恋愛について
1997年11月7日、神奈川県鎌倉市。ここで―かつての「僕」、今の私―が死んだ。生物的にではなく、感情的に。・・・女なんか、いらねえよ。この台詞はやがて、人間に変わった。女のみを嫌悪していた私は、やがて女に媚を売る男を、遂には人間そのものを否定し始めた。表情などは勿論、情熱も、倫理観もなかった。当然、周りからは嫌われた。だが、構わなかった。・・・私は独りで構わない。愛されずとも構わない。孤高の存在でいい。それが私の生きる唯一の術だ。
独りで生きることは、私の中で当然の理だった。・・・他人に媚を売り、へつらい、利用され、嘲笑され、捨てられる。そんなことだったら、独りで構わない。逆に私が嘲笑ってやろうか。くだらないことで騒ぎ立て、醜く争う輩どもを、冷笑ってやろうか。
気が付くと、私には嘲笑うことと、冷笑うことしかできなくなっていた。ごく限られた一部の人間には、微笑うこともあった。表情などはなかった。あるのは、冷たい血が流れていく感覚のみ。そして、全てに虚無を感じていた。
2001年6月6日、埼玉県さいたま市。誰にも愛されず、独りでいることを求めていた私は最早、ここにはいなかった。何年振りだったのだろうか。本気で人に愛されたい、必要とされたいと思ったのは。97年から99年、そして2000年、何人かの女に心惹かれることもあった。冷酷な私を信じてくれたからだった。しかし、そういった類の女にですら、好かれたいとは思っていなかった。だが、今、私は心から求めていた。
2002年7月10日、同地。人に愛されることを嫌い、孤独を欲した「私」は、一体何だったのだろうか?今、心から想う。人に愛されてみたい、と。誰でもいいから私を必要としてくれる人がほしい、と。独りで生きることには、もう疲れ果ててしまった。弱い、強いの問題ではなかった。心の休まる場所が欲しい。自分のいるべき場所が欲しい。・・・こんな私を愛してくれる人はいるのだろうか?
結局のところ、人間なんて愛に簡単に屈してしまうものなのか。
2002年11月25日、同地。人に愛されることの喜びが、漸く判った。