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(C)TOSS-TWOWAY/高校/国語/俳句/
〜俳句で分析批評に挑戦!〜
糸瓜咲て痰のつまりし佛かな (正岡子規) <高校1年>
愛媛県立新居浜工業高等学校
西原 真樹
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授業の流れ
分析批評の授業に取り組むにあたって、(恥ずかしながら)初めて、「教材との葛藤3原則」に挑戦した。
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1.教材文(俳句)の音読を100回する。
2.すべての言葉を辞書で引く。
3.見開き2ページ(この場合は一句)で100の発問を作る。
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「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」 100の発問
<俳句の約束事に関する発問>
1 これは短歌ですか、俳句ですか。(俳句)
2 季語は何ですか。(糸瓜 *糸瓜の花とする説も)
3 季節はいつですか。(秋 *糸瓜の花=晩夏とする説も)
4 切れ字はありますか。どの言葉ですか。(かな)
5 字余りの部分は五・七・五のうち、どこですか。(初めの五)
6 俳句の数え方は何ですか。(一句、二句)
7 俳句を作る人のことを何と言いますか。(俳人)
<文法・語句に焦点を当てた発問>
8 「痰」の部首は何ですか。(やまいだれ)
9 「咲(さき)て」を現代の言い方になおしなさい。(咲いて)
10 「咲て」の「て」は接続助詞ですが、文法的意味は次のうちどれですか。
ア 単純な接続 イ 原因・理由を示す ウ 逆接 (ア)
11 「つまりし」を現代の表現になおしなさい。(つまった)
12 「つまりし」の「し」を文法的に説明しなさい。(過去の助動詞「き」の連体形)
13 「痰の」の「の」を別の言葉に言い換えなさい。(が)
14 分からない言葉に線を引きなさい。(省略)
15 分からない言葉を辞書で引きなさい。(省略)
16 「へちま野郎」とはどんな人をさして言う言葉でしょうか。
(ぶらぶらしている役立たずの男をののしって言う。)
17 「佛」が生きている人間を形容する言葉として使われるとき、どんな人のことを指しますか。
(慈悲深い人。清純で無邪気な人。)
18 話者は「佛」を旧字体で書きました。いまの字体を知っていますか。(仏)
19 「〜も糸瓜も」という慣用的表現を使って単文をつくりなさい。
(感動も糸瓜もあったものではない。)
20 「けり」と比べて「き(し)」はどんな文法的意味の違いがありますか。
(「けり」は間接的に見聞きした過去のことを述べるときや詠嘆の意味で使われるのに対し、
「き」は実際自分自身が直接体験したことを回想して述べるときに使う。)
<句の設定に焦点を当てた発問>
21 話者に見えている色は何色ですか。(黄色;糸瓜の花の色・緑色;糸瓜の葉や実)
22 昼と夜、どちらの句ですか。(昼;夜では景色が見えないから。)
23 話者は日向と日陰、どちらにいますか。(日陰にいる。;病床のため。)
24 天気はどうですか。(晴れている。;雨では「糸瓜咲きて」が生きてこないから。)
25 この句で最も強調されている言葉はどれですか。
(佛;切れ字「かな」が付いているから。)
26 話者は立っていますか。座っていますか、寝ていますか。(寝ている;病床のため。)
27 目線は上向きですか、下向きですか。(上向き;病床で見上げているから。)
28 話者は屋内、屋外どちらにいますか。(屋内。病床のため)
29 話者には何が見えていますか。(糸瓜の花、実、葉。その周囲の庭の情景)
30 どんな音が聞こえてきますか。
(大きな音は聞こえていない。夏の名残の蝉の声などが聞こえている?)
31 視点は移動していますか。(一定)
32 話者と糸瓜の花はどれくらい離れていますか。(5メートルくらい)
33 咲いている糸瓜の花は一つですか、複数ですか。(複数)
34 他の花も咲いていますか。
(咲いてはいるが、ひときわ目に付くのが鮮やかな黄色の糸瓜の花だったと思われる。)
35 何人でこの場所にいるのですか。(話者一人あるいは家族に囲まれている。)
36 話者はなぜこの場所にいるのですか。(病気のため。)
37 季語による季節は「秋」とすれば、初秋ですか、晩秋ですか。
(初秋:糸瓜の花の咲く時期)
38 糸瓜はこの日初めて咲いたのですか、もっと以前から咲いていたのでしょうか。
(初めて咲いた。「咲て」という言葉のニュアンスから。)
39 糸瓜の実はついていますか、ついていませんか。
(まだ、ついていない。)
40 「佛」は死後どれくらい経っていると考えられますか。
(まだ葬られていないので、一日以内くらい)
41 話者が見た糸瓜は花が咲いた後、どうなりますか。(実を結ぶ。)
42 話者が見た糸瓜の花が実を結ぶまで、生きることができたのでしょうか。
(生きられなかった。)
43 話者は「糸瓜の花」を好きだったでしょうか。(愛着を持っていた。)
44 話者に見える風景は広い範囲でしたか、狭い範囲でしたか。
(狭い。病床から仰ぎ見ることができる範囲)
45 糸瓜の花はどれくらいの大きさですか。(五〜十センチ)
<解釈を支援する発問(指示)>
46 「糸瓜」を読みは何ですか。(へちま)
47 「痰」は何と読みますか。(たん)
48 この句をすべてひらがなで書きなさい。(へちまさきてたんのつまりしほとけかな)
49 この句を読んで、思ったこと・気づいたことを書きなさい。(省略)
50 この句は全部で何音ですか。(18音)
51 この句を写しなさい。(省略)
52 この句のどこかに読点「、」を入れるとすると、どこに入れられますか。
(糸瓜咲ての後)
53 この句を覚えるまで読みなさい。(省略)
54 この句に登場するものを箇条書きにしなさい。(糸瓜の花・痰がつまった仏)
55 この句を自分なりの読み方で読みなさい。(省略)
56 糸瓜は観賞以外にどんな目的で植えられたのでしょうか。
(せき止めの薬、化粧水、あかすり、日よけなど。)
57 佛とは誰を指していますか。(話者・自分自身・正岡子規)
58 五感のうち、どの感覚が作句の中心になっていますか。(視覚)
59 この句の主題は何ですか。
(死が迫る自らの身体を「佛」と呼び、鮮やかに可憐に咲く糸瓜の花と取り合わせることによって、恐怖のはずの死を客観視していること。)
60 この句で対比されているものを挙げなさい。(糸瓜の花と佛)
61 対比の理由をまとめなさい。
(生と死、動と静、自然と人間)
62 痰がつまっているのは誰ですか。句の中の言葉で答えなさい。(佛)
63 佛とは普通、なにを指しますか。(死者、死人)
64 咲いている糸瓜の花はどんなイメージですか。(明るい、かわいい、生命力)
65 糸瓜が咲いていることと、痰が詰まっていることの間に、因果関係はありますか。
(ない。しかし、接続助詞「て」によってつないであるところに面白みがある。)
66 生きているのになぜ「佛」という言葉を使ったのですか。(死が迫っているから。)
67 この句にはユーモアさえ漂っている、とする解釈がされていますが、なぜでしょうか。
(死が迫る自らの身体を死体に見立て「佛」と呼び、死の切迫感をよそに可憐にみずみずしく咲く糸瓜の花と単純接続「て」で取り合わせることによって、迫り来る死の恐怖を突き放し、客観視することに成功している。)
68 話者の目はどこにありますか。「糸瓜」と「佛」も図に書いて示しなさい。(省略)
69 この句を解釈しなさい。
(痰切りとして効果があるとされている庭先の糸瓜の花が咲く一方で、痰がのどにつまって、それをふっきれなくなった自分は、生きているものの、もはや佛のようなものだ。)
70 黄色にはどんなイメージがありますか。(明るい・幼い・若い・輝き)
71 この句は今の暦で何月ごろ作られたものですか。(8〜9月ごろ)
72 話者、子規の作句の精神は「写生」と言われていますが、この句に出てくる「佛」は、話者が実際に見たものですか。(実際には見ていない。)
73 話者が自分の死に際し、やり残したことはあるが一応の仕事は成し遂げた、との考えが句から読みとれるとすれば、どの言葉とどの言葉か。
(「糸瓜咲いて」「佛」)
74 話者が自分の死に際し、やり残したことがあるとの考えがこの句から読みとれるとすれば、どの部分からか。理由も答えよ。
(糸瓜咲て:花が咲いた後には実がなる。しかし、その実がなるのを待たずに死んでいく自分を実感している。)
75 この句は主観的ですか、客観的ですか。(客観的)
76 話者は、自分のことをなぜ「佛」と呼んだのですか。
(自分に死期が迫っていることを実感しており、そんな自分を達観している境地をあらわすため。)
77 話者はこの世に未練がありますか。
(あるとも、ないとも解釈できる。
*あると解釈する根拠:花が咲いた糸瓜は、やがて実が生るという将来性を持っているが、自分はその実が生るのを待たずにこの世を去ることになった、と実感している。
*ないと解釈する根拠:自らを佛と呼んでいる。病人でも死体でもなく、悟りを開いた仏という語をもちいることで、死を達観している。また、死が迫っているという緊迫感をよそに鮮やかに可憐に咲く糸瓜の花を取り合わせることは、自分一人が死んだところで世界は変わるものではない、と感じていることの表れとも取れる。)
<言葉を言い換えた発問>
78 「糸瓜咲きて」を「糸瓜咲けど」にすると、どんな違いがありますか。
(句に悲壮感が漂い、死の恐怖を完全に客観視することにならず、生への執着が窺える。)
79 「糸瓜実り」では、どう違いますか。
(イメージされる色彩が緑一色になり、「仏」との取り合わせの意外さに欠ける。花はいずれ実がなる、という将来性を内包し、「仏」との対比も鮮やかになる。)
80 「仏かな」の部分を「病人かな」とすると、どのような違いがあるか。
(現在の事実を写生したにすぎず、死の切迫感や、死への達観が窺えない。)
81 「糸瓜咲て」を「糸瓜枯れて」にするとどんな違いがありますか。
(後の「仏」との対比が際だってこない。平坦な俳句になる。)
82 「仏かな」を「死体かな」とすると、どうですか。
(仏には、悟りを得たものという意味もあり、自らの死を達観していることの表れとして、より適した表現といえる。死体では、そうしたニュアンスがなくなる。)
83 「痰のつまりし」が「痰つまりける」だと、どんな違いがありますか。
(同じ過去を表す助動詞でも、直接体験したときにのみ使う「き」の連体形「し」を用いることによって後に続く「仏」が自分自身を指すことがはっきりし、その上で客観視しているというところに、この句の面白さがある。)
84 「糸瓜咲き」ならば字余りにならずにすんだのに、なぜ「糸瓜咲て」と接続助詞 「て」をつけたのでしょうか。
(あえて字余りにすることによって、上五に存在感を与え、すんなりとは読ませないようにした。「て」によって、咲いた糸瓜と自分を対等の存在として配置できる。また「て」でいったん切ることによって糸瓜が咲いた背景と瀕死の自分との対比を際だたせることに成功している。)
85 「痰のつまりし仏かな糸瓜咲て」では、どんな違いがありますか。
(「糸瓜咲て」から始まるときには将来性を感じさせ、次に実を結ぶというような内容を期待させておいて、「痰のつまりし仏かな」というまったく予想外の取り合わせによって、鮮やかな対比が見られるが、語の順序を入れ替えると、そうした意外性に乏しくなる。)
<俳句から派生した発問>
86 明るい句ですか、暗い句ですか。
(自分自身の死を扱っておりテーマは重く暗いが、それを見つめる視線は客観的で微苦笑さえ窺える。よって、一概には答えられない。)
87 話者は幸せですか、不幸ですか。
(「仏」「糸瓜の花」を配し、自分自身に切迫している死の恐怖を達観しており、不幸とは言い切れない。)
<嗜好を問う発問>
88 この句が好きですか、嫌いですか。(省略)
<作者とその背景に焦点を当てた発問>
89 作者は誰ですか。(正岡子規)
90 いつの時代の人ですか。(明治時代)
91 作者の出身地はどこですか。(愛媛県松山市)
92 何歳ごろの句ですか。(35歳。死の前日の作。)
93 子規の句で、他に知っているものを3つ挙げなさい。
(柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
鶏頭の十四五本もありぬべし
いくたびも雪の深さを尋ねけり)
94 この句は死の直前に作られました。こういう句をなんと呼びますか。(辞世の句)
95 子規の「辞世の句」をあと二つ答えなさい。
(をととひのへちまの水も取らざりき
痰一斗糸瓜の水も間に合わず)
96 正岡子規の門下生を知っているだけ挙げなさい。(高浜虚子、河東碧梧桐など)
97 子規の親友で、松山で共に下宿した経験を持つ著名な作家は誰ですか。(夏目漱石)
98 子規の辞世の句にちなんで子規の命日は別名、何と呼ばれているか。(糸瓜忌)
99 子規とは、ある鳥の名前でもある。何という鳥を指すか。(ほととぎす)
100 子規の歌論書の名前を答えなさい。(歌よみに与ふる書)
101 子規が患っていた病気は、どんな病気ですか。(肺結核)
102 子規によって「俳句」と名付けられるまでは、俳句は何と呼ばれていましたか。(俳諧)
(なお、俳句の100の発問作りについては、茨城県牛久市立神谷小学校の岡田浩先生の「100発問づくりアシストサイト」
http://www.d7.dion.ne.jp/~akdeniz/m.h.p.kokugo/koku.100hatu-asist-top.htm
が大変参考になった。100問の分類も、このサイトの分類法を参考にした。)