永遠の子供たち
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あの娘(こ)とこの子がsexした。夢かうつつかわからない。
「おはよう」
「こんにちは」
「さようなら」
「避妊しないとできちゃうよ」
「うるさいな〜」
「ほら、やっぱり!」
「絶対イヤです、おろしません・・・」
「おめでとう」
「・・・」
遥か昔に滅び去った帝国の都を復元しても、あるはずのものが実際には無く、代わりに別のもの。
君に逢えてよかった。私は本当にそう思った。君のおかげで私の心が朝の水色になったから、私には水分を補う必要が無くなった。それに私はもう、催涙ガスを吹きかけられない限り、決して水分を放出しないだろう。
1
佳子(よしこ)と二人きりであの名高い円山公園の夜桜を見る約束をした私は、新幹線で京都に向かった。東京で買ったガイドブックに「しだれ桜が圧巻だ」とあったので、一度見てみたかった。
佳子と会うのは13年ぶりだった。車体はシューッと爽快な機械音を響かせながら、向かい来る景色を切り裂いて疾走し、私たち乗客は東京から京都までの三時間弱、一本の線の上を正確に進行した。
田町駅のホームが見えていたなと思っていると、すぐに横浜市街が望まれ、熱海を過ぎた頃、私は眠りに落ちた。気が付くと名古屋まで来ていた。こんな快晴の日に富士山を見逃したのが悔やまれた。伊吹の山裾をぐるりと周り、一瞬見える琵琶湖の煌めく水面の向こうにプリンスホテルの高層を認め、京都到着は12: 26のはずだったが、私がホームに降り立ったとき、腕時計は12: 29を示していた。
新幹線の改札を抜け、公衆電話にテレホンカードを挿入し、実家に電話をかけると弟の気怠い声が聞こえ、車で迎えに来るように言うと、いっそう気怠い声でそれでも拒否するわけではなかったので、私は受話器を置き、2番ホームに向かって歩いた。
旅行鞄を下げたまま、エスカレーターで通路に下りた。人影は疎らだった。私は「2」へ向かった。
上りのエスカレーターは止まっていた。
階段を上りきった後、ホームから見える京都駅の周りの風景は、これまでの帰省のときとはかなり様子が違っていた。いつもその鋭利な先端で空を突き刺すように白く聳えていた京都タワーが無くなっていた。代わりに巨大な水色の建物が駅の北側に、空まで隠そうかという勢いで聳え立っていた。その威圧感に心を締め付けられ、この世の不条理を感じ得た私は、何かをどこかに置き忘れてきたような気分のまま、逢瀬に先立って一旦は実家に顔を出そうとしているこの紛れもない自分という存在に、裏切り行為に対峙しているような疑念もしくはある種自己陶酔的な割り切れなさを覚えながらも、上りの琵琶湖線に乗り込み、3っつめの駅で降りた。
私は半年ぶりの関西弁で駅員と言葉を交わし、乗り越し分の運賃を精算したが、思いのほか滑らかには話せなくなっていたので、少し意識的に言葉を選ばならなければならなかった。そのことで私は、太陽の光が溢れる駅前広場に人や車が行き来する映像とそれらからもたらされる音や臭いを肌で感じながら、自分が10年もの間故郷から離れていることを、思考としてではなく体全体の感覚として思い出し、淡い疎外感を胸に抱きながら改札を通り過ぎようとし*、弟が車を広場に乗り入れて来るのが見えた。
弟は無言で私を家に送り届け、私を降ろした後、しばらく神経質にガレージで車の位置を直していた。天気のいい休日だったので、いつものように犬が庭で日向ぼっこをしていて、私に気付くと立ち上がって「わんわん」と吠えた。
父は何かの木材に釘を打ちつけながら、「向こう何時頃出たねん?」「新幹線座れたけ?」などと、変わり映えのない無意味な質問をし、私がそれに答えると続けて、「ばあちゃん家におるわ。ママはおかず買うゆうてどっか行きよった。そろそろ帰って来よるわ」と言った。
薄暗い家中に入ると祖母が、少し前屈みで後ろに手を組み、しわくちゃの顔で、おもちゃを買ってもらった子供のようににやにやしながら、どこからともなくよぼよぼと、ゆっくり現れた。
*私が新聞を探してうろうろしているのを、口を力無く半ば開いて、うつろな目で追いながら、後ろ手はそのままで柱にもたれ掛かり、遠慮しがちにゆっくりと話し始めた。「よう帰って来てくれたな。疲れたやろ」私がテレビのスイッチをつけ、居間に腰を下ろすと、思い出したように、「冷蔵庫にプリンあるわ、プリン、食べへんか?・・・昨日石井さんが持ってきてくれたんや、お嬢つれてな。ええ服着せてもろとったわ・・・」とつぶやきながら、台所へ消え、再び現れ、「食べるやろ、プリン」と、私の前にアルミ製のスプーンとそれを置いた。
それはごく普通の、全体は黄色く、底の部分だけ茶色の、透明のカップに入ったそれだった。部屋があまりに暗かったので、蛍光灯をつけ、しばらく関西風のお笑い番組を、それには手を付けないで静かに見ていると、「電気いるか?、いらんか?」と聞いてきたので、私は小声でぼそっと「ええわ」と言った。祖母はぎこちない動きで恐る恐る蛍光灯を切り、しばらくすると、離れに戻って横になっているのか、祖母の姿は見えなくなった。
私はテレビとプリンをそのままにして、荷物を自分の部屋へ置きに行き、髪を少し整え、結局母には会わないまま家を出た。
佳子との待ち合わせ場所であるプリンスホテルは、実家から歩いて行ける距離にあった。私は、民家の連なりの向こうの空に頭を出しているそれに向かい、川沿いを歩いた。
川が琵琶湖に流れ込もうとする直前の湖岸に、円柱を縦に割って、切断面を湖の外側に向けた形で全面ガラス張りになった高層38階のホテルが、斜め上方から注がれる春の陽光をその全体であらゆる方向に乱反射しながら、遥か遠方で水平に、ゆらめきながら接触しているように見えるところより更に先へ、果てしなく広がっていくような、静かに重く横たわる湖面の群青色と輝かしく白い切れ切れの薄雲が晴れやかに泳ぐ空の水色に挟まれた無色透明の空間、*西岸に厳かに横たわる緑青色の比叡を切り裂いて、聳え立っていた。
待ち合わせの4時まで1時間弱の間があり、私はエントランスホール中央で、2階へと続くエスカレーターの両脇に造られた室内噴水が、七色の水飛沫を吹き上げているのを眺めながら、側に並べられたソファーの一つに腰を下ろした。幸せそうな家族やカップルが三々五々笑いながら、私の視界を横切った。佳子の家族もこんな風に幸せそうに笑うのだろうかと考えながら、何年ぶりかで買ったセブンスターに火をつけると、懐かしさが体の隅々に染み込んでゆくようで、急に慣れないキツめの煙草を吸ったせいもあるのだろう、頭の中に細やかな霧がかかり、白ばんでいった。
2
淡海(おうみ)の海夕浪千鳥汝(な)が鳴けば心もしのに古(いにしえ)思ほゆ 柿本人麿(万葉集)
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琵琶湖の原型である古琵琶湖が誕生したのは今から凡そ二百万年前、氷河時代の初期の頃であった。古琵琶湖の広がりは、近江盆地一帯から南は伊勢盆地にまで及んでおり、現在の琵琶湖の約二倍の面積を持っていた。
広大な広がりを持つ古琵琶湖は、氷河時代の激しい自然変化によって、少しずつその範囲を狭めていく。長い年月の間に、主として東方から流れてきた土砂が湖を埋め、湖東に広々とした平坦地を生成しながら、古琵琶湖は次第に現在の姿へと近づいていった。
氷河時代、日本はまだ大陸と地続きであった。
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(都が飛鳥に戻って二十年余り後)近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本朝臣人麿の作る歌
玉襷(たますすき) 畝火(うねび)の山の 橿原(かしはら)の 日知(ひじり)の御代(みよ)ゆ 生れましし 神のことごと 樛(つが)の木の いやつぎつぎに 天(あめ)の下 知らしめししを 天(そら)にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離(あまざか)る 夷(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 淡海の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇(すめろき)の 神の尊(みこと)の 大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処と言へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧(き)れる ももしきの 大宮処(おおみやどころ)見れば悲しも
(・・・天皇の皇居はここだと聞くけれど、御殿はここだというけれども、いまは春草が生い繁って、まったくどこだかわからない・・・)
反歌
ささなみの志賀の辛崎幸(からさきさき)くあれど大宮人(おおみやひと)の船待ちかねつ
ささなみの志賀の大わだ淀むとも昔の人にまた逢はめやも
(いくらまっても昔の人にはもうあえない・・・) (以上、万葉集)
柿本人麻呂は日本最初の詩人と伝えられている。
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時は流れて平安後期、清盛の死後急速にその勢力を失った平氏一門は、木曽義仲の進攻によって遂に都を追われる。清盛の弟、平忠度(ただもり)も一族と共に都を落ちるが、途中七騎ほどの従者を従えて秘かに京に戻り、和歌の師である藤原俊成の邸を訪れる。忠度は懐より自作の和歌を綴った巻物を取り出して嘆願する。
「以前から和歌集編纂の勅があるだろうとの噂を聞き、その折りにはぜひ自分も一首載せていただききたいものだと思っておりました。しかし、このたびの戦乱でそうした話も立ち消えになり自分も悲しんでおりました。この戦がおさまって和歌集が編纂されることがありましたら、そして、この巻物にある歌のなかでそれにふさわしい作品がありましたら、どうか載せていただけないでしょうか。もし、一首でも選ばれたなら、草葉の陰からでもうれしく存じます」
こうして朝敵である忠度の歌が後白河法皇の院宣を受けて撰修された第七番目の勅撰集に詠み人知らずとして収録される。以上の経緯は『平家物語』に詳しい。忠度はその後、寿永三年(一一八四)、一の谷の戦いで討ち死にする。
さゞ浪や志賀のみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな (千載和歌集)
(さざ波の志賀の旧都はすっかり荒れ果ててしまったが、長等山の桜は昔も今も美しく咲いているなあ。「ながら」と「長等」が掛詞)
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「近江(おうみ)というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩が始まっているほど、この国が好きである」「近江から始めましょう」「もう一度、近江へゆきましょう」司馬遼太郎
「私はえたいの知れぬ魅力にとりつかれてしまった」「ほんとうに近江は広い。数知れぬ秘密にうもれている」白州正子
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飛行機がうなりを上げて青空の真ん中を飛んで行く。「もしもピアノが弾けたなら」のメロディー・・・誰が弾いているのか?
きゅっきゅっきゅっ きゅっきゅっきゅっ
ゴムが軋む音。これは足音だ。誰かが廊下を駆けて来る。
じゃぶじゃぶじゃぶ じゃぶじゃぶじゃぶ
バタ足の練習。水の臭い。下痢だと嘘をついた肩身の狭い見学者も、本当はクロールで早く泳ぎたい。でもゴム帽子なんかかぶりたくない。
ホイッスルの残酷さ。
体育座りをする女生徒の股間は黒いマシュマロ中にイソギンチャク。白い胸。
鈴虫の鳴き声。キンモクセイ。
肝だめしなんて軽くこなす。また非常ベルが鳴る。上履きのかかとは踏みつぶす。履いたり脱いだり。
電車に乗っても同じ風景しか見えない。
佳子の部屋へテレポーテーションしようと意識を集中する私。そこにはスプーン曲げに成功した私もいる。
黒板消しをスカートにぶつける。吸引器ブィーン。磨りガラスに爪。
粉で線を書く。運動場。カラカラくねくね。真っ直ぐに引けたら○。
私は線路の上を歩く。ホームの前を通過。鉄の振動で電車が迫ってくるのがわかる。私は逃げる。チャリを盗んで草むらに捨てる。チャイムを鳴らして走り去る。
キンコンカンコン キンコンカンコン
牛乳パック破裂!
職員室には倦怠しか存在せず、煙と紙の臭い。
「真っ直ぐ家に帰りましょう」
とのアナウンス。
背中を丸めて逃げ帰る帰宅部員。
運動場にはいつも砂埃。
キチガイみたいなかけ声がこだまする。
今日もブラスバンドの練習が始まる。