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先生方とはとても縁遠く、試験の時にはじめて見た教授もいた。友人と朝までマージャンをしたあと、昼まで睡眠。午後 は講義に出ようと決意するもめんどうくさくなって自主休講。夕方、サークルに顔を出し、夜は家庭教師のアルバイトで お金を稼ぐ。その後友人と会って、カラオケやビリヤード、最後にはマージャン。こうして夜もふけ、朝が明けていく。こ んな感じであった。 もちろん試験に際しても、まともに勉強するはずは無い。ここでは頭の良い友人を作ることが大切だ。彼から借りてコ ピーしたノートと、先輩等から入手した過去問に縮小コピーを重ねてカンニングシートを作った。実際、9割の試験はカ ンニングをした(もう時効だろう)。大学での成績は頭のよさではなく、要領のよさが勝負である。こういった面で頭を使う ことばかり覚えた。 それでも何とか4年生に進級した。3年時の成績は、全部で80人いた同学科生中、後ろから5番くらいだったと記憶 している。数名が4年に進級できなかったので、進級した学生の中で最悪の成績だったようだ。当然かもしれない。僕 は研究室に所属することになったが、このころから、僕の態度は一転した。研究と大学院受験のための勉強に励ん だ。初秋に行われる大学院入試では100名を越える受験者の中で2位で合格。もちろん、カンニングはしていない (笑)。大学院理学研究科に進学して研究活動を続けた。その後、大学での助手の職に恵まれた。給料をもらいつつ好 きな研究をやることが出来る身分だ。助手の職を求めても、ポストが開かず、海外留学する人もたくさんいる。僕は運 がよかったといえる。 しかし、実はこの話を受ける時に迷った。この頃、心の奥深くに封印したはずの医師になりたいという思いが再燃して いたのだ。時とともに褪せることのなかった医師になるという思いが増幅されていた。大学生の頃から長らく付き合って いる彼女が、看護学生を経て看護婦をしていたことの影響が大きかった。折に触れて医療の現場で働く彼女の話を聞 くうちに、彼女をうらやましく思ったのだ。しかし、時間は待ってくれなかった。教授は、返答の期限を一両日中に求め、 僕は勢い話を承諾した。一般に、大学の人事とはこうしたものである。いつ何時、こうした話が舞い込んでくるとは限ら ないのだ。心の準備をしておく必要がある。こうして医師はあきらめて生涯、研究者として研究にいそしむ道を選んだ。 助手になって数年が過ぎた。プライベートでは、遠距離恋愛となっていたその彼女と別れ、いろいろあったのちに、別 の彼女を見つけた。やっぱり彼女も看護婦をしていた。(どうして付き合う人ごとに看護婦なのだろう?)やはり医師に なりたい思いは募るばかりだ。僕は、医師の中でも田舎での医療活動をする医師に興味を持つようになっていた。都会 には医師が多すぎる。ちょっと歩くとすぐに別の病院にぶつかる。目下のところ、国は各大学に、医師が過剰気味なの で医学部の定員を削減するように働きかけているくらいだ。しかし田舎では絶対的に医師が不足しているのはあらため て言うまでもなかろう。田舎で働きたがる医師が不足するのは今後も変わらないだろう。ならば、僕がその医師になっ てやる。そう思っていた。 平成13年4月頃、教授と相談して、大学の助手をやめることを決めた。当初、教授のすすめにより、医学と言っても 少し別の道を探った。僕が研究において培った能力を生かして、企業での新薬開発の研究に従事するために、製薬会 社での中途採用に応募したのだ。新薬開発という分野で、医学に貢献できると思ったからである。たった一つの新薬を 開発できれば、どれだけ多くの人々の病気を治すことができることだろう。しかも、医者になるには大学で6年かかるの に比べて、即戦力として働くことができるのは魅力的だった。しかし、2,3応募した会社には断られた。種々の理由が あると思うが、僕自身、就職することに納得できていないのが原因だと思う。僕の心の中に、その会社に入りたいと沸 き起こるモチベーションが無いのだ。本来医者をやりたい気持ちが邪魔をした。医師が本当に必要とされている田舎に 行って、医療に恵まれない人たちに医療活動を行いたいのだ。実際に患者と向き合い、他の医療スタッフと共に、力を 合わせて患者の病気を治していく姿に憧れるのだ。場合によっては「国境なき医師団」のように、世界中に活躍の場を 求めても良いと思っている。単純、幼稚としか言いようがないが、これが僕が医師を目指した動機である。こうして、医 学部再受験をすることを決意した。 僕は私立大の医学部に行くほどの金銭的余裕はないので、国公立大学医学部を第一目標とする。実家に近い方が 良いので、地理的に、僕が現在所属する某旧帝国大学の医学部を目標にした。最大の問題は学力だ。とは言っても、 今の身分のままでは勉強する余裕は全くない。大学助手は身分も保証された国家公務員であるが、助手の生活は常 軌を逸している。普通の公務員とは全く異なる。労働時間は学生は朝9時から夜11時である。この時間だけで終わる ことはないので、帰宅はずっと遅くなる。従って、平日の夜は家に帰ると寝るだけだ。加えて、基本的に土曜日も出勤で ある。なお、時間外勤務手当てなど一切ない。日曜日は時折出勤するが、たいてい疲れを取り、雑用をこなすだけで一 日が終わる。この生活に受験勉強を加えたら体が持たない。実際、ちょっとやってみたが、過労で倒れて研究室のみ んなに迷惑をかけるという始末。研究と受験勉強は両立しないのだ。 僕の医師になる決意は固かった。研究室の他のメンバーにも迷惑をかけないように、助手を辞して勉強に集中するこ とにした。もちろん、医学部受験を何回か挑戦しても、結局不合格に終わるかもしれないという不安は付きまとった。だ から、しばらくの間助手にとどまり、研究にかける時間を減らして受験勉強に力を注ぐことも不可能ではなかったと思 う。しかし、今思うと、助手の職を辞したおかげで、勉強に完全に集中できた。そのため、医学部に合格できたのだと思 う。 続いて周囲の説得である。父は頑強に反対したが、母は最初から賛成してくれた。結局、母の権力の強い我が家で は父が折れて、家族中僕をサポートしてくれることになった。彼女は猛反対したかというとそうでもない。看護婦である から、共に医療の現場で働こうとする僕を応援してくれた。友人たちも僕を後押ししてくれた。といっても、結局友人たち は所詮、赤の他人である。僕に「がんばって」と言う以外に選択肢は無いだろう。 教授の計らいで、助手を辞めることを正式に決定したのは11月はじめで、12月中旬退職ということにしてもらった。 ちなみに、これでボーナスが満額出るのだ。これ以降、家で勉強を開始した。 本来は、翌年1月のセンター試験を受ければよいと思われるかもしれない。しかし、元々、今年度は受験する気はな かった。いくらなんでも準備期間が短かすぎる。10年以上昔にやったことを復習しなければならない。ちょっと不可能だ と思ったからだ。では、どうしてこの時期に受験勉強を開始したのか。実は、大学受験は高校教師に聞くのが一番良か ろうということで、高校時代の担任に連絡を取ったところ、センター試験直後の自治医科大学受験をすすめられたから だ。 さて、ここで自治医科大学の簡単な説明をしよう。名目上は私立大学に分類されるが、他の大学とだいぶ異なる。田 舎で働く医師を養成するための職業訓練校のようなものである。その大きな違いの1つは、学費は事実上無料の点で ある。しかも、全寮制で、寮費だけで済むので、生活費は極端に安くて済む。研究よりも即戦力として役立つ臨床医の 養成を目指すために実習が多い。ただ一つ、欠点といえば欠点がある。足かせがあるのだ。卒業後9年間は知事に田 舎等での勤務を命ぜられるのだ。そのため職場を選べない。とは言っても、実は他の大学でも、たいていの医師は医 局に入局するので、若いうちは転勤を命ぜられるから、ほとんど同じような気もする。 それはさておき、よくよく考えると、田舎での勤務を希望する僕にとって、自治医大の制度は足かせというよりもむしろ 好都合な条件だ。研究者ではなく臨床医を目指す僕にとって、大変魅力的な大学だ。加えて、受験教科が少ない。数 学は数学1と2だけである。理科も化学1B生物1Bで2をやる必要は無い。あとは英語だけである。理科は大学で専攻 したし、英語は毎日のように論文を読むのに使っている。 赤本を買って、試験を一度解いてみる。確かに正答率は低く、全体で6割くらいの出来だ。この程度の問題ならば、 合格するには9割は正答しなければいけないだろう。しかし、なんとかなるかもしれないと思った。現実には少し厳しい のは確かだ。一昔前まで年齢制限さえあった大学である。僕の年齢で受け入れてくれるだろうか。とはいえ、やるだけ のことはやろう。今年合格できたら儲けものである。駄目で元々である。 こうして、これ以降、自治医科大学を第一志望に据え、受験勉強を開始した。
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