現役時代2 2年秋からの逆襲

 目標は実家から一番近い旧帝国大学理学部だ。旧帝国大学レベルの理系学部にはたいていの講座がある。研究し
たい分野の研究室が見つからないと言うことは無い。元々の研究のレベルも高い。研究者か教師になるには十分の大
学だと思った。合格目指してこれからは毎日勉強だと張り切った。しかし、いきなり壁にぶつかった。そう。中学の頃か
ら今まで、家では勉強など殆どしたことがないので、何をやったらよいのやら良くわからないのだ。そこで各教科担任の
ところを駆け回り、指示を仰いで参考書を買い、それを勉強した。基本的には数学と英語を中心とする勉強を始めた。
朝起きることを全く苦痛と感じない私は朝中心に勉強をした。生活スタイルは次のとおりである。学校から家まで自転
車で5分とかからないところに住む僕は家に帰宅すると同時に勉強を開始。時間は2時間くらいである。風呂、食事を
済ませると遅くとも夜9時には就寝。翌朝3時には起床して、朝7時まで勉強。途中で休憩を挟むので約3時間の勉強
だ。これで一日5時間勉強をしたことになる。朝食後は学校に行って若干の勉強をする。たいてい、他の生徒が僕の周
りに集まり、僕がワンポイントレッスンをすることが多かった。僕は人にものを教えるのは結構好きだ。自分が正確な知
識を持っていないと、相手に説明することなど出来ない。人に説明することは、裏を返すと自分の理解の確認になるの
で、大変役に立つ。さて、午前中の授業を普通に受け、昼食を急いでとり終える(時に早弁をする)と、昼休みの30分
間はバスケ部の連中とバスケットボールをして体力増強に励んだ。午後の授業に汗だくになって出席したこともしばし
ばである。とはいえ、午後の授業もきちんと聞いた。決して居眠りはしなかった。毎日、こういった生活を送った。
 休日であっても朝型は崩さない。朝早くから昼過ぎまで勉強すると、さすがに昼ごろには飽きてくる。午後は友人宅を
訪れたり、パソコンをやったり、テレビを見たり、家族と一緒に買い物に行ったりと、気ままに過ごした。休日の午後は
勉強しない日としていた。冬休み中の過ごし方は休日と同じ扱いで、これがほぼ毎日続いた。こうして2年の秋から既
に、受験生顔負けの勉強をしていたのだ。冬休み開けの進研模試。これに照準を合わせて勉強をしていた。
 その前に、1月半ばにセンター試験があった。1年後、僕も受験することになるのかと思い、問題を解く。数学1は9割
以上得点できたので満足だ。しかし、数2は8割程度。既習の範囲であるが、さすがに問題演習不足は否めない。来年
はもうちょっと得点したい。理科の好きだった僕は未習の範囲以外はほぼ満点と良好。しかし、国語や英語、地理は全
くの力不足と言ったところ。本来1年先に受けるはずの試験を解いているのだから、仕方ないだろう。来年はもっと高い
得点を取ることを目指して、勉強にも熱が入る。
 勉強を始めてはや4ヶ月過ぎた1月末に、最初の目標としていた進研模試があった。結果は比較的良好だった。国数
英で偏差値は66、校内順位は12位まで上昇した。5教科総合ではさらに順位は良く、校内8位だった。授業集中型の
僕は、理科と社会は得意だった。授業で覚えてしまえばそれ以上難しい問題は殆ど出題されなかったからだと思う。こ
れならいけると、手ごたえを感じつつ、そのまま勉強を続けた。
 4月。3年生になった僕は、これまでと同じスタイルを貫いた。順調に成績は伸び、7月には5教科総合で偏差値70を
超え、校内2位となった。ここまで来るのに約10ヶ月かかったことになる。これまで目標としていた某旧帝国大学はほ
ぼ安全圏に達し、さらに上を目指して京都大学理学部、或いは東京大学理科2類を視野に入れるようになっていた。毎
日の家での勉強は2次試験対策に中心が移り、センター試験レベルの問題は学校の授業や課外授業で対応すること
にした。そして9月頃、受験勉強を開始してから1年が経つ頃、僕の成績はピークを迎えた。

3年秋の進研模試の成績 ( )内は全国偏差値
総合 75 国語 60 数学 75 英語 75 化学 70 生物 70 地理 70

 一年前より国語5、数学15、英語20、総合で15偏差値は上昇した。2年次の模試では偏差値は高く出るから、判定
も甘い。しかし、3年になると偏差値は下がる。それなのに、僕の場合偏差値が上昇していることは驚異的だったらし
い。国語はそう簡単に成績が伸びるものではなかった。しかし、英語と数学は勉強の効果てきめんである。僕の1年前
の成績からはまったく想像できない成績である。僕は決して天才ではない。記憶力が抜群というわけではない。教科書
や参考書を一度や二度読んだくらいではあまり覚えていない。ひたすら忘れないように、何度も繰り返して覚える努力
をするだけだ。それでも人は努力でここまでやれるのだ。
 しかし、これ以降、成績の上昇が止まった。いくつかの理由があるだろう。一つには運動部に所属していた受験生の
勉強の成果が現れてくる頃と重なるから、彼らの学力向上に伴い、僕の成績は相対的に上昇しなくなっていたからだと
思う。また、高校内では僕の成績上昇が取りざたされ、一躍有名人となっていた。僕は同学年の友人やクラスメートだ
けでなく、同学年のみんなや、果ては下級生も、僕のことを知っていた。おだてられると木に登る僕は、特に女子学生
から羨望の目で見られることに気をよくして、有頂天になっていた面は否めない。もう一つ、一番重要な点だ。研究者と
医師。どちらの道をとるかで迷ったのだ。勉強を開始した一年前の成績では医師を目指すのはおこがましいと考えてい
た。しかし、この頃には、著しい成績の上昇により医学部受験も十分可能となったのだ。僕は、このことでだいぶ悩み、
勉強に身が入らなくなった。家に帰ってきても、ぼんやりと過ごすことが多くなった。難関と呼ばれる大学受験を前にし
て、重要な記述式問題の対策をあまりやらなくなったのだ。10月以降、とうとうセンター試験を受けるときまで、この状
態が続いた。
 とりあえず受験したセンター試験は5教科800点中703点だった。この年のセンター試験の平均点は高かったので、
この点数はそれほど驚くに値しない。最低ランクに近い国立大学医学部ならばB判定が出るくらいの成績である。
 結局、試験後、研究者の道を選んだ僕は東京大学理科2類に出願し、それ以降は心を決めて2次対策を行ったつも
りだ。しかし、あえなく玉砕した。秋以降の2次対策不足が原因だろう。後期に以前から目標としていた某旧帝国大学
理学部に合格できたのが唯一の救いだ。心の片隅には医学部受験というものが残っていたのだと思う。最後まで目標
を一つにできなかった僕は、何としても東大に受かろうとする人には勝てなかった。それだけのことだったのだと思う。
目標となる大学を定めることで、合格するためにしなければいけないことが見えてくるのだ。生半可な気持ちで受験して
も受からないことを身をもって学んだ。
 こうして僕は某旧帝国大学理学部に入学した。

Next Page
再受験の決意

トップへ
トップへ
戻る
戻る