ジュール・ヴェルヌ

Jules Verne (1828-1905)
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ジュール・ヴェルヌ
父ピエール・ヴェルヌは司法官の息子で、ナント市で代訴人をしていた。
母ソフィーは船主の娘だった。弟1人、妹3人がいる。

1828年2月8日 ジュール・ヴェルヌ、フランス西部の港町ナント市フェイドー島で5人兄弟の
長男として生まれる。


少年時代 未知の地への憧れが強く、海や航海が大好きだった。


1839年夏 11歳 海への憧れを押さえきれなかったばかりでなく、同い年の従姉妹カロリーヌに珊瑚の首飾りを
贈りたいという一心から、家族に内緒でインド行きの帆船の見習い水夫として乗り込むが、途中で捕まり、家に
連れ戻される。


学生時代 学校では平凡な目立たない生徒でしたが、ポケットの小さなノートには、
たくさんの発明や航海の事が書き込まれていたそうです。

ナントの学校を卒業し、大学入学資格試験に合格した後、父の希望に従ってパリに出て法律を学び始める。

当時流行作家だったアレクサンドル・デュマと知り合ってから劇作を始め、文学、殊に演劇の勉強に励む。

法律の本を読まず、ラシーヌの劇を見たり、シェイクスピアの全集を読む。

法律の最終試験に合格するが、父の代訴人の仕事を継ぐ意志が少しもなく、
文筆によって身を立てる決心をする。

家庭教師や秘書などをしながら戯曲や小説の執筆に励む。

1850年 22歳 処女作の喜劇「麦わらの賭け」が上演され、少しは評判を取るが、
「気はきいていても古臭くて、現代生活との関係がない」という批評を受ける。

1852年 24歳 『マルチン・パス』(Martin Paz)を出版する。

1857年 29歳 2人の子持ちで、2歳年下の未亡人オノリーヌと結婚する。

結婚後、生活のために劇場の書記や株式仲買人の仕事をし、
いくつかの戯曲や小説を書くが、世間からは認められなかった。


1859年 31歳 イギリスとスコットランドへ旅行する。


1861年 33歳 ノルウェーとスカンジナヴィアへ旅行する。


     1862年 34歳 最初の空想(冒険)科学小説『気球に乗って五週間』を書く。


     1863年 35歳 『気球に乗って五週間』(Cinq Semaines en Ballon)を出版すると、爆発的な人気を呼び、
     世界各国に翻訳され、一躍世界的な流行作家になる。その後、毎年2冊の割合で次々と空想科学小説を書く。


     1865年 37歳 『地底旅行』(Voyage au Centre de la Terre)を出版する。

     『月世界ヘ行く』(De la Terre a la Lune)を出版する。


     1869年 41歳 『海底二万里』(Vingt Mille Lieues Sous les Mers)を出版する。

     ジュール・エッツェルと「教育と遊び叢書」を出し始める。


     1873年 45歳 『八十日間世界一周』(Le Tour du Monde en 80 Jours)を出版する。


     1878年 50歳 川島忠之助が『八十日間世界一周』を翻訳し、「新説八十日間世界一周」と題して出版する。

     これは日本でのヴェルヌ作品の最初の翻訳であり、フランス文学最初の翻訳でもあった。


     1879年 51歳 『インド王妃の遺産』(Les 500 Millions De La Begum)を出版する。


     1885年 57歳 アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』(1844〜1845年)を基にした冒険小説
     『アドリア海の復讐』(Mathias Sandorf)を出版する。デュマとデュマの息子に捧げられている。  


     1886年3月ある日の夕方 58歳 帰宅したヴェルヌは家の入り口で甥ガストンにピストルで撃たれる。
発射された二発の弾丸の一発は左足に、一発は壁に当たる。
彼の小説の愛読者で、彼も可愛がっていた頭のいい青年で外務省の役人だった甥は
精神病院へ送られる。

それ以後、旅行も航海もできなくなってしまい、船を売り払って家に引きこもり、小説を書く生活を送る。


1888年 60歳 少年冒険小説『二年間の休暇』(Deux Ans de Vacances)を出版する。

アミアン市の市会議員に立候補して当選し、市会議員となる。


 1896年 68歳 森田思軒氏が『二年間の休暇』(Deux Ans de Vacances)を翻訳し、
『十五少年漂流記』と題して出版する。
それからは、普通この題名が使われています。


1897年 69歳 エドガー・アラン・ポーの唯一の中編小説
『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』
     (1838年)の続編である海洋冒険物語『氷のスフィンクス』(Le Sphinx des Glaces)を出版する。
献辞「エドガー・ポーの記念に わが多くのアメリカの友人に」

     
1905年3月24日 ジュール・ヴェルヌ、以前から苦しんでいた糖尿病のため、パリの北にあるアミアン市で
死去、享年77歳。


     サイエンス・フィクション(S・F)の元祖、SFの父と言われる。

     生涯に小説80編以上と戯曲15編を書く。

     はじめ演劇の世界に熱中していたが、写真家ナダールと知り合い、

出版業者ジュール・エッツェルと20年の出版計画を取り交わし、作家として歩み始める。

勉強熱心な研究家で、博物館や図書館に通い詰め、いつのまにか現代科学の
     進歩に大きな関心を抱くようになり、冒険科学小説の創作を始め、<驚異の旅>シリーズを書き続ける事になる。

     少年時代の夢だった冒険旅行を実現するために、魚釣り用の帆船を買い、サン=ミシェルT号と名付け、
乗組員10名のサン=ミシェルU号も持ち、作品を書く合間に
地中海や北海、バルチック海などへ冒険の航海に出かけたり、汽船グレイト・イースタン号で世界旅行をする。


―――愛している人も、愛していない人も、こうして別れてゆく。ただ、
   わたしたちの番が来て去っていくとき、愛される者になるように努めよう。―――
ジュール・ヴェルヌ


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