15.発想力を育てるには
発想力豊かな人間が欲しい。
マニュアルに対応できてもオリジナルの発想ができない。
何言ってんだか。
オリジナルの発想というのはオリジナルであるが故に理解されにくいだけなのに。
簡単に誰もが理解できるようなものだったらそれはどこかの理論の焼きまわしに過ぎない。
天才が天才である所以は既存の価値観を覆す点に存在し、ならば天才が在命中に評価されないことが多い理由も納得がいく。
と きつい話はこれくらいにして。
発想力を育てたいという 普段の俺ならばここで教育と結びつけて一刀両断に叩ききるのだが、きょうは別の方面から攻めてみたい。
日本で発想力を育てるのなんて無理な話だ。
なぜか?
発想自体を守る土壌が存在しないからである。
もっと言おう。
発想を発表してもメリットがないからである。
先進諸国の中で日本ほど著作権に疎い国はない。
「パクリ」「影響を受ける」などの名前で簡単にアイディアの転用が許される。
アイディアを発想した者がその権益を保護しようと思っても、既に発言権があったりメディアに露出していたり、名前が知られていたり、立場を持った者に抗弁するのが現実的にとても難しい。
私的な話だが、私の今回の出版もここまで遅れたにはわけがある。
一番の原因はそれが無形の知的財産である以上 明かしてしまってパくられたら終わりだという点である。
出版社に原稿を送る。
私が送ったという確証はどこにもない。
その原稿が無視されるのはまだいい。
問題は机の上に無造作に置かれた原稿がたまたま誰かの目に触れ、担当作家へのヒントとして彼の口からアイディアという形で告げられたときである。
これはもう最悪だ。
保護されるどころか 自分自身のアイディアを用いるのに最悪の場合 相手に対して許可を申請せねばならない。
大企業は独立する知的創作物の登記部門をかかえているからよいが それをもっていない我々には発表=ぱくられるはじまり となる。
それが商業的に成功し 世に陽の目を見ない限りは 自分の手を離れてしまう危険性があるという まさにギャンブルなのだ。
こんな状況で発想など豊かになるはずがない。
もし本気で発想力豊かな人間をふやしたいと思ったならば、発想 創造に対してメリットを与え、かつその提唱者の権益を守ってやる必要がある。
そうした社会システムが存在しないのにあれこれいうのは本末転倒というものだろう。
名のない者はオリジナルの理論ですら評価されないものなのだ。