◎Escape◎
日本在住時代の我家には『日本脱出計画』なるものが有った。
それは、東京は杉並区のある下町の駅前で狭いマンションに5人で住んでいた
ゆいたち家族5人の夢であった。ゆいがまだ小学生の頃、駐車場だった
隣の土地に新しいマンションが建った。住んでいた家よりも広いし新しいから
引っ越そう、と思っていたのにその計画はあえなく失敗。
家賃が倍ぐらいになるから、もし今引っ越したらこの後どこへも移れない、
というのが理由だった。思えばその頃から父はもうこの『日本脱出計画』を
温めていたのかもしれない。そう、それは『野望』であった。
父はいつか外国で暮らしたいと言う気持ちが前々から有ったらしく、
そして子供にも自由でノビノビとした学校へ通わせたい、と思っていたらしい。
コンピューターソフトを作成する会社を営んでいる父は、
海外に出ても日本に居るのと変わらずに仕事が出来るインターネットを味方に、
住み易そうで治安も良くて物価も安くて食べ物も美味しくて、
などと条件をつけた引越し先(脱出先?)を探し始めた。
最初に目をつけていたのはシンガポールだったけれど、シンガポールは
ワークパーミット(海外で働くには観光ビザとは違う許可が必要)を
取るのが難しいとかなんとかで諦めた。そして次に上がった候補がマレーシア
だったのである。常夏の国マレーシアは、治安も良いし日本人もそこそこ居て、
日本人学校や日本人会などの設備も整っている。物価も安いし食べ物も美味しい。
そして何よりなんとかワークパーミットが取得出来そう。と言う事で
候補になった。家族旅行で学校を休みつつ(ずるい奴)マレーシアに
下見旅行をしたり、母とゆいは語学学校に通ったり、父はちゃくちゃくと
会社を作る準備を進めて行った。初めての視察旅行でマレーシアが気に入った
ゆいたちは準備をしたわけだけど、もちろんその頃は全然現実味が帯びていなかった。
だいたいまだビザが取れるかもわからない、会社が作れるかもわからない。
それに何しろ全然知らない外国に住むとなると初めてのことなのでわからないの連続。
中学3年生になって進路希望調査の時期になるとゆいはますます心配になり、
本当に行けるのかもわからない国のことより日本での高校進学を考えよう、
と思った。その頃の志望校は都立K高校。英語科が有って英語の勉強ができるからだった。
日本で高校生になることに憧れを抱いていたゆいは、高校に入ったら部活やって
バイトしてお洒落して友達もいっぱい作って彼氏も作って楽しい生活をしよう!
とココロに決めていた。だからマレーシアへの移住が本決まりになって来たとき
ゆいは日本で一人暮らしをして高校に行く。と言って親を困らせた。
5月の三者面談の時。担任だったT先生とうちの母親とゆいの3人で喋る。
先生は自分がオーストラリアに行って教師を出来るかもしれなかったのに
自分の妙な日本教育へのこだわりからオジャンになってしまった時の事を
話してくれた。「せっかくのチャンスなんだから、行ってみたら?」
世界を見るのは決して悪い事じゃないし、日本で高校生も良いけどきっと
それよりも得るものが有るんじゃないか?ということだった。
それまで全然ノリキじゃなかったくせに、先生の話の後すっかり気分は変わった。
どうせ英語が勉強したくてK高校を志望してるんだったら、いっそ
外国であるマレーシアに行って英語での授業を受けるインターに行ったほうが
喋れるようになるんじゃあないのか?確かにそれは最もな意見だ。
ゆいだってそんなこと始めからわかってたけど、ただ日本での高校生生活に
憧れてたから、その希望も捨てきれてなかっただけ。だけどこの
三者面談のあとからはすっかり『日本脱出計画』に加担してしまった。(笑)
まわりの友達には数人以外ずっと黙ってた。自慢してるようにも
思われたくないし、それに変なやつ、って風にも見られたくなかった。
何人かの大人たちには『可哀想』と言われてしまったりもした。
よく聞いてみると、「マレーシアなんて得体の知れないジャングルみたいな国に
連れて行かれて、日本での生活が出来ないなんて可哀想。」って事らしい。
それを聞いてゆいは「おいおい。」と思った。そりゃあちょっと前のゆいだったら
日本で女子高生になるという憧れを捨てきれずに居たから、マレーシアに
無理矢理連れて行かれたんだったら「可哀想」だったかもしれないよ?
だけど決して無理矢理でも丸め込まれたわけでもなく、自分で納得して
マレーシアに家族と一緒に移住するって決めたんだから、可哀想なもんかい!
そりゃあゆいが日本に残りたいって言ったとき親は賛成しなかった。
一人暮らしの15歳なんて危険だし、こんな早く家族離れ離れになるのも
嫌だったんだと思う。だけど両親は怒る事なんて無かったし、
そんなに残りたいんだったら仕方無い、って感じで、ゆいの日本での高校進学に
ついてだって考えてくれてた。絶対に無理強いなんてしない主義なんだから。
それなのに「連れて行かれて」とか「可哀想」とか言われて、
なんか納得いかないなあーと思ったけど、日本で良い学校を出て良い会社に入って
そこそこ出世してこその人生と思ってる頭の固い人たちの事は放っておいた。(爆)
結局家族全員では2回、ゆいとパパは3回、マレーシアに下見旅行に出向いた。
最初は国と街をどんなもんか見る為。だから観光で終わった。
次は弟と妹が入る日本人学校、ゆいが入るインター、住宅物件を何件か、
そしてオフィス設立についてなどのために全員で渡航した。
最後の1回は完全に家を決める為。パパとゆいしか行かなかったので写真を
撮って帰って、現像したのを見て「広いねー」「豪華だねー」と喜んだ事を
よく覚えている。そうして初めてマレーシアに渡ってから3年後ぐらい、
そして日本を脱出しようと国を探し始めてからは5年後ぐらいに、
我が家族はマレーシアに家族で移住することになった。
クアラルンプールに住んでるほかの日本人家族と違ってうちは自営業だから、
企業のお偉いさんたちみたいにお金持ちじゃない。だから苦労することも
有るけど、でもこのマレーシアに来て本当に良かったって思う。
広い家に住めるし、窓からの景色はホテルと共用の大きな池で綺麗だし、
ローカルフードは安くて美味しいし、物価は安いし、なんと言っても
英語が喋れるようになったのは一番大きな成果だと思っている。
最初はすごい苦労して、まわりの人が笑うのにあわせて意味も解って無いのに
笑ったりした。もう、解ってるフリで精一杯。(笑)それが段々聞き取れるように
なってきて、嫌だった学校も、クラスも、楽しくなっていった。
転勤族ばかりの日本人達の中で、うちは言わば『異常』な部類に入る。
だけどやっぱり好きで来たんだから根をあげる事もないし、泣き出すこともない。
学校が一緒だった周りの日本人の子には、やっぱり親に無理矢理連れてこられた
人たちも居た。その子たちはやはりつまらなそうな顔をしている人も居た。
最初は嫌々だったけど結局マレーシア大好きになった。って言う人も沢山居たけど
最後まで好きになれなくて、この移住は不本意でした。って人も居た。
正直それはやっぱ『可哀想』だなと思う。まあ仕方の無い事だけどねぇ。
日本を脱出!なんて言うと日本に住んでる友達や日本が大好きな人たちに
怒られそうだけど、ゆいだって日本が嫌いなんかじゃないんだよ。
買い物は楽しいし友達にも会えるし、ダイスキな和食がたくさん食べられるし。(笑)
でも、『日本』って言う狭い世界の中でずうっと生きていかなくちゃいけない
わけじゃない、『世界』って言う広い視野を知っても悪くない、ってこと。
マレーシアに数年住んだぐらいで『世界』が全部わかるわけじゃないけど、
日本の同じ街にずっと住んで日本の教育が全てだと思って暮らすよりはよっぽど
世界に近づいているとゆいは思う。間違えないで欲しいのは、ゆいは、
「留学をしない奴は人間がなってない」とか言いたいんではナイって事!!
したくたって出来ない人はいっぱい居るし、そりゃあ贅沢な話だ。
だけど、「日本人は日本で暮らすこと」だけが幸せじゃない事をわかって欲しい。
だからそうゆうシガラミとか檻みたいな『意識』自体から『脱出』
っていう事なのかもしれない。とにかく、我家の日本脱出計画は大成功に終わりました!