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現代社会を切る

当コーナーは日本国憲法 21条. 6「「言論の自由」のもとに
作成されたコーナーであり、何人においてもこれを妨げることは
できないものとする。

今日のテーマ

現代教育を切る

講師 リーダー

私の少年時代、とりわけ小学校時代は実に「大人」であった。物心ついた時
から「天才児」と呼ばれた私は、この混沌と時代では、時に「異端児」扱いを
される。
日本の教育というものは、子供に対して能力や感性を求めるのではなく、協
調性を求める傾向がある
私は小学校時代、よくこんな経験をした。国語のテストの時、必ずと言ってい
いほど「この小説の感想を400字以内で述べなさい」。人はそれぞれ好みが
あり、小説の面白い、面白くないを主観的判断に委ねている。小学校の教科
書に掲載されている小説は、私にとっては絶えがたいほど退屈なものばかり
であった。だから私はいつも「感想を述べないさい」という問題に対して「はっ
きり言って面白くない。」と非難しつづけた。これに対し、教師はいつも0点を
つけた。ちょっと考えてほしい。「感想」という主観的な意見を点数によって
客観的な比較性をつけるのはおかしい話ではないだろうか。しかも、模範解
答があること自体、実におかしな話だ。これは、感性を問う問題ではなく、も
はや、協調性を植え付ける一種のマインドコントロールである。私は子供な
がらに思った。「こいつらはみんな共産主義だ!」
そして、同じく国語の問題に「この文章で作者は何を意図していたか答えな
さい」。おかしい!これはおかしい!そんなもの作者に聞いてみなければわ
からないではないか。模範解答を見ても「お前、本当に本人に確認したんだ
ろうな?」と思ってしまった。実際、確認しているわけがない。芥川龍之介の
蜘蛛の糸が教科書に載っていて、同じ問題が出題されたが、玉川上水で
入水自殺をはかった芥川龍之介に確認をとれるわけがない。増してや、恐山
からイタコを連れて来て、本人を呼び出したわけでもないだろう。
以上のように、現代において、「優秀な子」というのは、自分の感性を押し殺し
さもマニュアル通りの意見を持っているかのように振舞う人間を指し、主観的
な意見を述べる子を「不真面目な子」と見るのである。少なくとも、東京6大学
出身の人間は少年時代にペテン師によってマインドコントロールされた人間
ばかりである。それを証拠に、オウム真理教などの新興宗教信者の多くは
「教養人」と呼ばれる高学歴の人間が大半を占める。
私がこれからの子供に望むものは、条件反射的な画一な教育ではなく、自分
の感性を素直に表現できる人間になることである。
ちなみに、未だに私の元に明治大学の合格通知がきていない。私が、「教養人
」になる日はまだ先のようだ。