。
 このとき、素数の小さい順に書くとすれば、360の素因数分解の方法
 はこの1通りしかない。これを素因数分解の一意性という。所が複素数
 にまで因数分解を拡張すると、この一意性が成り立たないことをクンマ
 ーは発見した。
 
注4)理想数とイデアル
 昔、植木等の「何である。アイデアル。」というカサのCMがあった。
 アイデアルは英語でideal=理想の意味だが、それがドイツ語になると
 イデアル Ideal となる。なお、クンマーはドイツ人。
 
注5)谷山=志村予想
 y=ax+bx+cx+d で表される曲線を楕円曲線という。
 谷山=志村予想とは「すべての楕円曲線はモジュライ形式である。」というもの。
 モジュライとは何じゃい?と聞かれても、実は私には??である。アンリ・ポアンカレ(1854〜1912)が創設した。書庫にある岩波講座「現代数学の発展:モジュライ理論1」をめくって見たが、やはり???だった。まあここでは一応、「sinθや cosθなど周期関数の、ある理想の形」としておいて、モジュライ形式の研究は老後の楽しみにとっておこう。