日本の古き良き風景をさがして
  
東京〜上越国境ロードでピストン走
                 ●東京都 荻上明(60)

絵画展などで一度は観たことのある”日本の原風景”。そう、山と田、
畑に囲まれたワラぶき屋根の集落風景。そんな所を走ってみたい。ガ
イドブックによれば、上信越ルートの国境あたりには、そんな風景が
随所に残っているようだ。人生も60歳という大台に乗り、肉体の老化
を実感するこのごろ、心身のリフレッシュを図りたい。よし、やろう!
即、日程の調整にかかった。

最低一週間の休暇を見込んでいたが職場の異動期と重なったため、使
える休暇は3日間。ならば2泊3日で行ける所までだ。


母の心配を振り切ってタート。
北へ北へ…


迎えた4月27日、出発の朝。前夜に市議・市長選の不在者投票を済ませ
たので、気分はすっきり。ところがすっきりしないのが、母の心配顔。
妻は納得してくれているのだが、母は「無理はダメ。トシなんだから早
く帰ってきなさい」。クギを刺されてしまったのだ。息子のことを”ト
シなんだから”と心配する母は、おん年86歳。

「心配いらないよ。オレもトシだし、体調と相談しながら走るようにす
るから。無理だと思ったら、すぐ引き返すよ」

こう言いおいて家を出たのだが、気持ちが後に少々残るスタートとなった。

連休前半、天気は晴れという予報だったが、冷え込みを考えて着替えをし
っかり詰め込んでいるので、背中の荷がずしりと肩にこたえる。

走り出してみると体が暖まり、用意した大半が無駄かもしれないと後悔し
始めるが、今となっては…。久しぶりの長距離ツーリングというので、
少々判断が鈍っていたか!?まったく15年ぶりになろうか。40才前半にはよ
く出かけ、サイクルスポーツヘの体験レポートが3回掲載された経験もある。

しかしその後、病気や何やら事情があって、日帰りで時々出かけるにとど
まっていた。本当に久しぶりの遠出である。母の心配も、そんなところに
起因するのだろう。

しかし走り始めたからには、私の気持ちは早くも先へ先へ。高崎から三国街
道を北上、越後湯沢を目指したい。余裕があれぱ、さらにその先ひと山越え
て、秘境清津峡へも。往復で500q超の旅になるかもしれないが、上越は初
めてなのでぜひとも実現させたい、などなど期待はふくらむのであった。

そんな思いを胸に、早くも環状8号線、通称カンパチを抜けて新大宮バイパ
スヘ、さらにR16、中山道へと幹線をたどる。

大幅な整備が進められ、側道には砂利やガラス片などがないので、実に走り
やすい。自転車と相性のいい道で、思わずぺースが上がってしまう。いかん、
オーバーぺースだ。

上尾、桶川、北本、鴻巣と埼玉県下の市を次々と過ぎていく。と、体全体の
筋肉に張りを感じ始める。深谷市街に差しかかったな、と思うころ、大腿部
にピリッと痛みが走った。

こういうこともあろうかと、かねて用意の消炎湿布薬を張り、入念にマッサ
ージを施す。その後の走りには問題なく、クスリの効果は完璧だった。


沼田駅はなにやら終着駅の趣が…
宿はこのあたりで


群馬県に入る。しぱらくすると春霞の向こうに上州連山が水墨画のように浮
かんでいるのが見える。ウーン、遠くへきた。その実感が、旅心をいっそう
引き立てる。

高崎観音の白い巨像が左前方の視野に入るころ、疲れと暖かさで眠気が襲っ
てきた。こういうとき、無理は禁物。頑張るのと無理をするのとは違う。車
道の外へ身を引き、1時間ほど仮眠する。

この仮眠のおかげで、その後の走りは快調。クルマの騒音さえ心地よく、気
づいたときにはすでに三国街道に入っていた。
何の花だろう、真っ白な、それこそ純白の花が盛りの並木道である。そこを
直進していく。

伊香保への道標を見送りながら、渋川、さらには子持村へと、道は確実に上
り始めている。左前方には、美しい榛名山の姿がある。

このあたりから、私が見たいと願っていた山里の風景に変わって、なんと道
端には野仏が。やさしい眼差しは、いかにも道中の安全を願ってくれている
ようで、思わず自転車を降りて手を合わせる。1OO円を納め、もうー度拝む自
分が少し照れくさくはあったが。

やがて、山と川(利根川上流である)が複雑な地形を作るようになり、道幅にも
余裕がなくなる。今までと違って、一瞬の気も許せない。やがてトンネル、そ
して大きなカーブを曲がると―。

突然、眼下に絶景が広がる。雪解け水を一気に集めた、といった観の利根川の
激流が、山をも削る勢いで波としぶきをぶつけ合い駆け下っていく。その迫カ
に、目を奪われてしまった。

そして、この偉大な流れこそが、われわれ首都圏に住む者の生活を支えてくれ
る命の水なのだ、と思うと感動と同時に感謝の気持ちがわいてくるのだった。

さて、そろそろ宿のことを考えなけれぱ。当初の心づもりは沼田の予定だった。
そこで沼田市街のほうへと上り始めた。町は高台にある。ところが、ふと下の
ほうに目をやると、沼田駅周辺がなんとも郷愁を匂わせる風情ではないか。こ
れぞ”旅情を誘う風景”といえよう。

駅前へ出てみると人影はまばら、閉ざしている店が多い(日曜日だからか)。駅
も、なにやら終着駅のような寂しさが漂う。私が旅人として望む、まさにそん
な雰囲気がすっかり気に入った。そこで駅前に(なんと都合のよいことに)ある
宿を確保、唯一開いているそぱ屋で夕飯にする。この店、沼田駅開業の前日に
開店したそうな。薄暗く、すすけた店内が、これまたいいではないか。

本日の走行160q。


桜のトンネルの後は三国峠への55曲りが
続くのだった


明けて2日目。今日は旅のハイライト、三国峠(1084m。ただしトンネルの標高)
越えが待っている。昨夜はどこにも出かけず早寝をきめこんだので、体調はい
い。峠への道は厳しいかもしれないが、新しい発見ができる可能性もあり、だ。
宿を出て、さらに北へ向かう。

月夜野では、利根川の大きな流れを眼下に、バイパスの長大な上りが始まる。
勾配は緩やかとしても、果てしなく思われる長い上りは、還暦を過ぎたオジサ
ンには、かなり厳しいものがある。前方の電光気温計が3度Cを表示しているが、
体が燃えているので少しも寒さを感じない。むしろ、寒さこそがカを貸してく
れているのかもしれない。

やがて三国街道は新治村に入り、田畑の背後に残雪の上越の山々が目近になっ
てきた。美しい”日本の原風景”が目前に広がるようになったら、いよいよや
る気になってきた。

当初、最初の宿はこの辺で、と考えていた湯宿温泉に差しかかる。道に沿って
今が盛りの桜が、点々と続いている。と、ひと汗かいたところで、今度は突然、
桜のトンネルヘと進入したのだった。

もう猿ヶ京温泉。赤谷湖畔の風景とも相まって絶景である。しかも桜は、散り
際のいとおしい美しさを見せている。それをひときわ印象的にしたのは、桜の
木々の真ん中に鎮座する、樹齢450年という老桜。

幹の太さ、木皮のゴツゴツしたシワ(!)の深さ、伸びた枝ぶり、どこから眺
めても芸術的だ。今もしっかりと花を咲かせているところを見ると、土地の人
の、この桜に寄せる愛情は並み大抵のものではあるまい。

江戸時代、三国街道の関所が置かれていたという猿ヶ京は、赤谷湖というダム
建設により、今の位置に移って開けたと聞く。

さて、湖畔の美しい温泉郷を後に、いよいよ峠の上りへとかかる。道標に55曲
り、とある。カーブを折れるごとに数字を減らしていくので、ジックリ踏み足
を味わいながら上りつめていく。

雪に覆われた遠方の山、
深い谷を落とす近くの山、
その谷を渡る茜色の橋、
沢の雪渓を駆け下る大小の滝。

国境ムードがいや増しに増す。

今まさに佳境、旅情満点!


母のあまりの心配ぶりに旅を
中止してUターン!


そして55の数字が消えたとき、目の前に大きな口を開けているトンネルがあっ
た。やったぞ三国越え!ひと息入れ、トンネルに入った。電灯が点いていると
はいえ、1q余の暗い道。進入してくるクルマもなく、静寂だけが支配してい
る。そのなかを、私はもくもくとペダルを踏んでいく。

国境のトンネルを抜けると雪国だった―そんな一節が頭をよぎり、どんな光景
が待っているか想像するのだが……やがて再び光の世界へ。
『ようこそ越後湯沢へ』との看板。想像していたほど雪は残っていなかった。

今年の冬は例年より雪が多かった、と聞いていただけに意外だった。

乾いたV字峡のはるか先には、まだ雪を頂いた越後山系が見える。今夜は湯沢
に泊まろうと予定していたので下り始めたのだが、トンネルの出口に公衆電語
があったのを思い出して戻る。家に運絡し、母を安心させなけれぱ。

ところがこれがヤブヘビ(?)になってしまったのだ。電語には母が直接出て「事
故のことを考えたら夜も眠れない。たとえ遅くなっても今日に帰リなさい。明日
は一日、ゆっくり休みなさい」。

出かけてくるときも反対していたが、今も変わらないようだ。仕方なく「分かった、
帰るから心配するな」とだけ返して電語を切る。

残念だが湯沢行きはあきらめるとしよう。

今は朝9時。時間はあるので、帰路の200qを無理して飛ぽすこともないだろう。

再び三国トンネルを抜けて戻り、少し下った所で旧街道へ回り道、永井宿へ立
ち寄る。

かつては越後米の中継地として、また市場として栄えた宿場町だ。越後新潟)側の
浅見宿との、三国峠を挟んだ3里半(約14q)は、街道一の難所だったという。今で
も当時を偲ぱせる民家が、観光ポイントとなっている。

道はそんな、時代がかった家並みを抜け、やがて本道に吸収された。私も再び、猿
ヶ京の華やかな温泉街に出た。

赤谷湖を背にした関所跡の正面にある土産物屋は、店内が広くて何でもありそう。
ここで全部調達しようと物色するも、なかなか決まらない。気に入ったせんべいや
菓子類があったが、箱が大きすぎて背中のバッグには無理。

ついに何も買わずに出てきてしまった。おかみさん、本当にごめんなさい。


私の求めていた風景は
『たくみの里』周辺にあった!


湯宿温泉に出、迷わず右折。新治村の観光スポット『たくみの里』へとハン
ドルを向ける。ここにこそ、とっておきの”日本の原風景”があるという。

10分ほど上った丘の上に、たくみの里はあった。いろいろな手作り体験工房
が集落をなし、観光客を迎えている。
しかし私は、今日中に帰らなけれぱならず、体験をしているわけにはいかない。

ただ目を投じるだけにして工房集落の中心部から離れると、田園風景の広がる
ほうへと足を向けた。

ありました! 

絵画に見るような、私の求める”日本の原風景”が。上越の山々を屏風絵に広
がる、美しい山里があった(写真をどうぞ)。

時間が、時を刻むのを忘れている……。視野の限り、ガードレールも舗装路も、
看板もない。電線や鉄塔さえも控え目である。

あるのはただ、この美しい自然を守り、自然に浸って身を任せるままの、村の
人の心かもしれない。

名残り惜しくはあったが、田園地帯を一巡した後、再び工房集落の玄関口へ戻り、
『手打風そぱ処』とある店に入る。

老夫婦がやっている店で、各種山菜の天ぷらと盛りそばのセツトを注文。これ
が実にうまい。土の香り、とでも言おうか。田舎ならではの素朴な味に、すっ
かりうれしくなってしまった。

しっかり腹を満たしてくれて700円だったが、1000円札で払い、お釣りは受け
取らなかった。

おいしく食べさせて頂いたお礼の気持ちですから、と言うと何度もおじぎをし、
お礼を言ってくれたぱかりか、私を外まで見送ってくれたのだった。

まさかこの自転車で、これから東京へ、しかも夜まで走り通して帰るとは思わ
ないだろう。もう13時を回ったが、あとは三国街道へ戻り、往路と同じ道をそ
のまま走るだけでいい。

道のりは長いが急ぐことはない。事故だけは起こすまい。

そう心がけ、疲れたら休み、お腹が空いたら食べては走りを繰り返して、自宅
に着いたのは深夜2時。すでに眠っている妻の寝顔を横目に、静かに風呂に浸っ
た。

☆全走行距離…400q
☆費用…1万2000円
☆車種…フジ・コナカップKCEB520