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 月刊数学Ua教科通信               第3号:考える葦
     オイラの贈り物  2001年6月29日発行
 
 元々6月末に発行予定の第3号でしたが、遅れ遅れて早7月末の今頃のこのこ登場。
 
 21世紀最初の2001年も、7ヶ月を過ぎようとしています。そこで、20世紀の数学はどんなんだったのかと、「20世紀の予想」という本を開いてみると、ムーンシャイン予想のモンスター群云々と書いてあった。ムーンシャイン(=moon shine)つまり青白き月光の下で、怪物(モンスター)の群を研究するなんて、なんか恐い、そして暗い。20世紀ってそんなに暗い時代だったの?
 一方、20世紀中に生まれて、21世紀に発展しつつある「グラフ理論」という学問がある。これは放浪の数学者エルデシュが創った学問で、日本ではヒゲとバンダナの数学者秋山仁も専門としている。そこで手元の「グラフ理論入門」という本をパラパラとめくると、ホールの結婚定理というのが載っていた。内容はよう分からんが、こっちの方が明るそうだ。21世紀は明るい時代だろうか。
 というような、与太話はともかく、今回は「明るい vs. 暗い」をサブテーマに行ってみよう。
 
◎数学者のことば第三回:パスカルの巻「人間は考える葦である」
 
 みなさんは、「人間は考える葦(あし)である」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
これはブレーズ・パスカルが、彼の著書「パンセ」に書いた言葉だ。

 人物を理解するときに、互いに比較するという方法がある。そこで前号のデカルトと比べてみよう。
 16世紀のルイ王朝の絶対主権が強まりつつあったフランスで、新たに財をなし、貴族の位を金で買い、行政官として出世していく層があった。これが法官貴族である。
 この層には、パスカルやデカルト以外にもフェルマー、ラシーヌ、モリエールなどそうそうたる人物がいる。
 近代科学の祖デカルトは、真空に対してはアリストテレスの考えを支持して

 

  パスカル     vs.  デカルト

一見

暗い

明るい
生涯 1623〜1662 1596〜1650
享年 39才 53才
スローガン 人間は考える葦である。 我思う。故に、我あり。
主著 パンセ 方法序説
出身階級 フランスの法官貴族 フランスの法官貴族
宗派 ジャンセニスム イエズス会
哲学 一元論 物心二元論
精神 繊細と幾何学の精神 幾何学の精神
真空の存在 実験で実証 認めない。
数学 確率論。積分 解析幾何
趣味 修道院で瞑想。賭 お祭り、行列見物
健康 生涯病身 病弱だったが後に丈夫に
睡眠 不眠症 毎朝10時までぐっすり
星座 双子座 牡羊座
対女性
 
唯一愛した女性は修道院へ。よって生涯独身。 女好き。そのため決闘もが、なぜか生涯独身。
相手の見方 無用、不確実なデカルト それなりに関心を持つ?
唯一の出会
 
1647年9月24日パスカル宅にデカルト訪問
 
いた。アリストテレスは、音や光が空間を伝わるのは、空間に目には何か見えないが物質が詰まっていると考え、それをエーテルと名づけた。そして、そのエーテルの濃度が薄ければ薄いほど音や光は早く伝わる。だからもし真空があれば、その中では伝わる速度は無限大になってしまう。しかし無限大の速度はありえない。だから真空はあり得ない。即ち「自然は真空を嫌う」。こういう思考方法を思弁的推論(しべんてきすいろん)とう。科学者なのにデカルトも同じ考えだった。思弁的思推論は、一つひとつ論理を追ってはいくのだが、実験で確かめることをしない。いかに偉大な人の推論でも、一カ所の勘違いがあれば、結果おかしな結論を生み出すこともある。それをチェックするのが科学的な実験だ。推論過程の反省だ。猿でもできる反省をアリストテレスはやらなかった。
 これに対し、イタリアのトリチェリが有名な真空を作る実験に成功、パスカルも同じ実験を追試し確信を得た。
 
 宗教界では、ルターが宗教改革を起こし、カトリック(キリスト教旧教)も衝撃を受けた。これに対抗して、スペインのイグナチウス・ロヨラがイエズス会を起こした。イエズス会の大幹部フランシスコ・ザビエルがは〜るばる来たぜ函館へ、ではなくて日本にキリスト教を布教しに来たのは、みなさんもご存じですね。
 イエズス会は大衆にカトリックを広めるために、戒律を大幅に緩めた。
 パスカルの書いた「田舎人への手紙」によれば、信者が「私は盗みをしなかった」と宣言したあと、小声で「今日の所は」といっても許されたそうだ。デカルトはイエズス会の学校で学んだが、彼は宗教についてそれほど深刻には考えになかった様だ。
 一方、戒律を緩めるなんてとんでもない。それで信者が増えなくたって、僕良いんも〜ん、というのがジャンセニスム派の考だった。パスカルはこの派の信者だった。
 ジャンセニスムは、イエズス会の圧迫を受けた。そこでパスカルが民衆にジャンセニスムの正当性を訴えるために、匿名で「田舎人(プロバンシャル)への手紙」を書いた。それは大衆の中に大きな反響を呼び起こした。しかし、多勢に無勢でジヤンセニスムは追いつめられていく。その中でパスカルは彼の哲学を色々な紙切れや手稿に書き残していた。
 病が進んでいたパスカルは、1662年に死亡。その死後、彼の草稿が発見され、親族や友人の手によって出版された。
 それが「キリスト教と他のいくつかの主題についてのパスカル氏の思想(パンセ)(注1)」である。いまでは単に「パンセ」と呼ばれている。
 
◎「人間は考える葦である」
 
  
  ブレーズ・パスカル

 近所をぶらぶら歩いていると「葦」という喫茶店を見かけた。それはもしかしたら、あのロダンの彫刻のポーズで、
「人間は考える葦だ」と考えながらコーヒーを飲んでみたらと誘ってるのかな、と思ったりする。
 この言葉の載っている「パンセ」は、デカルトの方法序説と異なり、始めから終わりまで文章が続いている本ではない。大小さまざまな文の断片が集まっているのだ。
 たとえば「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」という警句は断章161にある。
 「人間は考える葦である」は断章347にある。しかし、この有名な言葉を知っている人でも、そのあとに続く文章まで読んでいる人は少ないかも知れない。
 
 人間は一茎の葦にすぎない。自然のうちで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼を押しつぶすには、全宇宙が武装するにはおよばない。一吹きの蒸気、ひとしずくの水が、彼を殺すのに十分である。しかし、宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を殺すものよりもいっそう高貴であろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙が彼を越えていることを知っているが、宇宙はそれらのことを何も知らないからである。(後略)
 
◎パスカルの作った計算器
 
 パスカルの父エチエンヌ・パスカルが税務長官を務めていたとき父の仕事を助けようと思ってパスカルは計算器を作った。それは今日のコンピュータや電卓の様な電子式と異なり、機械式で歯車の組合せで加減乗除の計算ができる。2年間にそれを約50台作りデカルトが晩年仕えたスウェーデン女王クリスティーナにも1台献上している。パスカルって器用だったんだ!
 パスカルの計算器は、デザインは変わったものの、ずいぶん長く使われた。私は昔、歯車を回すハンドルがついたものを見た覚えがある。大学で私に物理数学を教えてくれたM教授は、その手回し計算器をぶんぶん回して計算し、論文を書いたという噂があった。

     
   パスカルの計算機
   
 
◎歯痛で眠れない夜は...
 
 不眠症だったパスカルは、ある夜、歯痛がひどくとても眠れなかった。そこで彼はサイクロイドに関する数学の問題(注2)を考えることにした。
 彼はその問題を解いた。すると不思議なことに歯痛も治った。
 もし、みなさんが夜中に歯痛になったら、数学Uaの模擬問題を解いてみたらどうだろうか。歯痛が治るかも知れない。もっとも万一痛みがよけいひどくなっても、当方は一切関知しないのでそのつもりで。
 
◎放蕩したパスカルと確率論
 
 パスカルは病身な上に堅物だったので、社交界には縁がなかった。
 そんな彼も27才から30才くらいの2,3年間はパリの社交界に出入りしたことがある。酒を飲み賭をし恋もした。
 もっとも恋と言っても片思いみたいなもので、名作「愛の情念に関する説話」を書いているうちに相手はさっさと修道院へ入院してしまった。
 賭については、数学Tの教科書P125にも書いてあるが、友人のド・メレに、勝負の決着がつく前に中止した賭の分配の割合を訪ねられたことから、パスカルは確率論の基礎を創った。
それに関連してパスカルの三角形(注3)を考えた。
 
◎虚無と無限
 
 パスカルはなぜ、「人間は考える葦である」と思ったのだろうか。
 私はせいぜい「パンセ」を拾い読みしただけなので間違っているかも知れないが、それは次の断章72に源があるのかも知れない。
 
 (前略)宇宙を照らす永久の灯火のようにおかれているあの輝かしい光(上田注:太陽のこと)を見るがよい。この天体の描く大きな軌道に比べるならば、地球も一点のようであることを思え。またその軌道そのものも、大空の中をめぐるもろもろの天体がとりまいている軌道に比べるならば、きわめてかすかな一点に過ぎないことを驚くがよい。だが、われわれの目がそこにとどまるならば、想像力にそれを越えさせるがよい。自然が与えるのに疲れるよりも、想像力が考えるのに疲れるであろう。この見える世界のすべては、自然の広大なふところのなかの、目にもとまらぬ一線に過ぎない。(上田注:なんと大きなスケール!)(略)
 人間は無限の中にあって、いったい何ものであるか?
 
 しかし、人間に他の同様に驚くべき不思議を見せるために、その知ってる限りの最も微少なものをさがさせるがよい。一匹のダニ(上田注:背中がかゆくなってきた。)は、きわめて小さいからだと、比べもののないほどさらに小さい部分とを持ち、関節のある足、足の中の血管、血管の中の血、血の中に液体、液体の中にしずく、しずくの中に水蒸気を持っているが、それを彼に示し、この最後のものをさらに分割して、彼の思考力を消耗させ、彼の到達しうる最後の対象を今われわれの議論の対象にするがよい。彼はおそらくこれこそ自然の中で極微のものであると思うであろう。私はその中で新しい深淵を彼に見せよう。彼のために、見える宇宙のみでなく、自然について考えうるかぎりの広大無辺なものも、この微分子の縮図の内側に描いて見せよう。彼はその中に無数の宇宙、そのおのおのがそれぞれの大空と、遊星と、地球とを見うる世界と同じ割合で持っているのを見るであろう。その地上にもろもろの動物を、ついにはダニを見るであろう。(上田注:またかゆくなってきた。)
 そのダニの内に最初のダニにあったすべてのものを、彼は再び見いだすであろう。また他のものにもなお果てしなく休みなく同じものを見いだしていくならば、その広大のゆえに驚くべき一方の不思議と同様に、その微少のゆえに驚くべきこの不思議に対して、彼は自失するであろう。なぜならば、先ほど万有のふところの中で、それ自身目にもとまらなかった宇宙の、そのまた中で、認めることもむずかしかったわれわれの身体が、今や人の到達しえない無に比べられて、巨像となり、世界となり、むしろ万有となることに、だれが驚かないであろうか?
 
 このように自分をかえりみるものは、自分自身にたいして恐怖を覚えるであろう。また自然が彼にあたえた肉体をもって、無限と虚無との二つの深淵のあいだにかかっている自分を思い、これらの不思議を見て恐れおののくであろう。そして私は思うに、彼の好奇心は驚嘆に変わり、彼は思い上がってそれを探求しようとするよりも、むしろ沈黙のうちに見つめようと心がけるであろう。
 なぜなら、しょせん、人間は自然の中にあって何ものであるか?
 無限に比べると虚無、虚無に比べるとすべて、無とすべてとの中間者。(後略)
 
 この断章で哲学や神について思索しているが、無限大や無限小(虚無)に思いをめぐらしているということは、パスカルは数学を語っているともいえよう。
(これでパスカルの回を終わります。次回はガリレオの予定です。)
 
注1)パンセ
 パスカルの「パンセ」は日本語では「瞑想録(めいそうろく)」等と訳されている。これに対して、パスカルが
読み親しんだモンテーニュの「エセー」は「随想録(ずいそうろく)」等と訳されている。日本語にするとなんか似ているようだが、パンセはフランス語で Pensees で英語では thoughts つまり「考えたこと」という意味だ。一方、エセーは元々エセッイアつまり、まあやってみよう、まず思いついたことから書いてみよう、というような意味がある。
                         
注2)サイクロイドに関する数学の問題
 サイクロイドは、円が直線上を転がるとき、円周上
の1点が動いてできる曲線のことです。(図1)
 パスカルの考えた問題は次の6つ。
 図2で
  @斜線部ACDの面積求めること。
  A斜線部ACDを直線CDを軸に回転したときの回転体の
   体積を求めること。
  B Aの回転体の重心を求めること。
 図3で
  C斜線部ABの面積求めること。
  D斜線部ABを直線ABを軸に回転したときの回転体の
   体積を求めること。                
  E Dの回転体の重心を求めること。

      
 
 これらはいずれも積分の問題で、後にライプニッツは
これにヒントを得て、彼の積分論を創ったといわれている。
 
注3)パスカルの三角形
 図4をパスカルの三角形という。
 数学Tbを勉強したみなさんは、実はすでにこれを間接的に習っている。No.8レポートの独立試行の反復事象だ。
 「1枚のコインを5回投げたとき、表がそれぞれ
 0回、1回、2回、3回、4回、5回でる確率は」
 (1/2)(1/2)
 (1/2)(1/2)
 (1/2)(1/2)5  となる。
 

  図4     1
         1 1
         1 2 1
        1 3 3 1
      1 4 6 4 1
     1 5 10 10 5 1
     ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 
を計算すると、図4の5行目の1,5,10,10,5,1になる。図4の三角形は、元々パスカルが最初に発見したものではない。しかし、この三角形を用いて確率の問題を次々解いたため、パスカルの三角形と呼ばれる様になった。
 
オイラの贈り物へのお便り
 
Aさん:オイラーは全盲になってしまっても、人生の最後までよく研究し、計算したなあと感心します。また、複雑な計算を全盲になってまでしたことも素晴らしいと思いました。そして、ロシアのペテルスブルグ学士院に就職した後も神の存在の代数的証明をしたことで、とても偉い数学者だと思いました。
Bさん:「オイラの贈り物」の第1回はよく分からなかったけれど、第2号は面白かったです。
Aさん:デカルトの「我思う、故に我あり」という言葉は、彼にとっては良い言葉だと思います。少しでも疑問に思うものをどんどん切り捨てるというのは、大切だと思ったからです。
 
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