1.気持ちの悪い冬季五輪 〜主観的なものを評価基準にする居心地の悪さ
予想通り全く盛り上がりに欠けたソルトレイク冬季五輪
日本勢のメダルの少なさ、中途半端な時差、様々な要因があるだろうが、
判定の不明確さに嫌気が指したのも事実だろう。
そもそも冬の競技は元々主観的評価が左右しやすい。
それと「運」
スキージャンプ
風によって記録が大きく左右される。
スタートの合図があってもコーチが旗を振るまで飛ばないのはそのせい。
有力な国だと、待つように指示されるようなコンディションでも、
そうでない国だと飛ぶ羽目になったりする。
スケート ショートトラック
これはもう言うまでもないだろう。
ある意味判定次第でどうとでも着順を覆せる競技と言える。
あの半径の小さなトラックで、上位の選手同士だとスピードにも大差がない。
ならば追い抜くには必然的にある程度の接触はやむを得ないように見えるのに。
それが「うまい!」となるか「反則」となるかは、まさに審判員のさじ加減ひとつ。
スピードスケート
意外に思うかもしれないが、これも「運」の要素が大きい。
一緒に走る選手によって大きく成績が分かれる。
まずはコースの入れ替わり。
かつての橋本聖子のように、相手が譲らないあるいは入れ替わりが下手だと、
記録は大きく伸び悩む。
また逆に特に長距離などペース配分が上手な選手と走ると
自然によい記録が出る。
ひどいときにはそのおかげで温存した力で瞬発力に長けた選手がまくってしまい、
思わぬ番狂わせも生じる。
番狂わせ自体は面白いのだが、これはフェアではない気がする。
フィギュア
言うまでもないだろう、コンパラソル(規定 描かれたライン上を
如何にはみださずに滑れるかという地味を絵に画いたような競技)がなくなった今、
ショートプログラム、フリーいずれも主観がすべてみたいなもの。
技の難易度の基準はあるにはあっても、簡単に覆される。
これはフリースタイルスキーでも同じ。
たまたま金メダルになったから何も言わなかったけれど、
男子選手で最高の大技を決めたにもかかわらず、得点が低く、
最後のアメリカ選手が普通に飛んでいれば金メダルは彼の元にいく予定だった、
たまたま彼が着地における言い訳のないミスをした結果、
大技を決めた選手が金メダリストとなったが、あれは偶然。
このようにかなりの競技において主観 運 が大きな比重をもつ。
ご存知のようにその結果 かなりの後味の悪さや 抗議などが続出。
やはり主観はスポーツになじまない。
入試においてもまったく同じことがいえる。
特に国立、公立においてはそうだろう。
公明 公平 公を含む言葉には平等のニュアンスが強い。
であるならば 基準は極めて客観的であるべきである。
主観的なものは 気の合うもの同士の「ほんとに戦ったら誰が一番強い?」の
レベルでとどめておくのがいちばん楽しい。