16.個性を伸ばす
これもチャンチャラおかしい。
全く持って思い違いもはなはだしい。
個性とは文字通り「個が」有しているからこそ個性という。
教育とは個に対する別の個による働きかけである。
ならばそれで「個性」など創造できるわけがない。
むしろ教育は個性に対しては邪魔な存在である。
個性は教育とは根本的になじまないものである。
ただし個性を萌芽させる媒体となることは出来る。
ある先生の話がある生徒をインスパイアさせることは可能だし、学校での経験や学習内容が、生徒に個性を芽生えさせるきっかけとなることはある。
しかしこれはあくまでもきっかけであり媒体となるのに過ぎないのであって、教育で個性を伸ばすなどというおこがましくかつ支離滅裂なことは絶対に言ってはならない。
どうしても個性を伸ばしたいのならば自由業の方に授業をお願いするべきであろう。
では個性と教育は無関係なのか。
否である。
個性に対して教育は果たさねばならない役目がある。
それは個性を矯めることである。
「矯める」をご存知のない方のために簡単に解説をすると 伸びることを控えさせること。
え? 悪い意味じゃん そう そうとってもらってかまわない。
なぜなら 個性が横行した世の中や社会など生活できないに決まっているからである。
我々がある程度安心して生活できるのは他者と接触する部分が「公」の部分「公」のルールにのっとっているという約束事が暗黙のうちに存在するからである。
これがなければ、社会は「北斗の拳」状態となってしまう。
個性は重要なものだが、公の場においてはそれを発揮するべきではない。ルール マナー 様々な言葉が存在するが これ全て 要するに「時と場所に応じて個性を矯める必要がある」ということに過ぎない。
教育がなすべきことはこの「個性を矯める」方法の伝授であり、矯めるべき場所 時間 シチュエーション を教えることである。
個性を伸ばす?
ちゃんちゃらおかしい
ほっといても伸びるのが個性
それを世の中に害を及ぼさないように導くのが教育である。