「きつねの嫁入り」



「ねえ雪」
 すがりつく声を突き放すよう、あたしはぎっと力をこめて銀二を睨んだ。なんだか無性に腹が立つ。
「いいかげんにして。たった一月前に見ただけで好きになった気持ちなんてすぐに冷めるわ。熱しやすいものは冷めやすいんだから。――だからもういいでしょう。しっかりしなさいよ。あたしは家に帰りたいの。昼ご飯まだ食べてなくておなかも減ってるの。制服だって雨に濡れちゃったからブレザーはハンガーにかけて乾かさなきゃだめだし、スカートは洗濯してアイロンがけしなきゃだめなの! あたしはこのぶんだと明日、風邪をひくわ。だからお風呂で身体を温めてゆっくりしたいの。わかる? この理屈」
 狐はひどく傷ついた顔をした。
「そんな顔をしてもだめ。あたし、ほだされない。あたしにはあたしの人格がある、それを全部無視して無理やり何かを押し付けたいならすればいいじゃない。どうせあたしはあんたに力ずくでこられちゃ何もできないし。でもねそれって最悪よ、そうなったらあたしはあんたが憎くなる。今は好きでもないけど嫌いでもないのに。それでもかまわないならすればいいわ、あたしの気分が最悪になるだけだものね」
「雪、怒らないで」
「赤の他人に精神論で怒ったりしない。怒ってない!」
「雪、怒らないで。君に好かれなくてもいい、けど嫌われたくない」
「だからどうしてあたしなの」
 あたしはなぜか、自分を叱りつけている気分がした。
「あんただって一人で育ったんじゃないでしょ、その周りにいくらでも本当のあんたをもっと、ずっと、ちゃんと、見てくれる人がいるわよ。ちゃんと愛してくれる人! そんなひと目見たから好きになったとかでうつつをぬかす前に、もっと自分の足元をきちんと見たらいいじゃない。それであたしに話したように言えばいいのよ「さみしい」ってっ」
 一気にまくしたててあたしは肩で息をする。アスファルトの半乾きが目に映った。
「言わなきゃ分からないことって多いんだから。あたしだって言われなきゃあんたが淋しいと思ってること知らなかった。黙ってることが大事な時もあるけど、話すことはそれ以上に大切。表現すればいいじゃない、どう思ってるのか何を考えているのか、そしたら人は嫌でもあんたのこと見てくれる」
「『さみしいと言うボク』は分かってくれてるひとはいたね。確かに。『こいつさみしいんだな』って、馬鹿じゃないからね。でも、それで、ボクの中身が分かるはずがないじゃないか」
 分かったようなことを、と言われている。
「雪」
 銀二はいつの間にかあたしの目の前にまできていた。あたしは手の甲で熱くなった自分の頬をぬぐう。
「分かるはずがない、なんて諦めてるの? ……それは、寂しいね」
 うつむいたままのあたしに覆い被さるように、銀二が抱えた。冷えた身体に染み入るような温かさで、少しほんの少しだけほっとする。
「さみしい?」
「……そう。でも」
 分からない。
 何をやっているんだろう。頭がくらくらする。
「ボクは、君を選んだのはやっぱり間違いなかったって思いました。三百年も人柄の審美眼をやってるんです。今回ほど自分の目が確かだと確信しなおしたこともありませんね」
「ちょっと、なにすんの……放して」
 空洞じみたものを抱えながら、尻つぼみに口にする。
「誰も見てないじゃないですか」
 いやそうじゃなくて。うめいていると銀二はより深くあたしの身体を抱えなおした。……うんと小さな子供になったような気分である。呼吸の確保のために首を揺するとと小さく笑った銀二は、知っていますかと言葉を低く落とす。

「知ってますか? 雪が誰かを睨みつける時、そこにあるのは威嚇じゃない。相手のすべてを見抜いてやるという意思しかないんですよ」
 ぽかんとしたあたしは、おもむろに視線を上げる。銀二はとっておきの秘密を打ち明けるようにうれしそうで、しかしそれを惜しんでいるようにも見えた。
「自分の上位を相手に知らしめるために睨むんじゃなくて、雪は相手を見透かすために睨んでいるんです。それってボクにとって天と地がひっくり返るほどの衝撃的事実でして、はじめに言ったように一発でくらっときました。だってこんな、ボクにぴったりなひともいないでしょう」
 うろんに見上げる。そんなに大それたものを持ってない。
「そうなんですよ。しかも雪がやってるのって極真じゃないですか。偽りない痛みを受ける中でそんな睨み方されちゃあ、ボクが好きにならなくてどうするんです。本気になればなるほど、そんな睨み方はしませんしできないものです」
 銀二の目には羨ましいほど澱みがない。良心と呵責にせめぐそれがない。曇りのない氷の。
「冷たくて熱い言葉だね」
 狐の眉が跳ねた。
「……動揺してるし」
「とにかくボクは雪から引くつもりがない。灯台下暗しとは言わせない。ボクは愛されたから誰かを好きになるのではなく、誰かをただ愛したかった」
 愛の連呼。愛という言葉の大売り出しだ。
 現代人のあたしにはかえって、こういうのは(うたぐ)りの対象になる。言葉でつむぐのは簡単だ。けれどそれでのぼせ上がってるんじゃ馬鹿を見る。
 あたしみたいに。
「あたしはあんたのこと、何も知らない。だから好きも何もない。……嫌いもない。しかも本当の顔を見たこともない」
 だから、とあたしは腕をついて隙間をつくった。
「雪……」

 悲しそうな呼びかけ。
 ああ、あたしは馬鹿だ。

「だから……、そう。とりあえず――銀二の本当の顔を見てみたい。どうすればいい? 教えてほしい」
 銀二の顔が鮮やかにほころぶ。
「よろこんで。ではちょうどいい具合に水溜りがありますので一緒に映ってください」

 頷いて、あたしは『知っている人』から『友人』へ移行するための一歩を踏み出した――。


 これがあたしと銀二の最悪で最高に馬鹿げた、思わず笑っちゃうような出会いの顛末。

 出会いはいつも宝だってよくいうけど、あたしたちの場合はどうなるか。
 それは未来のあたしたちに聞いてみないとわからない。
 過ぎたことは決してなくせないから、宝になっていたらいいとあたしは思った。



 2004年 7月4日 氷室 でこ(2007年 2月19日改稿)