尊敬すべき理想の人物像

 

私には、尊敬する人が何人かいるが、それをここに、各人物が一体どういった人物なのかを掲載する。

 

<中二時代の同級生>

1998年、私は彼女と出会った。同じクラスになったという、一期一会の奇跡であった。級友になったばかりの時、正直私は彼女のことが嫌いだった。「自己中だから」それが理由であった。彼女への価値観が変わったのは、そのクラスも終わりに近づいた1月下旬。当時、私と彼女は同じ学級内の班であった。そして各班には、クラスの仕事が分担されるのであるが、それを私の班で自ら行っていたのは、私と彼女の2人だけだった。やるべきことはやる―――。彼女を見直した瞬間であった。その後、彼女は私の前で、常に冷静沈着、信用するべき人を限定する、他人に流されない等、様々な彼女を見せてくれた。そして気が付くと、彼女は微笑んでいてくれていた。私もまた微笑んでいた。

あれから4年経った今、私は時々彼女を見かける。あの時と同じ、冷静な様子で―――。恐らく、彼女は彼女であるために、彼女のままでいるのだと思う。また、そうであってほしい。あの時の感情はもうないけれど、「私は未だに、貴女を尊敬しています・・・」

 

<石田三成>

1600年、関が原の戦いで徳川家康に敗れ、斬首刑に処されたのが有名な戦国時代の武将。彼は後世(主に江戸時代)、徳川に歯向かったために悪者、果てしない欲望の持ち主とされていた。しかし、それはまったくの誤解で、彼は主だあった豊臣秀吉、及び彼が創設した豊臣家に限りない忠誠を誓った男であった。命を賭してまで、徳川家康の野望を阻止しようとして、敢えなく散った、石田三成。そんな彼の「義」を私は尊敬している。

 

<立花宗茂>

この人物はあまり有名ではないが、石田三成と同様、戦国時代の武将で「義」の武将である。彼は九州、豊後の大友氏に仕え、筑前の立花山城の城主であった。この頃の大友氏は没落していく途中で、勢いのある薩摩の島津氏にどんどん領土を奪われているところだった。大友氏の家臣は、キリスト教にのみ熱心になり臣下のものの行く末を考えない主君に愛想を尽かし、次々に島津氏に降伏していった。しかしそんな中、立花宗茂と彼の実父、高橋紹運(筑前岩屋城主)等はそれを拒否。主君に義理立て、徹底抗戦を選択。無能な主君にも関わらずに、だ。結果、高橋紹運は城兵全員と共に玉砕。立花宗茂は何とか城を守り、援軍の豊臣軍によって救われた。戦後、立花宗茂は豊臣秀吉に領土と官位を授けられた。その時豊臣秀吉の提示した官位は、立花宗茂の旧主大友義統より位が高かったので、彼はこれを固辞。旧主より下の位を授かったのだ。こんな愚直なまでの義を貫く男は、尊敬に値すると思う。

 

<尾崎豊>

ご存知、故尾崎豊。彼の説明は不要であろう。私は、ありあまる感情を言葉に表現したその素晴らしさと、学校の教師に対し己の意見を貫いたからだ。どっちかというと、私は前者の方で、彼を尊敬している。

 

即ち、私が求め描く理想像とは、やるべきことはやる、冷静沈着、他人に流されず自我の考えをはっきりと持つ、そして「義」を持つ、こんな人間になっていた。他人から見ると少々厄介者の感も否めないが、私が私であるために、この理想を貫いていきたい――例えどんな困難があろうとも。

 

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